【穂日島】安来市の史跡とパワースポット その⑤ | 徒然なるままに山と歴史を・・・

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2024年8月 島根県安来市の史跡とパワースポットを巡ってきました。

その⑤ 穂日島 です。

 

 

 

 

今日も米子城三の丸のガイダンス棟から出発です。

 

米子城の下を抜けて国道9号に合流し、深浦橋を渡ります。新加茂川の南岸には愛宕山があります。

 

深浦橋の下流はすぐに中海です。

 

少し行って歩道橋に上ると、米子城と飯山が見えました。

 

国道9号から逸れて錦海町に行ってみます。

 

埋立地の北端にある錦海公園に入ります。

 

甲子園で熱戦が行われている中でも、球児たちはそれぞれの地元で練習していました。

 

公園を突っ切って中海に出ました。護岸の向こうが米子城です。その左に米子食品団地が見えます。

 

更に左の対岸に突き出す八尋鼻から安来市です。

 

その右の方に安来市側の埋立地のふれあい公園が見えます。

 

護岸に沿って歩いていくと遊歩道がありました。午前中から日差しが強く、日陰をたどっていきます。

 

少し行くと道路と遊歩道が分かれ、並行して続きます。10分程海沿いを歩いていくと穂日島が見えてきました。

 

中海には鳥取島根の県境線が通っていますが、穂日島は島根県側にあります。向こうには道の駅が見えます。

穂日島は天照大神の子の天穂日命(アメノホヒノミコト)が、地上を平定する為に降り立った所とされています。天穂日命は平定するはずの出雲の大国主命に心服してしまい、大国主命に使えるようになりました。出雲国造家は天穂日命の子孫で、他に相撲の始祖である野見宿祢も穂日の子孫です。更に菅原道真や毛利元就は野見宿祢の末裔です。

 

穂日島を見ながら海沿いを歩いていきます。

 

穂日島の対岸は安来市穂日島町です。右の大きな築山は中海ふれあい公園の目印です。

 

錦海町の淵をぐるっと回って国道9号に出、少し行くと島根県に入ります。

 

昭和15年に設置された県境の標識です。

 

県境から700m程行った所に道の駅あらエッサがあります。ちょっと寄って休憩していきます。

 

穂日島を島根県側から見てみようと、道の駅の丁字路をまっすぐ北へ向かいます。

 

中海橋を渡って穂日島町に入ります。

 

中海ふれあい公園に入ります。

 

埋立地である穂日島町は周囲を石で護岸されていますが、そこへは深い芦や藪を搔き分けて行かなければなりません。

 

大山が見えましたが、山頂は隠れています。

 

草むらの上の舗装された所を歩いていくとベンチがありました。

 

ベンチのずっと後ろにある築山に登ってみます。

 

北西に八尋鼻方面

 

北に米子港・食品団地方面

 

北東に米子城・愛宕山

 

東に大山

 

南に要害山

 

大山のずっと手前に穂日島がちょっとだけ見えます。

 

再び道の駅に戻ります。

 

鳥取県に入って150m程行くと、江渕橋から穂日島が見えました。

 

深浦橋からは深浦神社が見えました。

 

米子城三ノ丸に戻ってきました。

 

 

【神代塚古墳・志布佐神社】安来市の史跡とパワースポット その⑥ に続く・・・