中2女子自殺に思う | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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こういう話題にはあまり積極的に近づかない主義でしたが、最近の報道の様子を見てやや違和感を感じています。
ご両親に対して、子供を亡くしてしまった事は本当に無念だったと思うし、当方も子供を2人持つ者として厳粛に受け止めています。


顛末については詳細に伝えられているので割愛しますが、今まで一貫して学校側が非難され続けています。もちろんいじめの実態に対しての手当てが遅れ、結果的に少女が自殺したという点については、学校として一定の落ち度があったのは確か。
でもそれで人が死んでしまうという異常さ。その部分については学校の責任とまでは言えない。


そういった意味で、自宅で学校関係者を前にして語る父親の発言を聞いて、ちょっと違和感がありました。いくらいじめられたからといって、死ぬか?普通。たかがクラブ活動。刃物を突きつけられ「人に言ったら本当に殺すぞ」といって徹底的に追い詰められて死んだ子供もいた。
その場から逃げれば助かる命だった事を考えると、親は学校を責めるだけでいいのだろうか?という疑問を感じる。
死んだその日が誕生日。死ぬ前に父親、母親とも娘からのメッセージを受け取っていない。


>この生徒はバスケットボールのクラブ活動について「行くと1日気がおかしくなってしまう」という主旨の発言をしていたことが30日、父親(44)の話で分かった。
「だから何?」この記事は一体何を言いたいのか。クラブ活動のひどさを言う前に、これを聞いて父が何もしなかった事の方が問題。だから死んでしまったのじゃないか?
これでどうして学校を責めることが出来るのか。


学校に落ち度はあるさ。でも生き死にの話になったら、学校なんか何の頼りにもならない。不登校もそう。「不登校は学校の責任、その結果ひきこもりになったから、これも学校の責任」文句を言うのは結構だが、それだけでは子供がかわいそう。
不登校、退学、ひきこもり。別にいいことだとは思わないが、死ぬよりはマシ。「逃げればいい」という教えは別に学校でなくとも親が授ければいい。


「学校の責任には限界がある」この基本が判っていないから、マスコミも学校の落ち度しか報道しない。
ただこの父親も、今後同じ事が起きない様にという思いで学校と対峙している点では敬意を表します。


中学から高校にかけてフォークソングブームがあり、その中でも反戦フォークを歌う者がいた。
加川良。
彼の歌ったこの曲。若者を戦地に追いやった「国家」というものに対するプロテスト・ソングだが、国に関する部分を外せば、立派な「人命救助ソング」。
今の若い人たち(とは限らないが)に是非聞いてもらいたい。


教訓 Ⅰ」
作詞/作曲 加川良


命はひとつ 人生は一回
だから命を棄てないようにネ
慌てるとつい フラフラと
御国のためなのと 言われるとネ
青くなってしりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい


御国は俺達 死んだとて
ずっと後まで残りますヨネ
失礼しましたで 終わるだけ
命のスペアはありませんヨネ
青くなってしりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい


命をすてて男になれと
言われた時には震えましょうヨネ
そうよ私は女で結構
女の腐ったので構いませんよ
青くなってしりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい


死んで神様と言われるよりも
生きてバカだと言われましょうヨネ
奇麗事ならべた時に
この命棄てないようにネ
青くなってしりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい


発表 1971年(昭和46年



加川良

kagawa