東野 圭吾
ある閉ざされた雪の山荘で

久しぶりに読むミステリー。某巨大掲示板でこれを原作にしたストーリーがあり、続きが気になって買ってみた。平易な文でかつ表現が的確でイメージがつかみやすい。すぐに読めてしまった。

東野氏の文体はとても気に入ったのでまた読んでみようと思う。
読後感もよく、息抜きに読むには最適だと思った。

今、なぜ本を読んでいるのかというと、自分が文盲ではないか、という疑念を払拭するためである。僕は1を聞いて10を知るようなタイプではないので、技術書や哲学書は一般的な小説と違って読むのに時間がかかる。数ページ読むのに一日かかることもざらだ。そんな状況なので、
「本を読んだ」
という達成感が得られないまま延々と苦行を続けることになる。そうしているうちに
「この本を読むのに何日かかっているのだ」
「本当に本に書いてあることを理解しているのか」
などとネガティブ小人さんがささやきだし、本から遠のいてしまう。
その対策として、テンポよく読める作品を読んで「俺は本が読める!」という自身を取り戻そうということなのだ。それに、本を読むことで「本の読み方」「読書力」が多少なりとも向上するのではないか、という期待もある。

もちろん、読んでるばかりではなく、論文のネタになるようなことを実験し、論文執筆もしなければならないのだけれども。