ついに日本でも発売になったiPad。

そのiPadの模倣品と思しき機械が既に中国で製造され売られているという。

OSはgoogleのAndroidを搭載し動作も本家に引けを取らないスムーズさ。

その名も「iPed」。

上の動画はこのことを報じた日本のニュース。

中国が模倣品を作ったことやaをeに変えたていどのことはなんてことはなかったのだけれど、付属の取り扱い説明書に書かれた商品名が「APad」となっているのを見て爆笑した。

爆笑したのは日本と中国の価値観の差の大きさに衝撃を受けたからだ。

日本なら、正常に動作する正規品ですら、そのパッケージなどの付属物に同レベルの誤植があったなら、恐らくクレームは一つや二つじゃ聞かないだろう。返品・返金、もしくは交換を迫る者も多いに違いない。だから同じようにコピー商品を手にするとしても、日本の場合はそれ風な物ではなく、精巧に真似られたスーパーコピーでないと成立しないのだろう。

一方の中国は、名前がちょっと違うことや、付属物と本体の名称に一貫性がなかったとしても、本体の使用価値が十分ならそれで成立するということなのだろう。本物とかニセモノの区別はなく、恐らくは使えるか使えないかが大切なのだ。これは大雑把ともいえるが、非常に合理的だともいえる。

この感性でいくと、例えばルイビトンのカバンの地に付いたロゴのLVがLUとなっているコピー商品があったとして、色味やレイアウトが大体同じで使えるなら、平気ということかもしれない。

日本ならLUなんて書いてあるものしか使うことが出来ないのなら無いほうがマシと考えるはず。それは仮に本家LVのバッグよりもLUのバッグの方がどんなに機能性に優れていたとしてもである。