〈未来部育成のページ〉 少年少女きぼう新聞主催 第12回「きぼう作文コンクール」最優秀作品(詩部門、読書感想文部門)2024年1月26日

 未来部育成のページでは前回(12日付)に続き、第12回「きぼう作文コンクール」(少年少女きぼう新聞主催)の最優秀賞であるユゴー賞(読書感想文部門)とホイットマン賞(詩部門)に輝いた作品を掲載します。
 

【ホイットマン賞(詩部門)】

「私のパパのいいところ」
鹿児島・1年 藏元蓮七さん

 
 わたしのパパのいいところ
 パパはいつもギューッとだきついてくる
 ちょっといたいんだけど
 わたしはにっこりなるんだよ
 わたしのパパのいいところ
 おねえちゃんにきいてみた
 あさおきたてのかおをみて
 きょうもびじんだねっていってくれるところだって
 わたしのパパのいいところ
 おにいちゃんにきいてみた
 バスケのしあいにニコニコついてきてくれるところだって
 わたしのパパのいいところ
 おかあさんにきいてみた
 せんたくものをほしてくれるところだって
 わたしのパパのいいところ
 おばあちゃんにきいてみた
 じいちゃんばあちゃんのこと
 だいじにおもってくれるところだって
 わたしのパパのいいところ
 かいしゃのひとにもきいてみたいな
 きっとやさしくて、はたらきものっていうはずね
 ほら パパのいいところ
 こんなにたくさんあるんだよ
 げんきがないとかなしいな
 そんなときは わたしが
 みんなにきいてあげる
 わたしのパパのいいところ
 みんなみんな たくさん
 あるよ いいところ
 めのまえのひとのいいところ
 さがしてみてね きいてみて
 つたえてみてね いいところ
 

「学校についたよ」
群馬・2年 渡邊秀一さん

 水とう、よし
 ぼうし、よし
 タオル、よし
 まんぽけい、よし
 学校に行くよ
 行ってきまーす
  
 はじめの一ぽ
 わあ、あつい
 水とう、ごくごく
 十ぽ目 まだ、おうち
 五十ぽ目 ビニールハウス
 百ぽ目 とまれのひょうしき
 二百ぽ目 まもるさんのかきの木
 あき、いっぱいとらせてもらったなー
 三百ぽ目 カーブミラーは、トンボの目
 四百ぽ目 こんどのミラーは、一つ目こぞう
 五百ぽ目 だれかのおうちにつづく道
 六百ぽ目 あぶない十字ろ
 右見て、左見て、右見てから
 七百ぽ目 田んぼ
 八百ぽ目 まだ、田んぼ
 九百ぽ目 田んぼの水のはじまり、あった
 千ぽ目 つかれた、つかれた
 よう水ろ
 チョロチョロ、さらさら
 「あ、いるかな、ザリガニ」
 千百ぽ目 草のむこうに大きな木
 千二百ぽ目 地めんからとび出たさかな
 かんばん
 「川に入っては、いけません」
 千三百ぽ目 「+」のひょうしき
 たし算かな
 ちがう、ちがう
 こうさてんあり、ちゅうい
 千四百ぽ目 本とうにあった、こうさてん
 千五百ぽ目 ピンクのお花
 マツバギクだよ
 千六百ぽ目 しょうかせん
 火じをけす水道のそうち
  
 日かげ
 かぜ、そよそよー
 ちょっとすずしい
 けっこうあるいたぞ
  
 千六百九十二ほ目 学校
  
 一ぽを、千六百九十二かい
 千六百九十二かい目の、一ぽ
 やっとついた
 学校についたよ
  
 まんぽけいは
 千七百六十三
 あれれ
 まあ、いっか
 おつかれさま
 アイスたべたい
 せみのぬけがらといっしょに、かえろう。
 

【ユゴー賞(読書感想文部門)】

「ぼくをせいちょうさせるコンビネーション」
大阪・1年 宮川蓮さん

 ぼくは、ベタというさかなをかっている。ばあばのいえでも、たくさんのメダカやグッピーがいて、とにかくぼくもばあばもさかながだいすきなんだ。
 
 メダカがしぬとばあばは、しんだメダカをわりばしでつまんで、ゴミばこにすてていた。
 
 ぼくが、「どうしてゴミばこにすてるの」ときくと、ばあばは、「つちにうめるとせいたいけいをこわすからね」といった。
 
 ぼくはそのとき、うみにいるたくさんのさかながしんだら、いったいだれがどこにすてているのかなとおもった。
 
 いえにかえっておかあさんにそのはなしをしたら、「うみにしずんだクジラ」というほんをプレゼントとしてくれた。
 
 このはなしは、70ねんいきたおおきなクジラがしんでしまうところからはじまる。
 
 ぼくは、もっとながいきしたら、いろんなたのしいたいけんができただろうと、かなしいきもちになった。
 
 でもクジラのしは、あたらしいいのちのはじまりになるんだ。ヌタウナギやオンデンザメ、イバラヒゲにミゾズワイガニは、しんだクジラのからだをたべていきていた。それににくがなくなって、ほねになっても、ゾンビワームともよばれるホネクイハナムシが、ほねにあなをあける。そして、ホネクイハナムシのねにすみつくバクテリアは、ほねのゆぶんとタンパクしつをとりこんで、いきていける。なんねんもかけて、ほねのえいようをすいつくすと、つぎは、ほねをたべるバクテリアがやってくるんだ。
 
 ぼくはそのとき、ばあばのことばをおもいだした。もしかしてこれが「せいたいけい」かなとおもった。と、どうじにぼくのぎもんもとけたきがした。きっとうみでしんださかなたちは、おなじうみにすむいきものたちのいのちをつないでいるんだ。ぎもんがとけたしゅんかん、ぼくはとてつもなくむねがあつくなった。
 
 70ねんいきて、しんだクジラは、なんねんもかけて、たくさんのいきものたちのいのちになったことをしり、ぼくは、とてもかんどうしたし、ぼくもかぞくやともだち、そしてクジラがかぞくやともだちだけでなく、おなじうみにすむすべてのいきものたちのいのちをつないだように、ちきゅうにすんでいるみんなのために、やくにたちたいとおもった。
 
 ばあばとおかあさんのコンビネーションはいつもぼくをせいちょうさせてくれる。せかいいちのコンビだ、ありがとう、これからもよろしく。
 

「『じいちゃんの山小屋』を読んで」
福島・6年 山根秀伸さん

 ぼくは、「いつの日か、自然に囲まれて生活をしたい」と思っていました。この本を読むまでは、田舎に行けばそんな生活が出来るのでは、と漠然と考えていました。しかし、そうではないようです。
 
 この本の主人公・航太は、父の再婚の話をきっかけに、父とケンカをし、一人でじいちゃんの住む四国に引っ越すことになりました。そうして、蜂を育てシイタケさい培をするじいちゃんの山小屋で生活をすることになります。
 
 ぼくは、航太も思っていたように、「田舎の子は外で遊ぶもの」と思っていました。しかし、じいちゃんが住む町で出会った同級生の尚紀と翔は家でゲームばかりしています。そして、翔は、週に一回のピアノの習いごとと練習があり、尚紀も塾に通っていました。田舎の子も都会の子たちと何も変わりませんでした。
 
 逆に、じいちゃんとの生活をするようになった航太のほうが、昔から田舎で育っていたかのような生活です。じいちゃんの山小屋は、トイレも電気もありません。トイレも、しげみの中でしなければなりません。もちろん、夜もまっくらです。航太は初め、その生活にとまどい、胸がざわざわして、夜も眠れなくなりました。あまりの環境の悪さに、城田先生と児童相談所の人が心配して、家庭訪問に来るぐらいです。
 
 田舎で生活をする中で、航太は、じいちゃんが、山に住む動物たちのためにドングリの木を植えていることに気づきます。
 
 ぼくは、じいちゃんの
 
 「山の仕事は、気が長うなくてはいかん。百年も二百年も先のことを考えてするのが、山仕事よ」
 
という言葉が心に残りました。
 
 山の時間の流れは、ぼくたちが考えている以上に長いようです。何でもスマホで、簡単に検索出来る、ぼくたちの時間の流れは、とても早く、山の時間は長い。航太は、その違いをじいちゃんとの生活から気づきます。
 
 「違いに気づくこと」。このことが、相手を理解する第一歩になるのかもしれません。航太は、違いに気づく中で、少しずつみんなを大事にしていけるようになっていきました。ぼくも、航太のように、少しずつでも相手との違いに気づき、行動していけるように成長していきたいと思いました。
 
 もう一つぼくが思ったのは、航太が人と同じ部分に気づいていくということです。
 
 じいちゃんとの会話の中で、航太には想像がつかないようでしたが、父さんも航太と同じように山の仕事をしていたことを教えられます。
 
 そして、じいちゃんが自分と同じくらいの時にお母さんを亡くしていて、寂しい思いをしていたことを知り、航太は、「おれとじいちゃん、同じだ!」と気がつきます。
 
 じいちゃんと父さんの長いわだかまり、そして、航太が田舎に来るきっかけとなった父さんと自分のわだかまり。これを解くきっかけとなったのは、航太が「同じ」ことに気づいたからです。
 
 人は、大変な時には「なぜ、自分だけ」と思い、自分の思いを分かってくれないと思いがちです。そのような中で、自分だけが特別ではなく、みんな同じようにやってきた、あの人も同じ思いだったんだと分かることが、自分は一人じゃないということを気づかせてくれます。航太は、自分だけではないと気づき、周りを気づかう成長をしていきます。
 
 最後に、「違う」ということと、「同じ」ということは、反対の言葉です。しかし、人との「違い」を理解し、人と「同じ」思いを共有する中で、一人一人を大切にする社会が出来ることをこの本を読み学びました。
 

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