〈未来部育成のページ〉 未来ジャーナル主催 第12回「読書感想文コンクール」最優秀賞作品2024年2月9日

  • 良書との出あいを成長の糧に

 未来部育成のページでは、第12回「読書感想文コンクール」(未来ジャーナル主催)で最優秀賞に輝いた作品を紹介します。いずれも良書との出あいを糧に、自分らしく成長しようとの心情が、みずみずしいタッチでつづられています(「きぼう作文コンクール」の最優秀賞作品は1月12日、26日付に掲載)。
 

【中学生の部】
東京・1年 大方心希花さん
「ウクライナから来た少女 ズラータ、16歳の日記」ズラータ・イヴァシコワ

少女が教えてくれたこと

 二月二十四日。「それ」はついに始まってしまった。ロシアによるウクライナへの侵攻だ。日本にいた私にも大きな衝撃を与えた。私はすごく驚いたし、同時に不安になった。
 
 その時、ウクライナのドニプロで私と同じ思いをしていた十六歳の少女がいる。名前はズラータ・イヴァシコワ。ズラータは祖母の家で日本語の本を見つけて、そこからどんどん日本の魅力にハマっていった。ほぼ独学で日本語を学び、日本の漫画や本も好きで読むようになったのだ。
 
 この本は、そんな日本が大好きなズラータが、ウクライナからここ日本に避難するまでの話。ズラータ自身の思いや気持ち、考えなどがよく書かれている。また、挿絵もズラータが描いていて、そこから避難の厳しさが伝わってくる。
 
 私がこの本を手に取ったのは、ウクライナの少女はどんなことを思って、日記にはどんなことが書かれているのか気になったから。初めは気になった、という単純な理由だけで読み始めたこの本。まさか、これからの人生を生きていく上ですごく大切なことを教えてもらえるとは思ってもいなかった。
 
 読んでみると分かるが、ズラータの避難生活はすごく過酷なものだった。戦争のせいでいつ来るか分からない電車を、寒い中何時間も待ち、電車やバスを何度も乗り換えて、四十二時間かけてやっと最終目的地だったシェルターに到着。何日か経ち、ビザも取れてついに飛行機に乗れると思ったら、コロナウイルスにかかってしまった。コロナが治るまでここに残って隔離生活を送らなければいけないのだが、ズラータにそんなお金はなかった。
 
 「ホテルを探しましょう」
 
 困っていたとき、そう言ってくれたのは、なんとウクライナに来ていた日本の取材スタッフの人だった。ズラータは、避難の途中で日本の取材スタッフに話しかけて連絡先を交換し、取材を受けていたのだ。こんなところで日本人がズラータを助けていたのは、正直とても驚いた。そして私は日本人としてすごくうれしかった。取材スタッフはズラータと一緒にホテルを探し、料金も払ってくれた。
 
 ズラータの日本への避難の旅は、過酷で、大変で、つらかったと思う。しかし、そんなズラータに日本の取材スタッフをはじめ、たくさんの人が手を差し伸べてくれた。それは、ズラータがいつも前向きに未来を見ていたからだと思う。どんなにつらくても、ズラータは絶対に日本に行くんだという強い意志を持って耐えてきた。ズラータには大好きな日本に行って、大好きな漫画を描く漫画家になり、お母さんを幸せにしたいという夢があった。だから頑張ってずっと耐えてきた。「明日はきっと、何か道が開けるだろう。そう信じよう」というズラータの言葉もこの本に載っている。そんな夢のために、お母さんのために頑張っているズラータの姿を見て、人々はこの少女を救ってあげたいと自然に思うようになったのだろう。
 
 では、もし私がズラータの立場だったら、どうだろう。私を助けてくれる人はいるのだろうか。答えは「いない」だ。これは、私の周りの人が悪いとか、そういう問題ではない。私がいけないんだ。私はズラータのように物事を前向きに考えることができない。寒いのに何時間も電車が来ないなら、諦めてしまう。コロナウイルスにかかって飛行機に乗れないなら、そういう運命なのだと勝手に勘違いして、どんどん悪い方向へと考えてしまう。だから、誰かが助けてくれる前に、私が現実から逃げてしまうのだ。
 
 でも私は、本の中でズラータにこう教えてもらった。“先が全然見えないときでも、前を見て生きていれば、少し先にはきっと出口が見つかる”と。そうやって未来に希望を見いだして過ごしていれば、困っているときや悩んでいるときに救ってくれる人も現れる。そのこともズラータから学んだ。
 
 これから私はさまざまな壁に直面するだろう。そんなとき、力をくれるのは、きっとこの本を読んだ経験だ。「今日できることは、明日もできるとは限らない」というズラータの言葉。実際に戦争を見てきたズラータが言うから、すごく重みがある。でも本当にそのとおりだ。だからこそ、物事を悪いほうへと考えるのをやめて、今を精一杯生きたい。この本と、ズラータと出あった今ならそれができる気がする。苦しいことがあっても、ズラータを思い出せば頑張ろうと思える。
 
 ズラータ、本当にありがとう。ズラータが教えてくれたことを生かして、私はこれからを生きていこうと思う。今日も明日も、つらくても苦しくても、いつだって前を向いて歩いていこう。私の隣にはズラータがついているから。
 

【高校生の部】
大阪・3年 藤野美紀子さん
「老人と海」ヘミングウェイ

信じ待つ人の力

 再読というのは面白い。同じ本を読んでいるはずなのに、その時によって受ける情感が異なるからだ。それはそのまま自身の内面の変遷を見るようで興味深く、私の好む読書法のひとつである。この『老人と海』もまた、その楽しみにふけろうと手に取った「再読本」であった。
 
 本を開くと、あの時の感動がまざまざとよみがえる。そこには五年前と変わらない景色が待っていた。この物語は、老漁師・サンチアゴがひとり漁に出るところから始まる。それまで長く不漁が続いていた彼だったが、この漁では、その魚影を見ただけで息を飲んでしまうほど大きなカジキと出あう。その悠揚迫らぬ大魚の姿に感嘆の情を抱きつつも、彼は漁師の誇りをかけて三昼夜にわたる戦いを繰り広げる。そして、ついにサンチアゴが大魚の心臓に銛を突き刺したあの瞬間、私はまるで一枚の名画を見ているかのような錯覚に陥った。その決闘の荒々しさもさることながら、大魚の鱗のきらめきまでも私の心に描き出してしまうヘミングウェイの筆づかいは、私の心を捕らえて離そうとしない。まるで澱みなく流れる水のように、私はあっという間にこの本を読み終えようとしていた。
 
 「そりゃ海は優しくて、めっぽうきれいだ。でも、同時に、ひどく冷酷になったりもする」
 
 サンチアゴは海の峻厳さについてそう語った。私にとってこの言葉が印象的だったのは、それが「夢を追うこと」の厳しさをも端的に言い表していたからだろう。
 
 二年前の春、私は海外大学への進学という華やかな夢に胸を躍らせ勉強を始めた。そう舟を漕ぎ出したは良いものの、その先に待っていたのは終わりの見えない不漁の連続と、それにしがみつく孤独な自分自身だった。そうやって広大な海にひとり浮かぶ私はまさに、進むべき方向を失いかけた漂流者だったと言える。そんな私の目には、自身よりはるかに大きいカジキに怖じることなく立ち向かうサンチアゴの強さが不思議でならなかった。一体どうして、彼はあの大魚に勝つことができたのだろう。
 
 この答えを探す鍵となったのは、主題である力強いストーリーと対照的に描かれた、村での孤独なサンチアゴの姿である。かつては「エル・カンペオン(最強)のサンチアゴ」と人びとから称えられていたサンチアゴだが、八十四日間の不漁という事実は、その称号を失わせるにはあまりに十分だった。誰もが彼を「サラオ(不幸のどん底)」と揶揄し、海に見放された孤独な老人へ憐みの眼差しを送っていた。しかし、その中で唯一彼を信じ続けたのが少年・マノーリンである。マノーリンは、周囲がどれだけサンチアゴを蔑んだとしても、彼を最高の漁師だと信じて疑わず、いつか必ず素晴らしい結果をもたらしてくれることを一心に待ち続けていたのだ。
 
 「あの子がいてくれりゃ」
 
 サンチアゴは、大海で孤独や不安を感じるたびにこの言葉を口にした。このせりふが暗に示すように、サンチアゴ自身も、まるで永遠かのように思えた大魚との戦いで、幾度となく諦めの淵に立ったはずである。しかし、彼はこの言葉を口にするたびに、どんな過酷な状況であっても再び前を向き、現状を打開するために適切な行動をとっていった。つまり、彼はマノーリンの存在を思い出し、何度も何度も自身の心に灯火をつけていたのだ。人間にとって、自分を信じ待ってくれている人がいるというのはどれほど心強いものだろう。あの戦いで最後にサンチアゴの力を引き出したのは、その場にいないマノーリンの存在であったのだ。
 
 翻って自身を見つめ直してみると、私もまた彼のように、幾人もの「マノーリン」に支えられていたことに気が付いた。私にとってそれは両親であり、学校の先生であり、大切な後輩たちである。たとえ結果が出なくとも私を信じ続け、また新しい船出へと背中を押してくれた彼らの存在に、私はどれほど支えられてきたことだろう。
 
 人は、ともすれば、華々しい成功を全てその人ひとりの力だと見てしまう。しかし、その過程で諦めや苦しさを経験しなかった人などいないはずだ。それに負けず前へ進めたのは、その奥に彼らを信じて疑わなかった誰かがいたからではないだろうか。村で軽蔑されていた孤独な老人サンチアゴは、大魚との見事な戦いを通して、「信じ待つ人」が持つ強さを証明した。私の目には、その勝利は彼とマノーリンの高貴な信頼関係を讃える海からの冠のように映った。
 
 私はまだ夢の途上にいる。きっとこれから先も、幾度となく挫折を経験することだろう。しかし、そのたびにまたこの本に戻ってきたいと思う。ページを開けばそこには彼が待っていて、どんなときも自身を信じ待ってくれている「マノーリン」がいることを思い出させてくれるはずだ。「求めていた魚が得られるか定かでなくても、何かを叶えたいと願うなら舟を漕ぎ出さなければならない」――そう彼が教えてくれたように、私は何度も未知の大海へ舟を出す不屈の人でありたいと願う。
 

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