〈文化〉 ご当地「駅メロ」を巡って 昭和歌謡がつなぐ人と絆 藤澤志穂子(昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員)2024年5月9日
- 日本独自の鉄道文化
- アーティストの協力も
藤澤さん
JR福島駅前に設置された古関裕而のモニュメント(藤澤さん撮影)
地域一丸の町おこしに
「昭和歌謡がブーム」という話を耳にする。レコード人気が復活、1970~80年代のシティーポップが世界中でヒット、といったトレンドが背景にあるのかもしれない。だが私には、インターネット社会に対する反動があるような気がしてならない。
リズムやダンスが中心の最近の歌とは違い、昭和歌謡には、曲ごとに時代を映したドラマがあり、歌の情景を思い起こさせ、時には自分の人生を重ね合わせる何かがあったように思う。その根底にあるのは、現代では希薄になっている「人と人とのつながり」ではないだろうか。
近著『駅メロものがたり』(交通新聞社新書)は、全国18駅で流れるホームの発車・接近メロディーと町おこしのエピソードをまとめている。
駅メロに使われている曲は、誰もが知る地域ゆかりのスタンダードであり、必然的に昭和歌謡が多い。実際にホームで流れるのは数十秒にアレンジされた特別版だが、その実現までの経緯は、地域住民や関係者が一丸となった「汗と涙の物語」であり、こちらも「人と人とのつながり」なしでは語れない。
例えばJR福島駅(福島市)の「栄冠は君に輝く」は、全国高等学校野球選手権大会の歌である。「甲子園の歌がなぜ福島で?」と思われるかもしれない。
これは作曲した古関裕而が福島出身という縁から、2009年の生誕100周年を契機に地元の青年会議所が主導して実現。その後、遺族の協力もあって、古関夫妻の愛情物語がNHKの朝ドラ「エール」(2020年)として結実した。東日本大震災からの復興支援の願いもあった。
JR横手駅(秋田県横手市)の「青い山脈」は、同名映画の主題歌だ。
物語は作者の石坂洋次郎が近くの高校で教えた経験がベースであり、市内にある記念館は、石坂を父のように慕い、映画にも出演した俳優の吉永小百合さんが支援している。
「駅メロ」は震災復興支援のために市職員が発案、音楽コンクールの入賞経験があった中学生(少年)がアレンジして2011年に実現した。世代を超えた協力が地域を盛り上げた。
JR津久見駅前の歌碑を見て「なごり雪」の世界に(同)
地元を誇りに思う気持ち
JR仙台駅(仙台市)の「青葉城恋唄」は、仙台で活動を続けるさとう宗幸さんのデビュー曲で100万枚の大ヒット、今や「ご当地ソング」の代表格だ。
ヒットのきっかけは1978年の発表当時、旧国鉄の仙台駅長が郷土の青年の挑戦を応援しようと、駅構内で曲をかけまくったことだった。その後、音源は何度か変わり、現在は仙台フィルハーモニーが奏でる生演奏音源が東北新幹線のホームで流れている。
JR津久見駅(大分県津久見市)の「なごり雪」は、イルカさんの歌で有名だが、作詞作曲はこの街出身の伊勢正三さん。歌詞の舞台は東京だが、実際は温暖な九州で「降ってはすぐとける雪」がモチーフという。
「地域を元気にしたい」という当時の駅長の発案に市民が共鳴して2009年に実現。併せて伊勢さんが駅に寄せたメッセージの石碑が建立された。津久見にはその後、伊勢正三さんの楽器や衣装などを展示する資料館「海風音楽庵」が設立され、全国から音楽ファンが集まるようになっている。
津久見は「何の変哲もない地方都市」の一つだったが、駅メロを契機に、市民が故郷を誇りに思う気持ちが生まれてきたようだ。
ちなみに「駅メロ」は日本独自の鉄道文化でもある。時間に厳格な日本で、発車を知らせるベルが、国鉄民営化を契機に顧客サービスの一環からメロディーに進化してきた経緯がある。対して海外では、列車は定刻になると音もなく静かに滑り出すのが一般的で、メロディーとして発達する余地がなかったのだろう。
日本独自のこの文化をぜひ、外国人旅行者の皆さんにも体験してほしいと願う。
例えばJR/京急川崎駅は坂本九の「上を向いて歩こう」だ。「SUKIYAKI」のタイトルで1963年に全米ナンバーワンヒットになった歌謡曲。もしかしたら、坂本の記念館が川崎にできれば、より多くの人が来てくれるかもしれない。
ふじさわ・しほこ 元全国紙経済記者、昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。米コロンビア・ビジネススクール客員研究員、放送大学非常勤講師(メディア論)、広島県の公立大学の広報課長などを歴任。現在は外資系コンサルティング会社勤務の傍ら執筆を続ける。著書に『学習院女子と皇室』『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』などがある。