墨に染まれば黒くなる

 

「朱に交われば赤くなる」と同じで、付き合う人間によってその影響を受けるというものです。「氏より育ち」、で「孟母の三遷」するのです。

 

善悪の基準は文化によってかなり違います。例えば、拾ったお金は誰のものか、日本では落とし主の物であるとするのが常識ですが、「神様からのプレゼント」と大喜びする文化もあります。

 

人の倫理観も、廻りがやっていることにかなり影響を受けるものです。そして若いうちにそれが固定化されます。

 

学習についてもそうですね。本当の進学校と似非進学校では、生徒が喋る言葉が違います。これはまさに社会階層そのものではないかと思うくらいです。

 

本物の進学校は非常に丁寧できちんとした言葉を使います。一方似非進学校はヤンキー丸出し、いかに楽をするか、いかにちょろまかすかの話になりがちです。そうなってくると行動に出てきて、考え方が定着します。

 

そういったことで、どうしようもない集団にいながら自分を保ち続けるのは至難の業です。社会常識、情報、思考、全てがゆがんでくるからです。遮断しようとしても、隣の席に座る人と口も利かないという訳にもいかないでしょう。

 

「鶏口となれど牛後となる勿れ」と諺にはありますが、高レベルの組織の下っ端よりも低レベルの組織でトップの方が良いと解釈すると、この諺は間違っていると断言します。

 

だからと言って職場を次々と変えることには同意できません。良いと思ったからその職場に行ったのですから、失敗したと思うならその原因をよく考えて、せめて自分の身の回りだけは解決しようとする努力は必要です。