池田先生と翻訳家バートン・ワトソン博士2024年7月1日

  • 御書は人類全体の“宝物”

 米コロンビア大学のバートン・ワトソン博士は、司馬遷の『史記』を初めて英訳した世界的な翻訳家。「法華経」「御義口伝」や池田大作先生の著作も英訳している。1990年(平成2年)7月1日、創価大学からワトソン博士に名誉博士号が授与された。先生は博士と6度にわたって対談し、友情を育んだ。

 
◆庶民の生活の薫りに民衆仏教の意義

 太平洋戦争が終結した1945年(昭和20年)、20歳のワトソン博士は、東京湾の海上でアメリカ海軍の兵役に就いていた。
 週に1度、日本への上陸が許され、東京や横浜などを散策した。その時に見た戦争の傷痕――広大な焼け野原、破壊されたビルの数々が脳裏に焼き付いた。こうした出来事が、東アジア研究を志す原体験となった。
 兵役を終えた後、コロンビア大学へ進学する。中国文学を学び、51年(同26年)から4年間、京都大学に留学。56年(同31年)、司馬遷の研究で、コロンビア大学の博士号を取得した。
 博士と池田先生の最初の出会いは、73年(同48年)12月4日。翻訳に関する意見交換のほか、文学と仏法など学問百般にわたる語らいは3時間に及んだ。
 対談の折、先生は「いつの日か、鳩摩羅什訳の『法華経』の英訳をお願いしたい」と要請。博士は快諾した。
 博士が、最初に翻訳に取りかかった学会出版物は、先生の著書『私の釈尊観』である。原著は対談形式だが、読みやすさを考慮し、先生の了承を得て、叙述形式で翻訳を進めた。
 博士は「釈尊にかかわる池田会長の著作を翻訳したことは、私にとって最も重要なステップ、仏教教義の起源とその後の流れを学んでいく上での貴重な第一歩となった」と述懐している。
 『私の釈尊観』の英語版『生きているブッダ』は、76年(同51年)に発刊。ハーバード大学ではかつて、仏教学講座の教材に使用された。77年(同52年)には、『私の仏教観』の英語版が発刊されている(英題『仏教――最初の一千年』)。
 79年(同54年)、「佐渡御書」など、英訳36編を収録した『英文御書解説』第1巻が発刊された。監修を務めたのが博士だった。博士は、御書の重要性をこう強調した。
 「日本宗教思想史上、最も重要な一書が御書である」
 「世界的に宗教文献の古典というべきであって、この価値からしても全世界の人々が手にして読めるようにしなければなりません」
 また、「(御書は)日本、東洋だけでなく、人類全体の“宝物”です」と断言した。
 『英文御書解説』は2年に1度のペースで第7巻まで刊行された。その全巻をまとめた『英訳御書』上巻が99年(平成11年)に完成。2006年(同18年)には下巻が刊行された。
 『英文御書解説』と並行して、『英文御書選集』発刊の作業も進められた。同書には、御書の五大部をはじめ、「異体同心事」など12編の御書が収録された。
 博士は、感銘を受けた御書の一つに、「種々御振舞御書」を挙げている。
 「竜の口の刑場に向かわれるくだりの描写は劇的です。それは珠玉の文学作品の薫りもたたえているといえます。佐渡の苦しい生活の中でのお振る舞いについても深い感動を覚えました」
 「御書には平安時代には見られなかった庶民の生活の薫りが込められており、民衆の仏教の意義を映し出すものとして新鮮です」

『英文法華経』を手がけたワトソン博士と池田先生が対談。約4時間にわたって「法華経の世界」を中心に、さまざまなテーマを論じた(1992年5月、兵庫の関西戸田記念館〈当時〉で)

『英文法華経』を手がけたワトソン博士と池田先生が対談。約4時間にわたって「法華経の世界」を中心に、さまざまなテーマを論じた(1992年5月、兵庫の関西戸田記念館〈当時〉で)

 
 
【池田先生】

“先駆者”には、常に、
人知れぬ苦労があります。
博士の訳業は、時とともに
光り輝いていくと確信します。

 
 
【ワトソン博士】

原典から「生きた声」を聞き取り、
思索し、訳文を練り上げて
初めて「生きた訳」ができる。
 

 
◆できる限り分かりやすく

 1983年(昭和58年)2月4日、池田先生とワトソン博士は2度目の対談を行った。
 博士の翻訳によって、随筆『ガラスの子どもたち』(先生の著書『私はこう思う』などから編集)、写真詩集『わが心の詩』などが発刊されていた。先生は、博士の功労に感謝を述べ、翻訳家としてのさらなる活躍に期待を寄せた。
 この対談の後、博士は、73年の語らいで先生から要請を受けた鳩摩羅什訳の法華経の英訳を開始する。
 現存する法華経の漢訳は3種ある。その中で、最も優れたものとして知られるのが鳩摩羅什が訳した「妙法蓮華経」。博士が苦慮したのは、それをいかに平明で、滑らかな英語にするか、であった。こう述懐している。
 「私は、自分の翻訳文に決して古風な英語を使うことはない。むしろ、できる限り分かりやすく、最も心地よい響きの現代英語にするよう心がけている。この方針こそ、私が『英文法華経』で目指した目標であった。釈尊自身、仏教の教えは大衆が日常使う言葉で表現すべきだと語ったと伝えられているからである」
 89年(平成元年)12月22日、先生と博士の3度目の対談が行われた。法華経の英訳の完成が近づいていた。
 先生は、博士に尋ねた。「今回の翻訳作業を通して、博士ご自身は、法華経について、どのように感じられましたか」
 博士は答えた。
 「まず感じたことは、『明るい』ということです」「全編に明るい躍動感がみなぎっています」「第二に、ストーリーの『壮大さ』に圧倒される思いです。時間や空間の表現も、『永遠性』と『無限大』をはらんだ大いなるスケールをもって展開されています」
 先生は「“法華経の壮大さ”は、実は我々の“生命の壮大さ”自体に基づいています。そして、その素晴らしき世界を人類に伝えんとした釈尊の“慈悲の広大さ”をも、表しているのではないでしょうか」と応じた。
 92年(同4年)、英訳がついに完成。5月22日、先生と博士は、兵庫の関西戸田記念館(当時)で喜びを語り合った。
 「法華経を翻訳されたワトソン博士の偉大な功労は、必ずや亡くなられたお母さま、お父さまへの孝養となっているでしょう。またご家族の子孫までもその功徳が届きゆくことを確信します」
 先生の言葉に、博士は胸を震わせた。自分だけではなく、家族にまで思いをはせる先生の真心に、仏法者の振る舞いの真髄を感じたのである。
 先生は「この一書を世界に紹介する意味は計り知れません」と、「御義口伝」の英訳を提案した。博士は応じた。
 「次の新たな希望を与えていただいたようで、大きな励みとなりました。意義ある仕事をできることは、人生の充実であり、大変うれしいことです」
 その後、博士は「御義口伝」の英訳に取り組み、2004年(同16年)末に発刊された。
 先生は第3代会長に就任後、早い段階から御書の英訳を推進した。英訳をもとにして、他の外国語にも重訳していくことが可能となるからである。
 今、御書は10言語以上で翻訳・出版されている。博士の訳業、先生との友情は、不滅の光彩を放ち続けるに違いない。

2005年5月、30年来の交友を結んできたワトソン博士㊨と語り合う池田先生。池田先生は博士を讃え、「文化と学術の功績は、創価学会の歴史に厳然と残ります」と語った(創価大学で)

2005年5月、30年来の交友を結んできたワトソン博士㊨と語り合う池田先生。池田先生は博士を讃え、「文化と学術の功績は、創価学会の歴史に厳然と残ります」と語った(創価大学で)

ワトソン博士が英訳に携わった池田先生の著作と『英訳御書』『英文法華経』『御義口伝』

ワトソン博士が英訳に携わった池田先生の著作と『英訳御書』『英文法華経』『御義口伝』