小説「わくらば」読了 | yaso-haruyaのブログ

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国や民族等の違いによる優劣をつける、言わば国家レベルの差別があったし、今も続いている。東アジアの悲劇は、近隣諸国同士の差別史観により、史実が歪められている事にある。史実を探り、失われた日本人の誇りを取り戻すことが世界の安定に寄与すると訴えたい。

「わくらば」

著 者  小山昌孝      

発売元  株式会社幻冬舎

 

 

 

 いやぁ、畏れ入りました。小山先輩!

 

  古希にして小説デビューとなった小山昌孝氏は、つい先年までデジタルハリウッド大学院の特任教授をされていて、今は、一般社団法人役員やNPO法人理事をされておられる御方。

  私にとっては、約4年前に親交を結ぶご縁に巡り会えた人生の先輩。

  いや、この小説を読み終えた今となっては、師と言っていいかもしれない。

 

 小説の主な舞台が、東大阪市。

  布施・小阪・若江岩田・瓢箪山など近鉄奈良線沿いであり、大阪市の鶴橋も登場する。

 

 私は、結婚して最初の居住地が東大阪市。その最寄り駅が、近鉄では八戸ノ里だった。ズバリ、「わくらば」の舞台に居た。

 約2年間だけの短い期間だが、河内の篤い人情や言葉遣い、独特な人々の接し方、秋祭りの熱狂や迫力・美しさなど、濃密な暮らしの日々があった。そんな思い出が懐かしく蘇ってきた。

 

 だから、とても馴染みのある地名が小説の舞台となっていることで、極めて親近感を持って読み進むことができた。

 

 主人公の政行に、いつの間にか自分を重ね合わせていたのは間違いないが、それ以上に著者と面識があるというのは妙なもので、この小説に出てくる出来事の中で、どれほどまでが小山さんの人生なのだろうかとも思うようにもなっていた。

 

 『へぇ、小山さんこんな体験したんかな? 自伝小説とは言うてないけど・・・。いや、これホンマやったら、大変やで・・・。』

 

 などと思いながら、聞き慣れた言葉遣いが心地よく、また、その地を想像しながら、物語後半のとある場面で、突如、感極まった。

 涙が溢れてどうしようもない、そんな場面があったのである。

 

 あの場面、あの心理描写。そこに至るまでの物語の構成。

 

師匠、泣いてしまいました。

何か、参ったなぁ! という感じです。

 

 

 また、「普通」という言葉が、物語の中で、どんどん積み重なって、じわりじわりと効いてくるのである。

 

 己の人生を振り返る。

 そんな作業を皆がしようとするのではないか。そして、その上で、これからの自分を考える。

 そういう気にさせられた小説である。

 

 どなたにも何らかの気づきと生きる勇気を清々しく与えてくれる。

 

この本に出会えて良かった。

八十玄八