「此の国で、著名人が住んでる高い住宅街の入り口にある『坂の交番』ですよ」
「でも、華がどうして坂の交番なんかに……」
「長井さんが逃げ出すもんだから、俺が必死に捜している時に連絡が来たんです」
「何を言ってるのか、さっぱりだな。田部さん、あんた……」
「指令ですよ。今から、この鬼と、あなたを或る人物の所へ連れて行きます」
「ある人物?」
「シスターは、この鬼と長井さんを欲している」
「そうか、田部さんはシスターの崇拝者なんだ。何時からだ。俺に逃げようと誘った後か、それとも初めから、あんたは俺の見張り役なのか。何故だ、大酉(おおとり)と同じようにシスターの体に惑わされて寝たのか、それがあんたの本性か!」
「……違いますよ。長井さん、アカリを知ってますか」
「ああ、林檎屋敷にいる、カキとは違うお手伝いの女……」
「最近知ったんですが、アカリが林檎屋敷に這入り込んだのは、蓮さんを探る為です」
「そんな話は興味ないな」
「俺はアカリの真意を知って協力しようと決めたんです。10年前、アカリは両親を亡くした。その日、街でビルの上階の部屋から出火した事件です。出火直後、爆音とともに割れたガラス窓と共に吹き飛んで男女二人が地面に落下、死因は焼死だった」
「知らんな、そんな昔の事、覚えてない……」
「当時、マスコミは大きく取り上げていた。二人は落ちる前に既に焼死していたんだ。当時の報道では、出火原因も分からなかった、尚、消火もしないのに爆発した後すぐに鎮火したのだと、消防隊も不思議がっていたそうです……。俺もおかしな事件だなと思ったのを記憶している」
「ふ、蓮さんが何か絡んでる証拠でもあるのか?」
「アカリの母親が日記を残しているんです。事件の前日に、明日蓮に会うと綴っていた。実際に、人間には理解出来ない事件が幾つか起きている。魔族がしでかしたとしか思えない案件だ。そんな被害を被(こうむ)って人生が変わったのがアカリです」
「田部さんとアカリと、シスターの関係は……?」
「結局、孤児になってしまったアカリは、その後、教会でシスターと出会っている」
「でも、田部さんとは関係ない事じゃないか、正義感からなのだろうけど、シスターに与(くみ)するのはヤバいよ。あの人には近付かない方が賢明だ」
「俺が決めた事なんです」
「……勝手にしろ。だけど、華は関係ないだろ」
「俺が行った時、坂の交番の巡査らは大騒ぎでした。その隙を見て連れ出した。長井さんのように逃げられたら大変なんで、途中で鳥籠を買ったんです」
「田部さん、何で、こんな酷いことが出来るんだよ。きっと、華は疲れ切って、何にも化ける事も出来ないから、鬼の姿に戻っちまったんだ……」
「林檎屋敷には、夜だけ姿を見せる蓮さんの妹がいると、研修生たちから聞いたことがある、この鬼が、その妹なんですね」
「あんた、何も知らないで、こんな事やってんのか。ただ、鬼を拉致して来いってだけで、華は魔もまともに操れない子供の魔族なんだよ。帰してやってくれ!」
「それは出来ません。シスターの指令です。さあ、行きましょう」

 その時、二人の後ろから急に大きな影が現れた。
「何を長話してるんだ。お前ら!」
 突然、大酉が現れたのだ。
 大酉は酒に酔っているのか、呂律の回らない口調で田部の背中から抱き付いて来た。何とも、大酉は田部をツグオだと勘違いしているようだ。
 ツグオもそれを目撃して、つい口走る。

「あ、大酉先生! 助けてくれ! その男に誘拐される!」
「なにぃ? あれ、こいつは長井じゃない。はあ、この男が誘拐だと? これは絶好のチャンスだ。誘拐犯を捕まえた俺は、明日のワイドショーの主役だ。ヒーローになれるぞ。こいつは捕まえておくから、長井は早く逃げろ! うひゃ、ひゃ~!!」
「な、何をするんだ。大酉校長! 放せ、放してください! しかし、酒臭い……」
「うひゃ、ひゃ、ひゃ~!!!」

 田部は大酉に後ろから羽交い絞めにされている。
 その隙に、ツグオはドアが開いたままの車の中から鳥籠を奪うと、真っすぐ暗闇の向こうへ駆け出した。後ろから、大声で言い争う男二人の声が遠くなるのが、何とも心地好い。ツグオはK高校から裏山の方向へ一心に駆けた。