こんばんは。

 

少々忙しい日々ですが、奇跡のような出来事が続けて起こりどきどきしています♡

 

いかがお過ごしですか?

 

 

 

 

よく、売れ残って処分品のようになった鉢植えとか

 

欠けて捨て値のついたアンティークものなどを

 

家に連れてきてしまいます。

 

(なんでもかんでもというわけではないですが)

 

 

だからテイストの揃わないものたちが一緒に暮らしているのですが

 

でもそれなりに仲良くやっています。

 

訳ありさんたちはみな個性的でとても寛容です。

 

 

 

無傷の美しさや姿かたちの整った美しさというのもありますが

 

生きていくうえでできた傷や欠け、不完全さ、

 

体裁を気にしないがむしゃらさ、一生懸命さにも美しさと愛おしさを感じます。

 

 

最近連れてきた子

 

 

 

 

 

 

最近いくつか似た内容のセッションがあり、

 

以前に通われていたBさんのことを思い出したので

 

そのことに触れつつ書いてみようと思います。

 

(ご了承をいただいています)

 

 

 

 

 

Bさんは、初めていらした時、しきりに咳をされていたのですが

 

「小児喘息の名残りだと思います」とのことでした。

 

そして、「よく胸を刺される悪夢を見て、そうするとしばらく胸の痛みが続くので

 

きっと過去世で胸を刺されているか、胸の病気だったんだと思うんです」とお話されていました。

 

 

 

 

Bさんは、咳と胸の痛みは別の原因だと考えていて、

 

しかもご自分で学ばれたり、今までに色々なセッションを受けてこられていたので

 

その中で考えたストーリーや自分なりの分析があらかじめあったのですね。

 

 

 

 

そういう下地のようなものがあってヒプノセラピーを受ける時、

 

求めたくなるのは、そのストーリーや分析に合致した内容のものでしょう。

 

「ああやっぱりそうだったんだ」と納得して

 

早く抜け出したいと思うのは自然なことですね。

 

 

 

もしヒプノセラピーで全く違うものが出てきたら、

 

Bさんが今までやってきたことや考えてきたことが逆転してしまうかもしれません。

 

それはとても怖いことなんですね。

 

 

 

また自分の中でもう解決済みとしているものが出て来ても

 

一からやり直しのようで面倒に感じるでしょう。

 

進んできた道を戻りたくないと思うのもまた自然なことだと思います。

 

 

 

 

 

そうなると、ヒプノセラピーでは

 

自分の分析や望むストーリーに合うところに行こうとするか

 

または、怖れから催眠状態に入らないようにブレーキをかけるかどちらかになりがちです。

 

(無意識にですが)

 

 

 

 

私はBさんに、幼少期の体験から、年齢退行をおすすめしたのですが

 

Bさんは、幼少期のことは自分なりに解決済みなので過去世をやりたいと希望されました。

 

そして何度か過去世退行やったのですが

 

どうもちょっと核心からはずれている感じがしたのです。

 

 

 

 

 

長くなるので経過については省きますが、

 

紆余曲折あり、試行錯誤を重ねて(私の未熟さゆえなのかもですが💦)

 

 

やがてBさんは悪夢を見なくなり、それによって胸の痛みも感じなくなり

 

いつの間にか咳もほとんどしなくなりました。

 

殻を脱ぎ捨てたようにすっきりと軽い印象になりました。

 

 

 

 

結果から言えば、咳も悪夢も胸の痛みもその原因は

 

Bさんの推測していたものとは違い、

 

簡単に言えば、ずっと感情を感じないようにしてきたからでした。

 

 

 

本音を言わず、思考で感情をコントロールしてきたことで

 

内側にたくさんの感情を溜め込んできていたのですね。

 

 

 

頭で考えたストーリーと実際に感じた感情との間にギャップがあると

 

その苦しさがいろんな形であらわれます。

 

 

 

言いたいことを我慢し続けると

 

喉の違和感や咳が出やすくなることがあります。

 

緊張した時や、逆に緊張がほぐれていきそうな時に出やすいようです。

 

 

 

 

そして、発露のないままにフリーズした感情は

 

外からの刺激に身体の痛みとして反応することがあります。

 

これは我慢の限界のサインともいえます。

 

 

 

 

寝ている間は自分でコントロールができなくなるため、

 

その解放の怖れが悪夢としてあらわれたり

 

または、閉じ込めていた感情がコントロールから自由になってあがってきて

 

悪夢となることもあるようです。

 

 

 

いずれも、コントロールを手放してリラックスできるようになると

 

自然と見なくなることが多いものです。

 

 

 

原因はあちこちに散らばっていたわけではなく根っこはひとつ。

 

考えていたものよりずっとシンプルでした。

 

 

 

 

語弊があることを承知で言えば

 

寂しいことを寂しいと感じることができたら

 

悲しいことを悲しいと感じることができたら

 

人は精神的に病むことはないと言われます。

 

 

 

それは、逆に言えば、

 

心は寂しいよ~と感じているのに頭は寂しくないと思いこみ、そうふるまい、

 

心は悲しいよ~と感じているのに、頭は平気平気!と思いこんでそうふるまうことが

 

どんなに辛く、自分に負荷をかけることになるのか、ということでしょう。

 

 

 

 

多くは、子どもの時の辛い経験から感情を感じないようにすることを覚えていくので

 

ご本人には自覚がないことが多いのです。

 

 

 

そして感情を感じないようにするためには思考を使うのが一番なのです。

 

思考でブロックして、感じるべき感情を作っていくのです。

 

(意識的にやっていなくても、できるようになりスキルは磨かれていきます)

 

 

 

 

これらのことは、自分を守るために必死に身に付けたものなのですから

 

決して間違いではないのです。

 

その時の自分には必要だったから身に付けたものなのですから。

 

 

 

けれども、それは子どもだったから必要だったやり方で

 

大人の自分には合わないないもの。

 

そのやり方はサイズの合わない服を着るように、大人の自分にはフィットしないのですね。

 

そのやり方を続けている限り、違和感が続くと思うのです。

 

 

 

なぜなら、幸せも喜びも感じて味わうもので

 

考えて味わうものではないからです。

 

傷ついたのは思考ではなく感情で

 

感情は、感じることでしか癒すことができません。

 

 

 

 

 

見栄えや体裁のいい生き方や暮らし方でなくても

 

自分にとって幸せを感じられればそれでいいと同じように

 

癒し方も

 

恰好なんてどうでもいいと思うのです。

 

 

がむしゃらに泳いで向こう岸に渡るようなそんなやり方だって

 

湧いてくる感情に右往左往したって

 

くちゃくちゃになって泣いてしまったって

 

人に語れるような話にまとまらなくたって

 

自分だけの宝ものです。

 

 

 

Bさんがすっと抜け出すことができた瞬間も

 

泳ぎ方なんてもうどうだっていいみたいな

 

そんな感じだったような気がします。

 

なりふり構わず泣きたいように泣いた。

 

いやだいやだって泣いた。

 

お母さんお母さんって泣いた。

 

 

だって傷ついていたのは大人のBさんじゃなくて

 

子どものBさんだったのですから。

 

 

自分だけの物語を自分のもとに還してあげられたらいいなあと思います。

 

 

 

 

最後までお読みくださりありがとうございます。

 

ラストスパートをかけて急いでいる魂も多いと感じます。

 

ご予約がとりにくくご迷惑をお掛けしておりますが

 

どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m

 

 

皆さまどうぞお元気でお過ごしください。

 

心にいつも希望がありますように(*'ω'*)