『その猫の名前は長い』(イ・ジュへ著)
とてもよかったです。
著者のイ・ジュへさんは、英米文学の翻訳家。小説はあとから書きはじめたようです。
この本に収められている9つの短篇は、2016年から2022年の間に発表されたもので
作品が日本語訳として出版されるのは、この本が初めてとのことです。
9篇とも読みやすかったのですが、ひとつ読み終えるごとに、ふっと思い巡らすような余白の時間がありました。
そして、もう一度パラパラとページをめくり読み返す…
そんな読み方をしました。
主人公は中年と思しき女性(男性が主人公のものもありましたが、女性を描いたもののように感じました)。
窮屈なのにうまく脱げない服のような、
気づかぬうちに身につけたり、背負わされてきたりしてきたもの、
社会通念や慣習、しきたりのような根強いもの、
それらに巻かれたり、抗ったり、流されたりしながらも、精一杯生きてきた軌跡。
そして、生きている、生きていく私たち……
イ・ジュへさんは、1971年生まれ。
伝統的な価値観の色濃く残る、いわば「家父長制という囲い」の中で十数年間過ごしたことも、作品に大きな影響を及ぼしているとのこと。(訳者あとがき参照)
そういう中で受ける抑圧や、女性ゆえに課せられる重荷(たとえば親や子供などの周りのケア)に苦しむ人たちが、この本には描かれています。
何がしきりにわたしたちを臆病者にさせるのだろう。わたしたちを絶えず孤独にさせ、ああはなりたくないと人に思わせ、
軽蔑されやすい顔に変貌させ、何かを証明しなければと常にみずからを追い立てる。この病の名は何だろう。
(「わたしたちが波州に行くといつも天気が悪い」より抜粋)
共感やもどかしさと共に、
薄明りのようなほんのりとした明るさも感じました。
テーマの重たさに対して、文章のテンポがよくさらりとした印象。
大阿久佳乃さんの21ページにわたる長い解説が付いているのですが
この解説も本の一部だと思えるほど深い考察がなされていて、本への理解が深まります。
大阿久佳乃さんは、2000年生まれの文筆家ですが、若さを感じる思いきりのよいフレッシュな思考が魅力的です。
表題作の「その猫の名前は長い」の他、「今日やること」「春のワルツ」が好きでした。
肉体を離れて俯瞰する描き方も好きでした。
装幀もタイトルも本の質感も好きです。
お読みいただきありがとうございます。
またまた台風が心配ですね。
皆さまどうぞお気をつけて…
夏の海も見納め…