和ごころ心理相談室です。
前回、前々回の記事をとおして、
「じぶんを変えたくてもかわれない!」
「どんな方法もうまくいかない!」
と悩んでいらっしゃる方々に共通する、
そのおおくの原因が、
じぶんの中にある、
感じづらかった感情、押しこめられた衝動がさまたげとなっていること。
そのため、
どんなコンテンツ(人生が変わるとされる本や、行動論や、セミナー、名言など)をためしても、なかなか浸透していかないこと。
について、お伝えしました。
他にも、
「仕事がなかなか覚えられなくて、毎日上司に叱責されてつらい…」
「〇〇(家の掃除や勉強、恋愛など)がどうしてもうまくできない」
「じぶんは発達障害ではないか」
等、
人知れず思いなやんでいらっしゃる方の中にも、
この「感情の実体感・表出・処理」のサイクルがうまくまわっていないことが理由の場合が、おおくみられます。
楽属性(たのしむ)
怒属性(腹をたてる)
悲属性(かなしむ)
恐属性(こわがる)
これらの感覚、感情の波を、
あなたに必要なぶん、感じるままにうけいれ、
あなたに必要なだけ、そこにとどまりつづけることができたとき、
ようやくわたしたちは「ほんとうの自分」という、
実体のしっぽをつかむことができることでしょう。
最後の記事では、
これら4つの属性をつかさどっている、おおもとの部分、
あなたにとっての、「人生の司令塔」について、
書かせていただきます。
【あなたの人生の住み心地は?】
ふた昔ほど前に、ある本をきっかけに使われるようになった、
「勝ち組」「負け組」という言葉があります。
あなたも一度は、どこかで耳にしたことがあるかとおもいます。
年月を経ても、まったくすたれることなく、
マスメディアや出版書籍、わたしたちの日常会話にまで浸透したこのワードは、
いかにわたしたちが普段から、「世間体」という実体のないものに、
自身の価値基準をおき、
ひそかに「ひとに負けること」をおそれながら生活しているかの、あらわれでもあります。
興味ぶかいのは、
「勝ち」「負け」の判断基準が、じつに種類やパターンが豊富であるということ。
「〇〇大と〇〇大卒は勝ち組、それ以外は負け組」
「就職決まった人間は勝ち組、仕事をしていないヤツは負け組」
「年収500万以上が勝ち組、それ以下は負け組」
「結婚している人は勝ち組、そうでないのは負け組」
「子どもがいる家庭は勝ち組、いない家は負け組」
・・・・・など、など。
日常ささいなことがらまで挙げていったら、きりがありません。
この事象は、
「この世のなかには絶対的に標準で、ただしい生き方があり、じぶんはきちんとそれに準じて生きているか、はたまた否か!?」
という、
こころの奥底にある、なにかしらにたいする恐怖心をみんなで共有しあっている状態にほかなりません。
※4つの属性のうち、「怖い」という感覚がピンとこない方でも、この心情にはどこかで心あたりがおありかと思います。
さて、あなたは、はたして「勝ち組」でしょうか?「負け組」でしょうか。
それを決定づけるものは、
あなたのこころの住み心地を支配している、
建築物でいう「土台」の部分です。
【その土台に家を建てること】
土台の名前を、おおきく2つにわけると、
「被害者」
「加害者」
ということばになります。
あくまでも感覚的な意味、こころの状態をしめすことばなので、
俗にいう世間体、他人の評価とはまったく別のところにある、
あなた自身がつくりだしている、人生観・世界観とも置きかえられます。
そして、それがあなたの人生のすべてを、
つかさどっているといっても、過言ではないのです。
・°・(ノД`)・°・
「わたしはこの世の中から(人から、社会から)被害をこうむっている」
「いつもひどいことがじぶんの人生にくり返されてきた」
「誰のせいでこんな人生を歩まなければならないのか」
「なんでじぶんだけがこんな目に遭うのか…」
「しょせん、じぶんなんてこんなもんだ」
「何ものにもなれないし、ここからどこへもいかれないのだろう…」
「こんなに辛い人生、なんで生きなきゃいけないんだろう」
これが、被害者(俗にいうと「負け組」)の人生を生きるひとの、土台にびっしり書かれた言葉、つぶやきです。
そうして、
こういった状態に耐えきれず、
「なんとか這い上がってやる!」「見返してやる!と奮起する方もいらっしゃいます。
ヽ(`Д´)ノ
「わたしを馬鹿にしたこの世の中(人、社会)を、見返してやる!」
「よくもこのわたしにひどいことをくり返してくれたな!」
「あいつらのせいで、貴重な人生を台なしにされた!」
「このうらみは一生忘れない!思いしらせてやる!」
「じぶんの怒りはまだまだ、こんなもんじゃおさまらない!」
「カネ・地位・名誉…あいつらに勝って見下してやる!」
「復讐するために生きつづけてやる!」
※お気づきの方もいらっしゃるとおもいますが、
被害者を脱却したはずの「加害者」の土台はあくまで、
必死の情念で、過去に上書きをほどこした生き方なので、
根底にあるのはおなじ「被害者意識」にかわりはありません。
あなたに今までおこったこと、
そして、
これからあなたの人生におこることを決定づける、
(建築つながりでいうと)総監督、現場監督にあたるものは、
すべてこの、根底の意識の土台のうえに、
あなたの人生を施工していきます。
「どんな家(人生)を手にいれても「幸せ感」「満足感」が湧いてこない」
→「いったい何が足りないんだろう?」
「もっといいパートナーと巡り合えたら?」
「もっと年収を増やしたら?」
「もっとやりがいのある仕事に就けたら?」
「もっと名前を売ることができたら?」
もっとなにか、じぶんの知らない自分にバージョンアップできたら!?
・・・・・
【第三の人生をいきること】
「被害者」と「加害者」。双方に共通しているのは、
他人の目線や評価、感情のうごき(よろこんでくれる、眉をひそめられる、うらやましがられる、など)のみが、
そのかたの人生観(思考パターン)や、行動基準や、感情の表現に直結しているということです。
そういった意味では、
常にうらやましがられ、他の追随をゆるさない孤高の存在であり、じぶんが他人より優位であることをアピールしつづけなければならない、
いわゆる「勝ち組」としての生き方も、
けっしてラクな生き方とはいえません。
じぶんが、じぶんの人生のメインプレーヤーであり、
糞ゲー(つまらない人生)ではなく、
神ゲー(あなた自身が主人公の、とてつもなく面白い展開がつづく、いくらプレイしてもあきることない人生)のような日々をおくるためには、
被害者でも加害者でもない、
3つめの生き方を、えらぶ必要があります。
ありのままの自分を、あなた自身が勇気をもって受け入れ、
一生かけてその面倒をみていく覚悟、
責任者(指揮官、司令塔)としての生き方が、
それにあたります。
さまざまなカウンセリング、
いろいろな療法、
無数のカウンセラーが、世の中にはたくさん、存在しますが、
そのどれもが、目指すところはおなじだと、私は信じております。
※「ありのままの自分」
某映画のヒット曲から、こちらもじつに一般的な言葉になりましたね;^^
「じゃあそもそも、ありのままってどういうことよ!?」という疑問も当然のことながら、浮かびあがってくることとおもいます。
次回の記事では、
そのことについて書かせていただきます。
※ホームページ追記しました。
和ごころ心理相談室HP
https://wagokoroshinri.amebaownd.com/