日常的スピリチュアル、安田です。


答えが無い、決まっていない時代に
答えを求めてしまうと
時代に合わせた学びができなくなります。

今は誰も答えを教えることが
できない時代でもあるのです。

答えが無い、決まっていないので
自分から答えを見いだすことができ
答えを見いだすことが
悟りの境地でもあるのです。

悟りの境地に至ることで
必要なことが教えられて
経験、体験することができます。

悟りの境地から
直感的な歩みができ
必要な経験、体験が
できるようになるのです。

必要なことというのは
私たちの都合に合わせたことではなく
成長するために必要なことであり
将来に必要なことが与えられるのです。

何がどう必要なのかは
その時その時では
分からないことばかりなのですが

後になって必要なことであったのかが
分かるようになります。

答えを求める学びというのは
答えを探すような学びになるので
学んでも身につかないので
活かすことができないのです。

悟りを求める学びは
学んだことを身につけることができ
活かすことによって
悟りの境地に至れるのです。

同じように学んでも
学ぶ意識によって
大きな差ができて
しまうことがあります。

感覚的なことではあるのですが
学ぶ目的を意識していくことで
悟りを求める学びが
できるようになるのです。

学ぶ目的、動機を意識することに
面倒さを感じることがありますが
面倒なことだからこそ
重要なことなのです。

何のために学んでいるのかを
ある程度でも明確にすることで
学んだことを活かすことができ
悟りの境地に至れるのです。

時代的にも、何かを覚えることよりも
悟ることが求められているので
暗記教育ではなく、悟り教育が
必要な時代になっています。

人工知能が正確に暗記してくれるので
暗記をする必要がない時代であり
悟りがより必要な時代になっているのです。

時代の恩恵によって
誰でも悟りの境地に
至れるようになったので

悟ることというのは
特別なことではないのです。

時代的には必要なことであり
悟れないことが死活問題にまで
なりつつあるということです。

悟り教育というのは
悟れるように導く教育であり
これからの時代で
求められる教育なのです。

悟りの境地には
一人ひとりで至るしかないのです。

自分で努力を続けることで
悟りの境地に至れるのですが
努力が続けられるように
導いていくことが悟り教育なのです。

時代、環境が変わることで
人の心理も変わるので
必要な教育も変わるのです。

時代、環境に合った教育ができないと
的を外した教育になってしまい
生きた教育ができなくなります。

今は誰でも情報発信ができる
環境ができていますが
誰でも教育ができる
環境でもあるということです。

悟り教育をしていくには
悟りの境地に至っていなければ
教育することはできません。

表面的には教育ができても
悟っていなければ
影響を与えることができないのです。

悟っていることというのは
自分ができていることであり
できていることの教育なので
自然に影響を与えることができます。

自分ができていないことを
割り切って教育してしまうと
単なる評論家になってしまい

評論家からの教育には
中身がないので
影響を与えることができません。

悟り教育によって
影響を与えることができ
より大きなことに貢献する教育が
できるようになるのです。


今回も読んで頂きましてありがとうございました。

安田 悌