待てば甘露の日和あり

忍耐しなさいという事のようです。2回前に書いた、「果報は寝て待て」に近いものがありそうです。

心学では、とにかく忍耐せよと諭しています。それはむやみやたらに我慢しろという事ではありません。特にヨーロッパ系の人と交渉あるいは雇用するときこのあたりで軋轢が生まれます。

ヨーロッパというより、ユダヤ教・キリスト教文化圏と言った方がいいかもしれませんが、基本的にユダヤ教・キリスト教文化は救済を条件に神を信じるという契約を結びます。そしてその契約が守られている限りにおいて、来世で天国に行けることになります。

これは、人間同士でも同じで雇用においては、この内容の仕事をどれだけの量をやってくれという雇用契約書を結びます。その内容が果たされていればその分の給与が払われます。ところが、どちらかが守らない場合は、あっさり解雇または退職します。

我慢しろというのは嫌がらせ以外の何物でもないと感じるのです。確かに将来的方向性が示されないのに我慢しろは、嫌がらせ以外の何物でもないと思います。

もちろんそうなる前に交渉はありますが、彼らにとっては一方的にバイバイが当たり前の世界です。

同じ一神教のイスラム教徒の場合は、「神様の思し召し次第」という実に都合のよいことを言って、自己都合を優先することがあります。彼らからすると、私はやることはやっているよ、それがいいかどうかは神様が判断することだからという暗黙の意味があるようです。

日本人はたいていこの言葉にカチンときてしっかりやれよ!と怒ってしまいます。これが、イスラム文化圏との取引でよく問題になるようです。

強烈な人だと、私との契約だけではなくアラーにやると誓え!とやってしまうようです。

この辺は思いっきり民俗学の話になるので、ブルデューの本がお勧めです。




ピエール・ブルデュー資本主義のハビトゥスアルジェリアの矛盾

 

話を戻しまして、日本の場合はできる人を雇う、できる会社から買うよりも、むしろ育てる傾向にあります。

最初からできる人なんていませんから、できるようになるまで待てという事でしょうね。

とは言っても、成長する気があるのかないのかの見極めも重要です。