救急医になる前、呼吸器科医として勤めていたのは以前書いたとおりだが、勤務していた病院には結核病棟が併設されていたので、結局15年間ほど結核の治療に携わっていた。
結核は今も第2類の感染症なので、現在でも扱いはかつてのコロナなみである。
結核は罹患率は下がっているので、患者人口は少ない。そのためか、新しい治療薬はなかなか開発されない。結核は4種類の治療薬を組み合わせて数ヶ月かけて治療するのが一般的だが、そのうち2種類の代表的な薬剤であるイソニアジド、とリファンピシンに対して耐性を獲得している結核菌を多剤耐性結核菌という。これに罹患しているごく少数の運の悪い患者さんは、とにかく既存の他の抗結核薬を用いてあれやこれやと治療のアプローチをするが、満足いく制御はきわめて難しい。もともと、患者数が少ないため、製薬会社も新たな抗結核剤を開発する体力は持ち合わせていない。なぜか?利潤が上がらないからだ。
というわけで、結核の治療に携わっていた15年間は、限られた薬剤をどうやって有効に使うかという無い無い尽くしのような医療をしたおかげで我慢することを覚えた。
あとは、4種類もの薬を組み合わせて治療をすると何割かの患者さんはその副作用で苦しむ。
一番やっかいなのは肝障害だ。
ま、4種類のうち3種類が候補薬剤に挙がるが、どれが犯人かなかなかわからないので、ひとたびこの副作用でひどい肝障害が出現すると、一旦すべての薬を中止し、一つずつ常用量の20分の1ぐらいの量から慣らしていくという作業をする。まあ、根比べだ。
最近、結核の治療をしている患者さんが、10日ほど前から食事が摂れない、という訴えで救急部にやってきた。データを見ると、数日前に少し肝障害の兆しが出ている。多分、今回はそれなりの肝障害が顕在化しているのだろうな、と採血してみたら案の定であった。
主治医の医師に電話し、「Aさんですが、10日ほど食事が摂れないようですよ。採血したら案の定肝機能悪くなっていましたがどうしましょうか?」とお話申し上げたら、
「案の定、ってなんですか?」とムッとした顔が目に浮かぶようなお返事。
結局、入院し、抗結核剤はとりあえず中止となり、早々に近くの結核専門の病院に転院となったようだ。
主治医の先生、私が元呼吸器科医ということは知っていたが、結核の専門家であるとはご存じなかったのだろう。