こんにちは。

 

2月になったと思っていたらもう4日になりました( *゚A゚)

 

いかがお過ごしですか?

 

 

 

 

よく「子育ては自分育て」と言われますが、

 

本当にそうだなあと思います。

 

子育てを通して教えられたことは本当に多くて大きくて

 

まさに自分を育てる経験だったと感じます。

 

 

 

 

それは、植物を育てることや動物と暮らすこと、何かを作ることにも

 

通じているように感じます。

 

何かと真っすぐに向き合うこと、心と時間をかけるものにはみな

 

共通したものがあるように思います。

 

 

 

 

「教えることは教えられること」「与えることは与えられること」…

 

いろんな表現がされますが、

 

どんな関係も一方的ではないのですね。

 

繋がっているし、循環している。

 

 

 

 

 

 

同じように、癒すことは癒されることなんだなあと感じています。

 

 

 

私は長いキャリアのあるセラピストではありませんが

 

それでも、最初の頃と今では変化を感じています。

 

この仕事(ヒプノセラピー)を始めた頃は「癒したい」という気持ちがつよくて

 

「癒すことができるか」ということに

 

セッションの手応えや成果を求めていたような気がします。

 

 

 

でも、そういう“力み”が少しずつ抜けていくうちに

 

癒すのは私ではないんだなあとしみじみ感じるようになりました。

 

 

 

その方自身が、しがみついているものを手放していくとき(その力を緩めたとき)

 

癒しは自然に始まっていくのですね。

 

 

 

(もっと言えば、

 

宇宙的な根源的なところと繋がれときに圧倒的な癒しを経験するように思うのですが

 

それは、自分自身と繋がることと同じだと感じています)

 

 

 

 

 

それは、セラピストが起こそうとして起こすものではなくて

 

セラピストとクライアントとのエネルギー交換というか、相乗作用によって生まれるもので

 

そもそもセッションとはそういうものなのでしょう。

 

ひとつひとつのセッションに、その方だけのストーリーがあって、大切な瞬間があって

 

その展開もさまざまです。

 

 

 

 

そして、私自身の“力み”がやわらいでいったのは

 

セッションを通して、私自身がさらに癒されていったからだと感じるようになりました。

 

“誰かが誰かを ”一方的に癒すのではないのですね。

 

 

 

 

 

 

ヒプノセラピストの養成講座を受けていた時、

 

自分自身がしっかり癒されていないと、自分(セラピスト)のネガティブな要素を

 

クライアントの方に投影してしまうと学びました。

 

 

それは本当にそうだと思いますし、自分に対して客観的な目をもつことの大切さも感じます。

 

けれども、お米のとぎ汁ではありませんが(変なたとえですみません💦)

 

どこまで洗えばクリアになるのかわかりません。

 

 

 

できるだけクリアになって、

 

クリアな状態で居続けられるようになりたいと思ったりするものですが

 

クリアになることやクリアな自分にこだわっていると

 

いつまでも次のステップに進めません。

 

そして逆に、自分のクリアでないところばかりが気になってしまいます。

 

 

 

 

どんなことでもそうだと思うのですが

 

完璧な準備や状態にこだわらなくても

 

進んでいく中で自然と必要は満たされていくのだと感じます。

 

 

 

 

そして、癒されたという実感を強く求めていると

 

不思議と癒しは訪れません。

 

それは、癒されることに囚われているからでしょう。

 

 

 

そして、癒しを求め続けているうちは

 

人生においてどこかお客様でいられるからなのかもしれません。

 

お客様でいられる特権を手放したくないという思いが潜在的にあると

 

癒しはいつまでも訪れない。

 

感じられないのですね。

 

 

 

癒しを求める人で居続ければ

 

もてなしてもらえるし、責任もやわらぐし、未熟でも許される。

 

 

でも、自分が人生の主役になれば、誰のせいにもできず

 

自分で決めて自分で責任を負っていかなければなりません。

 

 

でも、それこそが生きる楽しみでもあり、醍醐味でもあり、

 

大人になるということなのではないかなと思います。

 

 

人生のお客様から自分自身が主役になり、大人として成熟していかないと

 

真の意味での人生の楽しみや醍醐味は味わえないのかもしれません。

 

 

 

 

癒されることは完璧にクリアになることではなくて

 

完璧ではない自分を許すこと、

 

そんな自分といっしょに生きていこうと思えるようになることなのかもしれません。

 

それは、人の不完全さを許すことでもあるでしょう。

 

 

 

癒しは劇的に起こるのではなく(もちろんそういうケースもありますが)

 

自然と始まっていくような、緩んでいくようなものでもあります。

 

 

 

癒そうと力まず、癒されようと力まず

 

人や自然との関係の中で

 

エネルギーを与えて受け取って循環させていけたらいいなあと思います。

 

 

 

関係性はそれぞれ、その時々違っても、

 

誰もが育てる人であり育てられる人、

 

教える人であり教えられる人、

 

与える人であり与えられる人、

 

癒す人であり癒される人なのだろうなあと

 

あらためて感じる今日この頃です。

 

 

 

 

最後までお付き合いくださりありがとうございます。

 

皆さまどうぞお元気でお過ごしください。

 

いつも心に希望がありますように♡

 

 

 

 

写真は平潟湾(金沢八景)のものです。

私が子どもの頃は汚染がピークで水底が見えませんでしたが今はずいぶんきれいになりました。

シーサイドラインも京急の乗り場と繋がって駅周辺も変わりしましたね。

 

 

 

 

 

弁天島

 

シーサイドライン

 

 

むか~しからある鳳月堂さん 久しぶりに「晩鐘最中」を買いました