さて、自分が施すべき財産がないときは、施行の世話をしなさい。例えば、仲人がいないときは縁談がまとまらないのと同じである。志を尽して世話をしなさい。

 

さて施行世話人が書心得るべき最も重要な事は、施主人を主人と思い、施しを受ける人を客だと思い、世話人は給仕だと思うことが重要である。給仕人として客の心や主人の心に適わないようではいけない。貧乏で施行など受けるといっても同じ天下の同胞である。どうして隔ててその人を卑しめ、感情的に扱おうというのか。丁寧に扱いなさい。また、受ける人は客人であるので慎んで無礼横道などはせず、受けるときに貪ってはならない。元来施す側を主として催すだけの話である。また、施主人、世話人は受ける人の善悪をみてはならない。施行を受ける人に限らず、色々な性格があって道理にかなわない人もいるものであるから、相手の非を改めさせようというのはこちらの志が低いことから起こるのだ。元来冥加が悪いことから今苦しんでいる人もいるだろうが、全ての人について是非で判断するのは、自分の方の非であると思いなさい。

文句を言う人、喜ぶ人、皆施しを受けるときにはあるものだ。とにかく、施しを先になしたいものだ。今この時代に生きている人は、皆この味をよく知っているが、後の時代に味を知らない人は、その心得違いもしてしまうだろうと思うので、このように書き残している。志を持って行うときは、どれほど土地が広くても、何か所も施行場を建てて方針を定めて、どこからどこまではこの場所で引き受けると定めたときは、世話が少なく出来るものだ。世話人の役割をしなさい。施物を受け取る役、吟味役[1]、買い物方、払い方、引換券手配方、総支配人、施物渡し方、出入り世話方、引換券方、割り印方、釜元世話方、その他時の品に応じるべきだ。なおよく考えた上でやり易いようにすることが重要である。

 


[1] 判断する人のことを言うが、ここではリーダーぐらいの意味か。

物を寄付するだけはなく、自らが働く施行もあります。

 

私の知っている上場企業の社長は、障害者施設で運転手のボランティアをやっていました。実に頭が下がる思いです。あの調子では、お金での寄付も相当やっていたでしょう。

問題は受け取る側です。貰う事に慣れて、少数ですが当然のような顔をしている団体もあります。こういうところには一切関わりたくないものですね。

 

という発想はいけないようです。中間団体はいざ知らず、本当に困った人への施しは、それを吞みこんで行いなさいということです。

 

東日本大震災の時私の持ち家が空家になっているので、1年間はただで貸しますよと案内をしたところ、2世帯は有難がってもらいましたが、1世帯はこんなところに住めるか!と怒っていました。そのときはなんて失礼な奴だと思っていましたが、確かに命からがら逃げてきて今までの生活が不条理な天災と原発事故(事件の方が正しいか)で追い出されて、苛立っていたのですね。

 

それも含めて受け止めてやるのが施行のマナーのようです。