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先週、全国会議があり、沖縄を1年半ぶりに訪れました。

沖縄への昨年の観光客数は641万人と過去最高だったそうです。沖縄は温暖な気候のリゾートあり、素敵な離島あり、レンタカーで風光明媚な場所をめぐるもよし、地域色豊かな文化やグルメありリピーターも多いことでしょう。

一方、今年は戦後70年。美しく素敵な現在の沖縄と、一方で基地を抱える沖縄。日本本土で最も大規模な地上戦を経験した沖縄の悲惨な戦争の歴史そして戦後の歴史を家族とともに学ぶため改めて【ひめゆり平和祈念資料館】と【沖縄平和祈念資料館・平和祈念公園】を訪問し献花黙祷しました。

沖縄で慰霊したのはこの歴史。沖縄は本土決戦のための時間稼ぎとして国体を守る捨て石にされたわけでして、ひめゆり含む沖縄の市民94000人、日米軍民合わせて20万人あまりがこの戦いで亡くなったそうです。捨て石の作戦ゆえ、日本軍が米軍の予想以上の頑強な持久戦を取ったこともあり市民を守る余裕もなく、巻き添えや虐殺もあったようですし、皇民化教育によって軍民とも自発的恣意的に自決しさせられたり投降をさせてもらえなかった人も大勢いました。

そうした沖縄戦で犠牲になられたすべての方々に祈りを捧げました。彼らは国のために尊い命を犠牲にされた英霊とされる一方、国によって犠牲になられたとも言えます。

極限状態とはいえ、旧日本軍は国体を守るための軍隊であって市民を結果として守らなかったことは、国家や軍隊といった権力機構の本質が暴力を伴った強制力のあるものであったことは現代の民主主義下であっても歴史が証明しています。

戦後の日本は米国などの西側陣営の庇護の下日本人の平和への思いと、不安定なアジア情勢が並存する中、幸運な経済発展を成し遂げたわけですが、沖縄の犠牲によってでもあることは忘れてはいけないことだと思っています。

また沖縄の中国韓国台湾などとの交易の歴史や薩摩藩や明治政府の日本同化の歴史を見れば、尖閣などの領土問題や、普天間基地の辺野古移設問題はじめ現在の沖縄の現状が繋がって見えてきます~沖縄から「内地」を見る視点を体感することも日本人にとっては必要かも。