皆様、あけましておめでとうございます。

 

旧年中はたくさんの方にブログを読んでいただき、感謝の一言に尽きます。

今年も、細々ではありますがお詣りさせていただいた所をご紹介出来たら幸せです。

引き続きよろしくお願いいたします。

 

今回ご紹介するのは、神奈川県藤沢市片瀬にあります寂光山龍口寺です。

こちらは日蓮宗の寺院で、片瀬のお祖師様と呼ばれているそうです。

日蓮聖人が入滅された後直弟子の日法聖人が、延元二年に「龍ノ口法難の霊跡」として、一堂を建立し自作の日蓮聖人像と首の座の敷皮石を安置したのが始まりとされています。

 

日蓮聖人の法難は、松葉谷・伊豆・小松原・龍ノ口とありますが、中でも屈指の霊跡とされる龍口寺は、篤信者であった島村采女が慶長6年に土地を寄進され、現在まで連綿と宝塔が継承されています。

 

この地は、鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』にもよく登場する刑場でした。この地があの有名な龍ノ口法難の舞台となりました。

 

文永8年9月12日、平頼綱により幕府や諸宗を批判したとして佐渡流罪の名目で、鎌倉の松葉谷草庵にいた日蓮を捕縛し連行、翌日の9月13日子丑の刻(午前2時前後)日蓮を土牢から引き出し斬首しようとしたが、(伝承によると)江ノ島方より光の玉がやって来て、光の衝撃で振り下ろした刀が折れ首を刎ねることが出来なかったそうです。

 

こちらへは、小田急江ノ島線片瀬江ノ島駅からは徒歩15分。

江ノ島電鉄江ノ島駅・湘南モノレール湘南江ノ島駅からは徒歩3分です。

私は、湘南モノレールの江ノ島駅から向かいました。

 

駅を出て左に折れ、道なりに歩いて行くと左手の山側に山門が見えます。

すぐ右側を江ノ電が車と並走するのも湘南ならではの景色ですね。

 

 


 

 

石段を上ると、立派な山門が迎えてくださいます。彫刻がとても精巧で入り口から厳かな気持ちになります。

 

 


 

 

山門をくぐると広い境内が眼前に広がります。まっすぐ伸びた石畳の先には本堂が。

 

 


 

 

お詣りできたことの感謝を伝え、御朱印を頂くために本堂内の寺務所へ。

 

書いていただいている間、歴代の聖人様の御像がありましたので、お詣りしながら拝見させていただきました。6体の坐像は経典を読んでいる形で作られていて、対面して座っていると、お経が聞こえて来そうな気持ちにもなります。

 

御朱印を頂いた後、本堂の奥にある五重塔に立ち寄りました。本堂より少し登った所にあります。

こちらの五重塔は明治43年に竣工。木造ケヤキ造りで神奈川県では唯一だそうです。

明治期のものなので、流石に近年では老朽化が目立つとのこと。ぜひ長く残して後世に伝えてもらえたらと願います。

 

 


 

 

そこに書いてあった説明を読み、初めて知ったのですが、現在の卒塔婆の形は五重塔をイメージして作られたものなんだそうです。言葉の由来はサンスクリット語の「ストゥーパ」。元々はお釈迦様の骨を収めた塔を「ストゥーパ」と読んでいました。

五重塔のような多層塔は奇数にほぼ限定されていて、下から地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、空(宝珠)からなるもので、それぞれの5つの世界(五大思想)を示し、仏教的な宇宙観を表しているそうです。

これを見て感じたのは、曼荼羅もそうですが紙に書かれたものだけが教えではなく、立体的なものでも表現している事に改めて敬服します。

 

 

 

 

一度本堂のほうに降りてから反対側の山に登ると、白くて立派な仏舎利塔が現れました。昭和45年に藤井日達上人により建立されました。塔内には仏舎利が安置されています。

 

 


仏舎利塔にお詣りして振り向くと、江ノ島や相模湾を望むことが出来ました。そう言えば本堂からお稲荷さんを経由してやっとの思いで辿り着いた仏舎利塔でした。だいぶ高いビルが建ってしまいましたが、お釈迦様は静かにこの景色を眺め続け人々の幸せを思い続けているのかも知れません。

 



一つ珍しかったのは、仏舎利塔に行く途中、経八稲荷堂の横に歯骨塚という碑を見つけました。日蓮聖人は数本の歯を失った際に、自らの生命を支えてくれた分身として、感謝を込めて仏前に歯を供え毎月礼拝したそうです。その後弟子達がこれを「御肉牙」と称し、立派な容器に収めて後代に供養会を行いました。現在は藤沢歯科医師会が供養会を行っているそうです。

実は私、少々虫歯が多く、こっそりこれ以上虫歯にならないよう、歯を大事にする事を願いました(苦笑)

 

その上にはひっそりと建つお堂が。これは七面堂といい、七面大明神を祀りたいと考えていた日蓮聖人の死後、日朗上人と日円上人がお祀りしたのだそうです。

 

仏舎利塔から降りてくると、龍ノ口法難の際、日蓮聖人が入れられていたとされる土牢や、龍口寺に寺領を寄進した島村采女をはじめ島村家代々のお墓などを見ることが出来ました。

 

もう一つ珍しかったのは、龍ノ口法難750年を記念し中山法華経寺から移築された梵鐘です。「延寿の鐘」と言いお経を唱えながら一度撞くことが出来ることです。

 


 

 

注意書きには、「優しく一度ついてください」と書いてあったのですが、何せ普段梵鐘など撞いたことがありません。加減がわからず思いの外大きな音が出てしまいました。

 

 


 

 

私の話になりますが、近くに公立の幼稚園がなく日蓮宗のお寺が運営している幼稚園に通っていました。その頃は色んな歴史があることなど知る由もなく、本堂に行くことが薄暗くて怖かった記憶が鮮明に残っています。

 

 

本日7日にまた1都3県緊急事態宣言が出てしまいました。

かくいう私も、職場ではコロナとの戦いを年末から続けています。

自分の身を守りながら、周りの人達の身体を気遣う日々です。

まだまだ出口が見えませんが、気持ちが折れないよう頑張ります。

 

 


 

 

明けない夜はない事を信じ、一緒にこの苦難を乗り越え、再び色んな神社・寺院を訪れ平穏のお礼に参りましょう。