2024年 3月15日(金) 15時開演   成城ホール

小倉百人一首  うたくらぶ  主催

 

百人一首の歌だけでなく、他の和歌、詩歌 にも曲をつけていらっしゃる作曲家の伊能美智子先生がピアノの伴奏をお弾きになって、このグループの方が歌われるという形のコンサートでした。

伊能先生が、少しお話をなさって、歌の方が出てきて、その歌を朗唱?されてから曲が始まって歌われるという形でした。

和歌は決められた字数の中にどれだけ心情を込められるか、はたまた情景を歌っていても心情に通じるものがあるわけです。それを読む方が頭の中でいろいろ解釈したものを浮かべながら、その曲を聴くわけです。

人によってそれぞれの解釈というものもあるかと思うのです。

今までも、いろんな歌集から採られたものに曲がついているものを聴いてきました。

作曲家の方も、その和歌に込められている心情をどう音楽の形に表していくかという観点で作曲されているのだろうと思いました。自分の読みとった思いを音楽にされていることが今回よくわかりました。

 

プログラムは、百人一首の歌を3つのテーマで分けて、和歌をまとめて歌うとのことで、季節の歌、恋愛の歌、雑歌 というテーマごとにまとめてあったのですが、季節の歌、恋愛歌の後に近現代の作品が演奏されました。

この部分があることで、同じ和歌の歌であっても現代の生活感にあるものは、その内容に応じて音の中に反映されやすいわけです。

例えば

“父が寝る土曜の午後のハンモック”

という俳句に付けられた曲は、ゆらゆら揺れている音形が使われていて、より身近に感じられましたし、

“夏の日にウィンドサーフィン海走る風のメロディー波音に乗り”

という短歌に付けられた曲には、若者らしい明るさが溢れておりました。

 

やはり小倉百人一首の世界の歌は。ちょっと生活感に根ざしているというわけではないので、聴く時に、自ずと限界があるようにも感じました。

やはり、言葉に限界があると、音楽もこれから流れていこうとする前に終わってしまうところがあるのです。

 

「けふ」という竹久夢二の詩に付けられた歌は、ある程度の長さと内容がありますので、より深い表現に結びついていくことができたようにも思います。

「君死にたまふことなかれ」の与謝野晶子の詩に付けられた曲では、よりそういった感じがしました。詩自体に畳み掛けるリズムが備わっているのですから、全く自由なわけではありませんが聴いていて詩の内容に触れていくことができるわけです。

 

以前、他の作曲家の作品でよく歌われている、《和泉式部の歌》を勉強したことがあるのですが、短い曲の内容をどう表現するかがとても難しかったように思います 。

 

短歌の中に封じ込まれた内容を、別の表現方法である音にするという難しさを感じました。

しかもその世界が、今の生活感にない世界もあるのですから………

 

このコンサートにお招きいただいたのは、以前コロナ前に通っていた「イタリア語のディクション」でご一緒した姉妹です。

今回はデュオとして演奏されました。かなり難しい内容の、音程もかなり難しいと感じられる歌をお2人で演奏されていました。声の音質も良く似ていらっしゃるので、とても短くて、ともすると、あっという間に終わってしまいがちな歌を、かなり印象深く表現されていました。

このご姉妹の歌が入ることで、音の感覚がより豊かになり演奏が充実していくのです。

このデュオとしての演奏をまたお聴きしたいと思いました。新鮮な感覚でした。