今日から12月ですね。
またサウナへ行きまして。
だんだんと「まさかこれは整っているのか…?!」と実感できてきたところです。
テレビもなく、なるべく大した設備のない激アツサウナが好きなのですが、目を閉じて建設的なことをじっくり考えているつもりでも
12分プラス水風呂の2ターン目頃から思考が完璧に支離滅裂になってきたら、そこからがサウナの本番です。
ちょうどサウナ本番に差し掛かった頃、
今日は、先日演奏させていただいた千葉県鴨川にぽつりとある「風雲」のことが私の頭にパズルの様に散らばりましました。
絵を一つ一つ合わせていく。
砂利の駐車場から急な階段を登るとあるライブハウス。
寒冷前線の連れてきた長雨で芯から寒くなる途中の季節。店内はぎゅうぎゅうにお客様が入ってくださっていました。
ベースの後ろにスタンディング一名、私とピアノの間に並べられた丸椅子に掛けたお客様が二名。奏法上たまに足を曲げるとお膝が当たらざるを得ない距離のお客様一名。
そういうレベルのぎゅうぎゅうです。
ライブは盛り上がり、終演後もみくちゃで店を出ると、小さくなって黙っているマスターが出入り口に座っていました。
もしかしたら私の演奏はあまりお気に召さなかったかな、と思いながら「ありがとうございました」と声を掛けると、マスターは少し間を置いて
「何千回と朝日楼を聴いてきたけど、今日が一番良かったよ。」
と、口をへの字に、目に涙をいっぱいに溜めて握手した手を硬く結びました。
浅川マキさんに何度となく手紙を書いたけれど、それは決してマキさんには届かなかったこと。
その時代の東京のこと。新宿のこと。ぼつりぼつりと聞きました。
「朝日楼」とはThe house of rising sunの邦題であり、元は古いニューオリンズ民謡。
それを浅川さんは、売られて行く女郎さんの唄に訳し、ご自身のみならず、ちあきなおみさんがそれを歌い、大ヒットした曲です。
私は朝日楼をまだ録音していないので、マスターが私のレパートリーに朝日楼が入っていると知っているとは考えにくい。
浅川マキを夢見て70年代の新宿を渡り歩いた人が、巡りめぐって自分の城に招いた私が朝日楼を演奏することになったのは偶然なのでしょうか。
私の知らない、煙草の煙でステージが霞む時代の日本。
この日の夜は長雨と海風で濃い霧が出ていました。
こんな出来事を絶対に忘れないように
私は私のジャズを進めていこうと思います。
以上、サウナからでした。
1/30 Living room cafe
オフィシャル先行抽選受付
申込期間11/30(土)12:00~12/8(日)23:59
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