高1の3学期に10日ほど休んだことがあった。通知表を見て知ったが、特に強く叱る様なことはしなかった。
2年になってから10日ほどして、妻が息子の不登校について私に話した。一応家は出るが、途中で帰って来るパターンの様。
4月いっぱいは様子見という事で、なるべく刺激しない様に配慮。
5月の連休時に話し合い、何とか連休明けからキチンと通学する事を約束させた。携帯電話など、全く持つつもりはなかったが、息子の登校確認のために購入した。
そして連休明け。最初の10日ぐらいは何とか行った様だが、妻の話ではその後やっぱり行っていない。いつも私の方が早く家を出るので、その辺りで厳しく追い出す様なことが出来なかった。
その当時、業績悪化の余波で外部から課長が入り、単にマネジメントのみの運用をして来る中で大混乱していた。1日も休める状況ではなかった。
ただ、そうこうしているうちに、息子は完全に学校へ行く気を失っていた。その後数回会社を半休にして、引っ張ってでも登校させようとしたが無駄だった。
夏休みを経て、新学期に入ってから学校側から連絡。進級できる出席日数のデッドラインに近づいているらしい。息子とその晩話し合うが、いつも自分の意思をなかかな言わないのに、この時だけは「学校はやめる」とはっきり言い切った。こっちも「そうか」と言って納得してしまった。
そして学校側に自主退学の届けを行って、「高校中退」が確定。
つらい子供時代を経て、何とかここまでこぎつけた。自分が高卒だった事へのコンプレックスから、少なくとも子供は大学に行かせるという前提で資金の準備もしていた。それが思いもかけない中退。親としてのプライドがズタズタにされたと思い込んだ。
そんな親の落胆が投影されたのか、息子は次第に家の外に出る事もなくなり、完全な「引きこもり」状態となった。
食事は自分の部屋でしか食べない。家から出られないため、当然床屋にも行けないので髪は伸び放題。そのうち後ろで束ねる様になった。
私の前にはまず姿を見せなくなった。私自身も息子については、気持ちとして完全に見放した状態であり、自分自身の心の冷たさを感じた。
妻自身も精神科に通って、毎日薬を飲んでいる状態。娘は中1の多感な時期。本当にこの時期は会社での状況も悪く、自分の魂が肉体に定着していない様な頼りなさがあった。歩いていてもフワついた感じだった。
その後「引きこもり」の子を持つ親の団体に加入し、サポートの人にコンタクトもしてもらったが、大した進展はなく、ただ時が過ぎて行った。
息子は結局1年半、家から一歩も外へ出なかった。
本来なら高校卒業だった年の4月。出張から帰った晩、急に思い立ち息子を家から引っ張り出す。私より大きな体で、カロリーオーバのため体重も100kg近い。まともに行ったら動かせるはずがない。
だが家から出せたのは、本人も心の中では出してもらいたかったのか。出してみてから、姉の養父母のところへ連れて行こうと思い立った。姉の離婚騒ぎで気まずい事になっていたが、他に頼る相手がいない。快く預かってくれた。
それから劇的に変化した。床屋へ行き、昼は図書館に通って本を読んでいたとのこと。半年ぐらい預かってもらいたかったが、それは無理であり1週間ほどで家に戻った。
その後は毎日本を読む生活であり、少しづつ外へも出られる様になった。
ほどなく勉強も再開し、その年の秋に大検を取った。翌年にコンピュータ関係の専門学校に入学。学齢で言えば1年遅れで収まったのは不幸中の幸いか。
今、息子はその学校の2年。4年制なのでまだ就職の話はないが、就職率は良いとのことであり、まあ何とかどこかには引っ掛かるだろう。
今回のトラブルは、子供というより私を含めた家族全体の「引きこもり」問題だったのだろう。親として子供としっかり向き合っていなかった。それがシャツも破れるほどの取っ組み合いをして、ようやく相手との距離がなくなった。
判ってみれば「なんだ」という事になる。子供側だけの原因で引きこもりになるわけではない、と思った。