映像の世紀バタフライエフェクト
「ハリウッド 夢と狂気の映画の都」NHK 5/15放送
感想
今年の初めに「バビロン」を観たが、今回の番組はまるでこの映画の資料編といったところか。
映画では、あちこち太陽の下での撮影ばかりなのにちょっと違和感があったのだが、照明の問題だったのかとナットク。
特にスポットが当てられたのがジュディ・ガーランド。痩せるために覚醒剤まで処方されていたとは、何とも残酷な話。
それでも回想で「もう一度やれと言われたら同じ間違いを犯したでしょう」なんて、名声を得るというのはそれほどの魔力か・・
しかしエジソンの特許を逃れるために西まで行ってハリウッドを作った。それも原動力がユダヤ人だったとは。
内容
1896年、初めてキスシーンが撮られた18秒の映画「Kiss」

映画を発明したエジソンは、映画会社に高額な特許料を求めた。それを逃れて映画人たちが辿り着いたのが西海岸の「ハリウッド」夢と狂気が渦巻く100年の物語。

ハリウッドで作られたのは主にコメディや西部劇の短編映画。
撮影は全て屋外(照明機材が貧弱なため)
一年を通じ好天のため、この地が選ばれた。
地元の者は迷惑がった。映画は低俗な娯楽だと思われて来た。
映画を芸術に高めたのがD・W・グリフィス。
1915年に発表された「国民の創生」
南北戦争を巡る家族のドラマ。3時間超えの映画を延べ2億人が鑑賞した。興行収入は当時の最高を記録。
この映画で活躍するのが「KKK団」
非道な黒人を懲らしめる存在として描かれる(KKKを美化)
当時消滅寸前だったが、この映画で注目されて大発展。
衣装も映画同様に改め最盛期には300万超え。
1930年代は映画の黄金期。ハリウッドの人口5千→15万。
成功しようと全米から若者が押し寄せた。
成功者は隣接のビバリーヒルズに豪邸を建てた。シンボルとなった「HOLLY WOOD」の看板(元は不動産屋のもの)

その頃5つの映画会社が業界を牛耳っていた(ワーナーブラザーズ、20世紀フォックス、パラマウント等)ビッグ5と言われる。
興したのはユダヤ人。欧州から逃れ商才を発揮した。アカデミー賞を作ったのもユダヤ人。それを苦々しく思ったのが自動車王ヘンリー・フォード。「ユダヤ人がアメリカ人を弄んでいる」
自社に映画部門を立ち上げ、教育短編映画を作ったが主流にはなれず、10年足らずで撤退した。
ビッグ5の中で特に存在感の強かったのは「MGM」率いたのはルイス・B・メイヤー(ユダヤ人)無名の若者を育てる「スターシステム」を運用し訓練した。それはメイク、立ち居振る舞いにも及ぶ。役者が憧れの的になる。
そんな中で現れたのが「ジュディ・ガーランド」
13歳で専属契約を結び、一世を風靡した。
代表作は「オズの魔法使い」1939年にアカデミー賞を取る。
キャッチコピーはGirl next door(近所の女のコ) 国民的スター。
演出は全てメイヤーが行った。誕生祝い映像の友達は全て用意された俳優。プライベートも徹底管理。16歳の成長期にもダイエットのため覚醒剤を与えられ、食事はスープとチーズのみ。
後に「私は資産、太るわけには行かなかった」と述懐。
その時期に洗礼を受ける。「Over the Rainbow」の録音時、メイヤーが彼女の左胸に手を当てていた(ここで歌うように、と)
延々と続く行為に「もう耐えられない」と言って拒否。
当時セクハラは珍しくなかった。
「キャスティング・カウチ」
役を得るためにカウチとなって身を投げ出す。
10年後、ジュディは心身ともボロボロとなり、覚醒剤の後遺症で収録もNGの連続。無断欠席の末MGMを解雇される。
1941年。アメリカの第二次大戦参戦で、映画界も戦時体制に。
20世紀フォックスは軍に撮影所を明け渡した。
高名監督のジョン・フォードが戦略情報局の責任者に就任。
作った「ミッドウェー海戦(1942)」ドキュメンタリー作品。
撃墜した日本機章は「ミートボール」と称された。
本作はアカデミー賞のドキュメンタリー賞を受賞。ディズニーも協力を惜しまなかった。
プロパガンダ映画はハリウッドを潤した。葛藤する映画人。
終戦後、アメリカは空前の繁栄。豊かさを謳歌。
夢を振り撒いた。
1951年「欲望という名の電車」マーロン・ブランド。彼の着たTシャツが、それまで下着だったものをファッションにした。
作業着だったジーンズが世界に普及。
ハリウッド映画は特別な価値を持つ産業になった。
1940~50年代にかけて赤狩りの嵐。
メイヤー、ディズニーも公聴会に召喚された。
積極的に協力した俳優がドナルド・レーガン。
疑いある者を報告。
その中で呼び出された脚本家ダルトン・トランボ。
証言を拒んだため投獄された。
釈放されたがその後は偽名での活動を余儀なくされた。
「ローマの休日(1953)」
アカデミー賞を受けた本作はトランボの脚本だったが、当時のクレジットは別人。彼に賞が贈られたのは40年後。
映画のライバルとしてのテレビが生まれた。
「アイ・ラブ・ルーシー」最高視聴率70%。
劇場に行く人が4割減った。'70年代、蘇るハリウッド。
ジョージ・ルーカスやスピルバーグが大作を送り出す。
10億ドル以下の興行収入が20億ドルまで回復。その後も「イージーライダー」「機械じかけのオレンジ」等注目作が。

「タクシードライバー」政治家の暗殺を企てる若者への共感。

映画から5年後、レーガン大統領が狙われた。
犯人のジョン・ヒンクリーは「タクシードライバー」に影響されたという。

レーガンを守ったシークレットサービス(SS)のジェリー・パーはかつてレーガンが主演した「シークレットサービスの掟」に憧れてSSを目指した。「私の中で何かが目覚めた」


2018年に逮捕された大物映画プロデューサー ハービー・ワインスティーン。長年に亘る、女優に対する性的強要。
被害女性による告発。
女性たちが立ち上がる。「#MeToo」運動が全世界に広がる。

1969/6/27。NYで一人の女優の葬儀が行われた。2万人の群衆。
それは「ジュディ・ガーランド」47歳、睡眠薬の過剰摂取。
様々な苦難を乗り越え、最後までハリウッドで生き続けた。
ハリウッドというモンスターに全てを捧げたジュディが残した言葉。
どこへ行こうと 何をしていようと
ハリウッドから離れるなんて出来ないのです
ハリウッド映画に出ることは
女の子が持つ最高の野望のひとつだと
今でも思っています
努力は必要だし 落とし穴もあるけれど
それは他のどんな職業にもあることです
もし もう一度やれと言われたら
同じ選択 同じ間違いをおかしたでしょう
それが生きるということだから
Over the Rainbowの曲が流れる













