10日前に、行ったばかりの王子ホールに行きました。
ホールは、同じでも、何が演奏されるかで受ける印象が違います。
不思議なものです。
今年は王子ホールができて25年だそうです。
銀座のど真ん中にあるホールです。
その王子ホールマガジン秋号という冊子に、キャロリン・サンプソンのインタビュー記事が載っていました。
この方は10年以上にわたりBCJ (バッハ コレギウム ジャパン)と一緒に歌ってきた歴史があるようです。
この前の「ポッペアの戴冠」が初BCJだった私は、当然彼女の歌を聞いたことがありません。
しかしイギリスの方で、古楽をまず勉強してから、その後、歌曲、オペラと進んで来られたとの経歴に惹かれたと申しますか、それに歌うプログラムがちょっと変わっていたのです。一度聴いてみたいと思ったのです。
インタビューの記事には今年はスコットランドで初めて「ペレアスとメリザンド」を歌ったということが書いてありました。
宗教曲や、歌曲にとどまらず 、曲目は選んでいることと思いますが、オペラにも参加し、歌の技術を身につけてきた方のようなので、今度は是非できれば「ペレアスとメリザンド」の曲もお聴きしたい なと思いました。
花に寄せてのタイトルのように、前半はバラに寄せた 曲がなんと、英語、ドイツ語、ロシア語、フランス語の4ヶ国語で歌われました。作曲年代も様々でした。12曲です。
ここのタイトルが「さまざまなバラに寄せて」です。
パーセル シューマン クィルター ブリテン グノー フォーレ それR・シュトラウス
それらを見事なまでの完成度で歌いました。
英語から、ドイツ語に移った時、インタビューの記事に載っていたように子音をきちんと発音し、美しいドイツ語に一瞬にして変化したのには驚きました。言葉とメロディーは歌曲の場合、細かく結びつき、一瞬にして違う世界観になるのですが、それが鮮やかにしかも的確に変化したのです。同じプログラムで、リサイタルを組んだり、CDを録音したりしているので、これだけ緻密に歌われたのだろうと思いました。
ロシア語の歌は一曲だけだったし、ブリテンの作曲でプーシキンの詩だったのですが、曲想の感じもあって、ロシア語の歌としてどうであるかは判断できませんでしたが、最後の二つのフランス語の歌は、言葉が変わると、さっとそれまでの雰囲気と変わっていく見事さにびっくりいたしました。
英語圏の方が他の言語で歌われるときの、英語訛りの〜語という感覚はそこには少しもうかがえませんでした。
見事にその曲の持っている色に変身していくのです。どのバラもそれぞれの美しさで咲き誇っているのです。
後半は、「花々のおしゃべり」、「フランスの花束」と2つのタイトルで歌われました。
前半はシューベルトとシューマン
後半は、プーランク フォーレ アーン ドビュッシー プーランジェ シャブリエ の6人の作曲家による7曲でした。
ドイツ語のシューベルト、シューマンの言葉も美しかったですが、最後に控えていたフランス語の曲は、前半との美しい対比のようでした。
子音の多いドイツ語から、流れるようなフランス語になると、その美しさが倍になるように思いました。効果的なプログラムでした。
一部がどうしてもいろんな要素があって、さまざまな特徴が出てきていたのを、(それはそれで面白かったのです) 後半は二つのくくりでしかも見事に歌われたのです。
それは言葉だけでなく、さまざまな音色、声の色といいますか、それを使い分け、後半は特にフォルテは思い切りフォルテを使い、弱音では思い切りピアニッシモを使い、後半の曲はそのダイナミズムの差が、よく使われ、淀みのない声で美しく響いておりました。
それに忘れてならないのが、ジョゼフ・ミドルトンのピアノです。
ピアノ伴奏ではなく、お互いが同等の立場で表現しているということがよくわかりました。一番最初のパーセルの「バラの花より甘く」の出だしの音の美しかったこと。
このいくつかの音でこのピアノの方の感性がとても優れているものであることがよくわかりました。
この方のピアノの音と、サンプソンの声で、その緻密に構築された作品として受け取ることができました。
フォーレの「捨てられた花」などが歌われてその声が消えた直後、会場からフーッとため息が聞こえました。
それは心からの賛辞だったのです。