ずっとずっと重々しく色んなことを考えて答えを出そうとしてきたように思う。

 

そうすることで、自分がとてもいろんなことにすごく考えて行動しているように感じていたんだと思う。

そうやって自分を演出していたんだな~。

 

 

どんな自分なら価値があるのかそんなことを思った結果なのだと思う。

 

 

そんな私はやってるふりがとても上手な人間に仕上がってしまったようで驚き

実のところ中身は空っぽまではいかないけど、割と空っぽ。。。

 

 

 

 

今は自分でそこまで思ってないけど笑笑

 

 

 

 

 

大切にしてほしかったんだと思う。

評価してほしかったんだと思う。

誰かに見つけてほしかったんだと思う。

寂しさを埋めてほしかったんだと思う。

 

 

そんなことでいっぱいで

塗り固められた自分はとても重々しくて

中身は伴わないのに重々しくて。

 

 

張り裂けそうなのに正常を保とうとして

全力で病んでるのに

全力で明るく楽しいふりして

 

 

今振り返っても痛々しい昇天

でも、そんな自分がいるから今の自分もいるわけで

痛々しいと同時に愛おしくもある。

 

 

ふふふ。自分に愛おしいなんて思う日がくるなんてなー。

 

 

 

 

 

子供が生まれて言葉をかけるのもなんて言葉を掛けたら

この子は私みたいにならないのだろう。

 

 

そう思うと一言一言が重たくて言葉がうまく出てこない。

 

この一言でこの子の人生が…どんなふうになってしまうのか。

この行動が…

 

今から思うと自分の言葉、行動がどう影響するのだろうって

心の奥でおびえながら接していた。

 

自分の子供だけではなくて周りのすべてに対して

子供に対してほども思わないけどそう思いながら過ごしてきたのだ。

 

ひっじょー---に疲れます魂が抜けるはい。

 

 

 

いまだにそんな節はあるけども、思ったことを言葉にできるようになってきて

気楽に言葉を出せるようになってきた。

 

人の話も聞けるようになった、自分の話もできるようになった。

 

 

 

 

( ,,`・ω・´)ンンン?大分こじらせていましたね!

 

ええ。まあ。

 

うん。今でも!?

 

 

 

今は空っぽの感じもなく、無かったところがじんわり暖かいもので満たされてる感じがあって。幸せだな~って思う日が毎日で。

 

 

毎日同じように繰り返される日は退屈なようで何よりも幸せなものであると。

 

 

 

 

 

 

周りを見渡せばある幸せに気が付かないで

ない。ない。ない。ない。騒いできたな。

 

 

見たくなかった。

幸せだと気付きたくなかった。

不幸なほうが注目してくれるし努力しなくてよかったんだ。

 

何もしたくない。

考えたくない。

傷つきたくない。

操り人形のほうが楽なんだよ。

楽なのに苦しいんだよ。

引きちぎれそうな心を必死につなぎとめて

何もないふりをしてる。

 

 

あはは。我ながら闇深いね。

でも、今はそんな闇が心地よくもあって。

そっと隅に置いておくのではなくて

心の真ん中に真綿にくるんで大事においておきたくなる。

私を作り上げた大事な闇だから。

 

 

闇闇した気持ちに目を逸らしていた時よりも認め始めたころから

重々しさが抜けてきたように感じる。

 

 

過去必死にもがいていた自分が嫌いで

そうでしかなれない自分が嫌で

思い出すと嫌な記憶でしかないのに。

そんな自分を自分の中から排除しようとしてた。

ないものとなかったものとしようとしてた。

 

今では大袈裟だけどそれこそが自分だと思う。

この醜さが自分の大半なんだ。

そう認めたら背中とおなかがくっついた感じ。

 

 

認められなかったときはブラックホールみたいに質量が重たくて

ズシンと居座っていたのに。見ないほどに存在感を増していく。

 

自分の一部だと思い始めると

だんだんと軽くなっていく。

自然とあるような存在になる。

 

 

重々しくもなく、軽々しくもなく私なのだと。

 

 

 

タイトル通り重々しいブログになったけどニコニコ

心の中はほこほこと満たされた気持ちで今の気持ちで過ごす未来が楽しみだぁー。