今日は誰もが一度は何かで知っているであろう新宿二丁目のお話を少しだけ。



八子が初めてこの街に足を踏み入れたのは今から40年前の十歳の頃だった。


もちろん自ら行ったのではなく親しいお姉さんに連れていかれたのがきっかけだ。


今は多様性の時代だが

当時はとてもアングラ感が漂う街だった。

ゲラゲラと品のない笑い声をあげる化け物オカマの達の瞳の奥には何か悲しみが潜んでいるような... 


本来【女】が出入りしてはいけない空気感の街。

実際に【会員制】のお店も多かった。

八子が一人で出入りするようになったのは16歳。そこから数年前まで。それはそれは長い期間の遊び場だった。

八子は大御所のオカマさんとよく話が合った。

十歳にして衝撃を受けたその名も【金玉枝(キンタマエ)】と言うおかっぱのズラにセーラー服を着ていたオカマさんは後の八子の二丁目遊びで大御所オカマさん達との話題の共有に。

「アンタすっごいとこぶっ混んでくるわね?!」と、いった感じでね。

しかし、昔のオカマさんの多くが生きづらさを背負った苦労人ばかり。

親に打ち明けられない胸の内や恋愛問題等で自ら命を絶つ人間も少なくなかった... 

そんな何かが渦巻く新宿二丁目はとても空気が重く息苦しい感じを八子に与える反面、内容は違えど【何かを抱える】身として共感できる人が多いい事から二丁目に安心感すら感じていた八子だった。

もちろん、創価の人間が多いのも納得。

時代がドンドン女を受け入れる街に変わっていった。

一番は景気が悪くなった事から夜の女の子達が出入りしやすくなった。

二丁目では【金さえ払ってくれたら】と言う言葉を多く聞くようになった。

金額もリーズナブルな店が増え八子も梯子する店が増えていった。

近年はゲイの子達も若い女の子達とフレンドリーな関係性になってきているように思う。

ただ、八子はニューハーフだけはイマイチ馴染めない本音もあった。

単純に料金の割に御高く止まってる人が多いと。女として見下されてる感がとてもあった。

最後に【ザ・ノンフィクション】にも取り上げられた【クイン】のりっちゃんは勿論二丁目デビュー時には八子の胃袋も満たしてくれた。

お嬢さんと同い年だった未成年の八子にかけてくれた言葉は今でも忘れない。