この世は印象的操作に溢れている。
例えば、省エネ家電。
10年前のモノに比べて電気量を◯%カットできるとか、エコロジー認定された会社で作られているとか、すぐ新製品が現れる。
環境のことを考えるなら買い替えるべき!みたいな風潮があるけど、本当に節電を心掛けるなら何も使わない方が良くない?
あるいは、若手俳優。
◯年に一度の逸材で超演技派だの、世界的映画監督の目に止まっただの、壮大なキャプション付が定期的に現れる。
よく見ると珍しい役にばかりついていて、普通の人をナチュラルに演じている人の方がよっぽど凄いのでは?と思ってしまう。
何かを知ろうとした時、一方からの意見だけでは情報が偏る。
どうしても発信する側の主観が入ってしまう。
家電に詳しい人が出ているテレビ番組を目にしたら、ついつい購買意欲を掻き立てらてしまうのは無理のない話。
だけどもしそこで、使用に伴う環境への影響が説明されたら、同じようなテンションでいられるだろうか。
怪演俳優なんて言葉を耳にしたら、ついついドラマや映画を見てみようかという気になるのは自然の流れ。
だけど同業者の話によれば、実は事務所のゴリ押しなんて聞くと、すっかり興醒めしてしまうかもしれない。
全ては刷り込みによる思い込み。

勝手に決めつけていると、時には期待を裏切られる場面もある。
仕事先・地域では、真面目に働く明るいキャラクターとされているあたし。
だけど実際は、超ズボラな精神的引きこもり。
ほらね、あなたもあたしも操られている。

