"合気上げ"

座った相手の両手首を抑え込み、持たれた方はただ上げる。

 

この30年ほど斯界でこれほど研究考察されたものはないかと思う。

猫も杓子も合気上げ、と書くと猫に迷惑か。

 

とにかくこれほど合気上げが脚光を浴びるようになった切っ掛けは?

  

      

      【透明な力 木村達雄(著)講談社1995】

それがこの本、ということに異論がある方はいるだろうか…。

 

とある地方の小さな書店で見つけて読んだ私は卒倒した。

この本のインパクトは凄まじかった。

合気道関係に激震が走ったのは間違いない。

もっとも武術志向のない普通の愛好者には、何ひとつ変化をもたらさなかったでしょう。

とにかく人生を変えた、いや変えられた、そして帰れなくなった方は数知れずか。

 

その12年後に保江先生は愛魂を発見し、合気上げ界隈に新風を吹き込んだ。

それまで誰も考えつかなかった内容でした(*)

合気上げは"愛魂上げ"である、すなわち

愛 す る

のだと。

(*)合気道開祖植芝盛平先生は、合氣は愛氣であると云われました。しかし総論的ではなく具体論の愛するということ。  

     

    

     

   

     

  【武道の達人】が2007年4月、【武道vs物理学】が12月、そして2008年が明けてすぐの【合気開眼】

 

人によって愛魂は台風並みの衝撃であり、また人によっては無風だったでしょう。

私には極大の衝撃すなわちディープ・インパクトで、入門して完全に魅了されました。

東京道場で楽しまれている門人の方々、あの様子が愛魂であり植芝翁がいう【むすび】だと思います。

"ただ楽しいから遊ぶようにやる"という、行為と霊的な世界が一つになっている状態。

それが愛魂。

 

 

さてここからは少しマニアックな内容。

大東流を深く学んだ植芝翁は、"合気上げ"を合気道には完全に踏襲しなかった。

※さらに言えば誰が合気を、いつ合気と、なぜ途中で…諸説ありますが、当時を知る関係者は全員鬼籍なので真相はわかりません。

※Q.いつ誰が変更したんですかー!?A.わからないんですよ知らないんですよ、ホントに~!…🤔って最近話題だな

 

膝の上に置いた手を抑える形ではなく、宙に手を上げそこで持たせてから始まる形になっています。

そしてそれを"呼吸法"つまり呼吸力の養成法としています。

※これがまた生物としての呼吸とはあまり関係ない表現なので混乱の元に。阿吽の呼吸の"呼吸"みたいなものです。

持たせてから押す、引く、固める、などいろいろな条件下で掴まれた手を上げ崩し倒します。

 

これは実によくできていて、相手とのつながりを感じ取る方法として最適だと思います。

その呼吸力なるもの、阿吽の呼吸と動き、それがいかに合気と?

要はですね、触れたときのその瞬間。

触れたその"触"のとき何が生じているのか?全身で全体で感じ取ってみましょう。それがすべて。

そのとき外からそのシルエットだけみたら、それはひとつ。

つまり一体化してます。

言葉の定義によって受取り方が変わってきますが、それを結ばれた【むすび】と呼んでもいいと思います。

植芝翁の説く【むすび】は魂魄の【むすび】で、神道や哲学的でかなり難解。

でも結局おなじこと。

なぜかというと、難しい用語も知らず信念もなく信心もなく根性がなくても、

一人も漏れることなく私たちは、魂と体を持ってここに存在しているからです。

 

 

ところで植芝翁の"呼吸法"はたいへん興味深いです。

どうすればいいのか、みたらわかります。

手の形、力の方向、そしておそらく力の入れ具合、そしてタイミングとか…

やっぱり関係ないよなぁ~と思います☜個人の感想で、そんな気がするだけ。

 

  

    

 

では"合気上げ"のときどうすればいいのか?

それは自明の理だと私は思っていますが、合気上げの方が難易度が高い。

理由は体をその位置から動かさないから。

わからなくてもできなくても大丈夫。

偉そうに講釈垂れ流している私でも、初心者の方相手にうまくできないこともよくあります。

でもノープロブレム。

よろしければ一緒に稽古してみませんか?