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「2002年小泉首相(当時)が訪朝し、北朝鮮が拉致を認めました。その時、日本社会全体が「俺たちは被害者だ」という感情を持ったと思います。(日本が)ずっと加害者だと言われ続けてきた、その鬱屈から解き放たれ、あえて言うと偏狭なナショナリズムができあがってしまったと思います」
「被害者意識とはやっかいなものです。私も被害者なのだから何を言っても許されるというある種の全能感と権力性を有してしまった時期があります。接触してくるのは右寄りの方ばかりでしたから、改憲派の集会に引っ張り出され、訳も分からず「憲法9条が拉致問題の解決の足かせになっている」という趣旨の発言をしたこともあります。調子に乗っちゃったんです」
「被害者意識は自己増殖します。本来、政治家はそれを抑えるべきなのに、むしろあおっています。北朝鮮を「敵」だと名指しして国民の結束を高める。為政者にとっては、北朝鮮が「敵」でいてくれると都合がいいのかもしれません。しかし対話や交渉はますます困難となり、拉致問題の解決は遠のくばかりです」
「拉致問題を解決するには、日本はまず過去の戦争責任に向き合わなければならないはずです。しかし棚上げ、先送り、その場しのぎが日本政治の習い性となっている。拉致も原発も経済政策も、みんなそうじゃないですか」
「日本社会は被害者ファンタジーのようなものを共有していて、そこからはみ出すと排除の論理にさらされる。被害者意識の高進が、狭量な社会を生んでいるのではないでしょうか」