いうまでもなく、十方に旦那がいるぼてふり商いは柔和であるようにして、買い手が堪能するような喋り方で売るのが、ぼてふり商人の商売上手。とにかく、どんな商人であれ腹を立てず、堪忍するのは商売相応に出世して、一生食いかねないのだ。今のぼてふり商売をする若い人を見ると、荷籠を担ぐ者は立派で、それ相応の着物を着て、あずまからげ[1]とやら、脚絆に手覆いも絹で仕上げ見た目が良い。髪型も相撲取のような家鴨髩に油をぎらぎらと付けて、お供を連れて歩いている様子は、宮宮の木隠れから集まり、前髪上がりの古くからの買い手を相手に銭を投げ込む楽しみを過ごして、囲われ女の内では口に入らない事に、下女を相手に役者話をしてげらげらと言い歩いて、なりのしょぼいだ女が値をつければ、「まだこなさん方の口には入りにくい」と言い捨てて荷物を持っていく。

一方、ぼてふり商人の心入れと違ってなかなか出世しない。中には出世するぼてふりもいるが、それはきっと大商人の性根があるからだろう。この近所の比泉州の堺あたりに、喜右衛門とやらいうぼてふり商人がいる。妻に男の子が一人いるが、妻が死んでからは後妻を迎えず、様座生苦労をしたが育て上げ今は十歳になった。銭を稼ぐのは難しいことを理解させるために連れ歩いた。この土地の風習として小さい筍笠[2]をかぶせ、一つは紺色の立縞の襦袢で帯なしに引っかけ、片手を頬に当てて調子よく「鯛、鱧、こうこう車エビ」と魚の名前を言い並べて売り歩くのを習慣にした。その売り声は潔く爽やかであるので、みんな立ち止まった。喜右衛門も自分の子にこのような格好をさせて、町で売り歩いた。その子供の可愛らしさを見ようとして、必要でもない物を買っていく人が多かった。

どんなことでも珍しいことをして売れば流行り出す。華やかな大坂、特にこの者の性格は鬼や熊のように荒々しいけれど、子供という枷にはめられて柔和に愛想よく、百文の魚を「十五文にしろよ」とわざと怒らせるような値引き要求にも「特別掛け値は申しません」と顔色を変えずににっこりと笑う。また、「うちの猫にやりたいんだけど」と小魚一匹貰おうとすると、快く与えるようになったので、格好に似あわず鋭い雰囲気が見えてないので、町々家々でこの者を待ち構えて魚を買うようになった。毎日、一回の荷物では売り切れてしまうので、三回四回分を道まで運ばせて、売り歩きは大きく金を稼いだ。

 


[1] 着物の裾を腰の両わきにからげて帯に挟むこと。

[2] 筍の皮編み込んだかさの事。

 

すぐカッとする人がいますが、あれは損ですね。かく言う私も、20代の頃までは斬り込み隊長だの爆弾男だのと言われたこともありましたが、あれはカッして言ったのではないのですよ。

前々から相手の立場を悪くしないようにして伝えていたのに、ふんぞり返るか逆ギレして因縁をつけてくるから容赦なく暴露していただけでして。

柔和な態度で接していると付け上がってくるのがいるのも確かです。こういうのは、相手にしてはいけないと気づくまで時間がかかりました。かなりのコストを払いました。

こういう場合は、煙のようにその場から消えるのがいいようです。少なくとも仕返しをしようとか、叩き直すとかは全く無駄ですから。