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生きずに死ねるか!〜渡辺拓也公式ブログ〜

たった一瞬の『生きててよかった…!!』のために何度だって生きてやる。九州に家族型シェアハウス文化を広めた先駆者、渡辺拓也のブログ。

失敗とは何か

リスクはどこまでとっていいのか

僕にとっての失敗とは何か

僕がとることができる、もしくは日常的にとっている失敗やリスクはどんなものがあるか

 

何を失敗として、何を成功をなすのか

何を狂いとするか

 

失敗を怖がり二の足を踏む臆病者には、臆病者なりの進み方、勝ち方、つまりはフィロソフィーがあるはずだ。

 

 

失敗とは、なんだ。

 

例えば、僕にとってぷよぷよで負けることは、失敗であって失敗ではない。

それは挑戦である。一時的な失敗ではあるかもしれないが、とらないべきリスクではない。

この場合、むしろ積極的に連鎖を伸ばしていくことが望ましいし、綺麗に失敗しない範囲でまとめるよりも、何度もできそうなことに挑戦して、新しいできる形を得ていくことのほうが良い。

 

ぷよぷよにおける本当の失敗とは、「もう勝てない」「もうできない」「もうやりたくない」という感情になってしまうことだろう。つまりそれは、諦めなのだ。

「もう一度やってみよう」「今度こそうまくできるはず」

その感情でいられる限り、失敗は何度でも歓迎される。

 

例えば、僕にとってスノボはリスクだろうか。サーフィンはリスクだろうか。

どちらにしても、僕は物覚えの良いほうではなかった。

だから、何度もコケたし、むしろ上手に立ち上がれなかったと言ってもいい。

まっすぐ進むことも難しいし、上手に止まることもできなかった。逆エッジだって恐怖を刻み込むには十分だった。

 

サーフィンはサーフィンで、まずいろんなものが高額だった。非常に金がいった。

そして、敷居が高かった。なんだか「サーフィンをやってます」ということ自体が、イキってるというか、ある種の「サーフィンやってるそっち系の人」のグループに所属するようで、憧れと同時に、精神的ブレーキが大きかったのだ。

 

まず失敗でいうならば、これに挑戦できなかった時期のことだ。

僕はサーフィンをやりたいと思いつつも、何年だろうか、8年いや10年ほど自分の中で封印していた。

それこそ、スノボで言うなら、16歳の頃から26歳なのだから、それもまた10年の封印にあたるのだが。

 

そして僕にとって成功とは、スノボをしにリゾバに行けたこと。

それ自体が、何よりもの挑戦であり、その行く決意をしたこと、実際に行ってしまったこと、環境に自分を投げ込んだことが、僕にとっての何よりもの成功の要因だった。

おかげで僕は、それをやることが「当たり前」の環境になり、24時間ほぼすべてを、スノーボードのことだけを考えて過ごすことができた。

 

失敗はおそらく数百ではないだろう。こけた数、うまく技が決まらなかった数、最初の滑り出しができなかったこと、キリがない。45日の修行の中、満足に、割と自由に滑れるようになったのは、おそらく最後10日ほどではなかろうか。

 

失敗の連続だった。

あまりにも、出来なかった。

年下の男の子たちに、何度も追い抜かれて、置いていかれそうになった。

けれど、僕は、自分のなかの「これだ」という感覚を必死に追いかけていた。

出来る人たちに、何度も聴きに行った。

トライ&エラーの連続だった。そして学び、スノボハウトゥーのサイトや動画も見漁った。インストラクター陣にも聴きまくった。

そして、それ以上に、考え、感覚を研ぎ澄まし、熱狂した。ギリギリまで、追いかけるように滑った。

それが、僕の成功の要因だったのだろう。

 

サーフィンに手を出せたのは、それがあったからだ。

僕のなかにあった「出来ない」が、感動的なまでに「出来た…!」に変わった確信があったからだ。

それは幼いとき、父と共に手の豆が剥けるまで逆上がりとさる渡りに挑んだ記憶に似ている。

 

サーフィンが、スノボより難しいことは知っていた。

難しいことは知っていた。だから、失敗するのは当たり前だと思っていた。

むしろ、1年目で成功できたら、おいしいとすら思っていた。

だから、恥ずかしいのは、波に乗れないことでもなんでもなく、こんな福岡の地で、別に波に乗れるわけでもないのに、サーフスポットを調べて、レンタカーを借りて、大仰なサーフボードと沢山の道具を詰め込んで運ぶ姿だけだった。

 

 

ギターだってそうだろう。何度諦めたってんだ。大きいもので3回、細かいものを入れれば10回でも済まない。

不思議な話だが、ダクソ系のゲームだって、僕はそんなにテクのあるタイプでもないから、めちゃくちゃ諦めた。実際何度も「今日」を投げ出した。今日やることを投げ出して、また次回の自分に持ち越した。

 

 

そう考えていくと、いくつかわかったことがある。

共通点は、「僕は諦めやすい」いや、それは違うな。「諦めが悪いと思っている自分ですら、何度も諦めてしまったことがある」ということだ。そして何より、「いったん諦めてしまっても、また翌日になったら、もう一度不敵な目で怒りと欲望と共に立ち上がり、挑み続ける」ということだ。

 

また、僕は自分の本当に欲しいものに対して、割と封印している傾向にある。

本当は簡単に、もしくはいの一番に手を出すものなのだろうが、ドラッグスターなどいい例だろう。

もしくは世界一周や、ヨーロッパへの旅路などもそれに当たるだろう。

本当に欲しいものに対して、僕はどこか臆病だ。

 

手に入れてしまえば、なんともない。

いや、正確には、手に入れた瞬間や手に入った直後は大変静かに興奮しているわけだが、やがてそれにも慣れる。

そしていつしか、所有していることやその状況にいることが当たり前になるわけだ。

当然である。人間は、慣れの生き物なのだから。前を向いて生きていかなければならないのだから。

 

あぁ、そういう意味ではカラオケなんかもそうなんだろうな。

14歳くらいから歌い続けて、高音がでなくて、歌いたい好きなアーティストの好きな曲が歌えなくて悔しくて。

バンドもやったしヴォーカルもやったけど、それを諦めて。結局あれから16年経った今、尚も進化をやめてなくて、結局GReeeeNの愛唄も、X JAPANのForever Loveも、UVERworldも、silent movieだって歌えるようになっているのだ。

 

 

 

失うことは、怖いことか。

ぷよぷよ、スノボ、サーフィン、ギター、ゲーム、ドラッグスター、世界一周、ヨーロッパ、カラオケ。

書いてはいなかったが、本題であったシェアハウスや会社の設立、路上詩人やイベンターも入ってくるな。

 

どれも、僕にとっては挑戦だった。

どれもが、僕にとって失敗の積み重ねからの成功だった。

初めからうまくいったことは、どれがあっただろう…。

遠目で見れば、ヨーロッパとシェアハウス、イベンターくらいだろうか。

クローズアップで見れば、その中にも細かいアホみたいな失敗も悔しさもいくらでも出てくるのだが。

 

というかここまで書いてわかった。

僕は、最初からうまくいっていることなんて何ひとつない。最初から今の技能だったことも、何ひとつない。

クソみたいな初心者未満なところから這い上がってきただけなのだな。

 

そして、初級者を経て、今や中級者になったものは数多くある。

ただし、上級者になったものがどのくらいあるのかと問われれば、お世辞でスノボ、特に難しくはないドラッグスター、自信を持って旅人、本当の意味では疑問符が残るか10年の意地をもってシェアハウスなのだろう。

 

初級:サーフィン

中級:ぷよぷよ、ギター、ゲーム、歌、路上詩人、イベンター

上級:スノボ、ドラッグスター、旅人、シェアハウス、コミュニケーション、心と言葉

 

なのだな。

 

さて、もう一度問いを立てよう。

失うことは、怖いことか。

僕は何を恐れる。何を怖がる。

本当の失敗とはなんだ。本当の成功とはなんだ。とっていいリスクとは、つまり何だ。

 

 

失うことは、怖い。とても怖い。

信頼も、自己信頼も、恥も、金を失うことも、命を失うことも、誰かを傷付けることも、自分が怪我をするのだって怖い。

初めてやることも、知らないことも、やったことのないことも、強い憧れだったものも、全部怖い。

そう、僕は怖がりだ。元から怖がりなのだから、それは変わらなくていい。

怖くなくなったから挑戦してこれたわけではない。怖いまんま、怖がりながら、いつだって挑んできた。

 

 

本当の失敗は…もうわかってる。

納得した振りをして、諦めてしまうことだ。やらないことだ。やってしまいたいのに、やってみたいのに、やらないままにしておくことだ。それが、本当の意味の失敗、唯一の意味だ。

 

実際にやってみて、「これはなんか違うな」って感覚ならまだいい。それは、実際にやってみての体感なのだから。体の良いごまかしでない限り、これは大丈夫な範囲の判断だ。

 

例えばそれで人に迷惑をかけたり…。と言っても範囲があるのだろうけど。

例えばスノボで人に突っ込んで、半身不随を負わせたなんてものなら、それはもはやヤバい失敗だ。

だから、そうならないように視線は上げる訓練をしたし、スピードを出す練習より、止まりたいときに止まれる練習をした。

 

例えばサーフィンで離岸流に流されて、沖をひとりで彷徨う、なんてこともこれもまた失敗だ。

海難救助隊を出してもらう必要があるし、迷惑というか、もはやもうトラウマになってしまうだろう。

だから、そうならないようにカレントの知識は入れたし、人がいる場所で練習をしていた。

(と言っても最後には流されてしまったのだけれど、そうなったときどうすればいいかの知識はあって、実践できたので本当に良かった。笑)

 

旅先で違法に捕まってしまうことも失敗だろう。テロに遭ったり、殺されてしまったり事件に巻き込まれることも失敗だろう。(どうしようもなく防げない範囲もあるのだが)

シェアハウスの運営や経営がうまくいかなくなって、家を辞めなければならないことも失敗だろう。

 

うーん…。これらは失敗、というより、おそらく【リスク】だ。

 

僕にとっての【失敗】は、やってしまいたいのに、やってみたいのに、やらないままにしておくこと。

つまり、【やる前から諦めてしまって、やらないこと】だ。

 

僕にとっての【リスク】は、自分や他者にヤバい怪我や被害をもたらすこと、命を失ったり金回りがうまくいかなかったり、法律に抵触してしまうこと。

つまり、【自己責任の範囲外にまで及ぶ過度の損失】だ。

 

では、逆に言い換えれば、【とって良いリスク】もしくは【積極的にとって良いリスク】とはこうなる。

即ち【自己責任の範囲内で収められる小規模か適度な損失】だ。

 

確かにそうだ。誰にもそんなに迷惑はかけてないし、自分だってリカバリーできる範囲の話だ。

そしてスノボサーフィンの話や、とーるの話を付け加えるならこうなる。

【初挑戦において度々生じる小さな失敗に対して、あらかじめ知識を入れて対策を立てておくこと】が条件となる。

 

つまり、僕にとって、積極的にとって良いリスクとは

◯必要条件:なんとかなる精神でもいいけど【自己責任の範囲内で収められる小規模か適度な損失】

◎充分条件:小さな失敗に対して対策織り込み済みで【自己責任の範囲内で収められる小規模か適度な損失】

ということになる。

 

そして、本当の失敗とは、【挑戦しないこと】。

そして、本当の成功とは、【出来るまで、リスクをとって挑戦したこと】。

 

挑戦の前に恐れる感情は、【自己信頼の喪失、過度な金銭のロスト、自分や他者を過度に不幸にすること】

挑戦の先で得たい感情は、【内面的跳躍による自己信頼の獲得、金銭による豊かさの享受、自分や他者を幸せにした喜び】

である。

 

これが、僕の、怖がりで臆病者な僕の、挑戦のためのフィロソフィーである。