UTMB3回完走 3児のパパのトレラン日記

UTMB3回完走 3児のパパのトレラン日記

トルデジアン 2019、UTMB 2014/2015/2018、ウェスタンステイツ2016完走。3人娘のパパ。仕事ではRidge-iという会社を経営してます。

最終日は2つの山を越えれば良い。

Champollopn峠(2707m)から一気に1525mのBossesまで降りて、またMaratra峠(2930m)を登ればよい。

そこからは22km下ってクールマイヨールのゴールだ。

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D6 - 20:24 Ollomontを出発(出発関門 21:00 - 36分前)

 

制限時間の余裕はかなり少ない。勝負の一日だ。今日頑張れなかったら、これまでの努力が報われなさすぎる。

丸々一晩を山で過ごす嫌なステージだが、1時間眠れたことは大きい。眠気は少なく気持ちは快調だ。

 

ここから、あと「あと2回富士山往復+10kmジョグ」と考える。

スタート時の22回富士山往復と考えるとだいぶ気持ちが楽だ。

 

ただ足の痛みはどうも強くなっている。Ollomontに入ったときよりも調子が悪い。

どうもテーピングが合わないようだ。

 

一歩歩くことに右の足裏に鈍痛が走る。アーチが崩れて、ジワっと血が滲み出す感覚。

右足の親指も差し込むような痛みが続く。ナイフで爪の間を刺されるような感覚だ。

 

登り始めてしばらくすると、また眠気が怪しくなる。

ただ目の前の足を一步でも前にすすめることに集中する。

 

最初の小屋に入る。あまり時間がないので、慌ただしい雰囲気だ。

高山病のような咳き込み方をしている人もいる。薬があるか、と聞かれたが、ないとしか言いようがなかった。

 

エスプレッソをもらい、足裏をマッサージして出ようとした、その時。

 

「柳原さん ですかー、、ちょっと付き合って下さい。。。」

 

なんとKさんだ。異常に顔がむくんでいる。足元がおぼついていない。

 

「一緒に行かないとやばい気がするので、少し寝た後に、一緒に出るので付き合って下さい。」

 

正直悩んでしまった。エイドを出た時点で制限時間の余裕は30分しかなかった。

時間がない中で弱った同士が一緒にいたところで、共倒れになってしまわないか。

ただUTMBの時の恩人だし、自分も眠気が襲っているから、話しながら行けるのは自分にとってもプラスだ。

それに、ここまで来たメンバーなら、みな完走してほしい。

 

「10分だけ寝ます」といって、Kさんは一瞬で眠りに落ちた。

 

私もぼんやりとマッサージを続ける。

 

10分後、目覚ましがなってもKさんは起きない。起こして、エスプレッソをすすめる。

 

一緒の出発するが、時間もギリギリだし、ゴールまでまだ40km以上もある。

Kさんは眠気が最高潮のようで、かなり遅く、フラフラしている。寝不足だけでなく、高山病のようだ。

時間はまだ22時でこれからが眠気が強くなるから、油断はできない。


ここでゆっくり歩くと私も睡魔に落ちてしまう。

 

ライトを最高に明るくしつつ、声がけをしながら、ガンガンと進んでいった。

眠気を払う動作は、強めのライト、大きめの動作、細かい変化、ジェル、カフェイン(ユンケル顆粒)。

そしてチームでいるなら会話だ。

 

月光が山塊を照らす、美しい夜だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

家族の話とか、仕事の話とか、なんでもふった。内容よりも、話すことが大事だ。

 

Kさんはどうにか、食らいついてきてくれていた。すごい。

Col Champillon、山頂につく。

 

 

 

 

 

 

 

 

下りはまたガレた急斜面で、滑りやすい。ここにいる人は、制限時間ギリギリのペースでいる人達だ。

当然足は残っていない。痛みにうめいている人が何人もいる。

 

ただ、Kさんと私は、急な下りはお互いそれなりに得意なのか、かなりよいペースで一緒に下れた。

キロ10分くらいだろうか。痛みよりも、動いて眠気が散る方が良い。二人とも元気が出てくる。

 

ここからは15KMもの長い下りがある。

急斜面が終わると、なだらかな下り基調で小さなアップダウンになり、走るペースが落ちると、また眠気が襲ってくる。

 

途中のエイドPonteille Desotでは肉を焼いていた。

(不思議な肉かつ焦げすぎていて、正直あまり美味しくなかった。。)

 

Kさんは「ここで寝ていいか?」とスタッフに聞いていたが、「時間がないし、寝るのはだめ」といわれていた。

しかし、Kさんは肉をゆっくり食べていると、座りながら眠りに落ちそうになる。

 

「早く行きますよー!」と急かすと、

 

「次のエイドが実は最終関門だから、18時のゴール制限時間がなくなる」

 

と不思議なことを言い始める。

うーん、そのルール変更を信じるのは危険だ。

一緒に出発する。

 

ここのエイドから真っ暗な林道がずっと続く。10M登ったら、10M下がるような微妙なアップダウン。

高さ5m位の木立に囲まれて景色は変わらない。まだエイドまで10km以上あるが、もっとも眠い午前2時〜午前4時の時間帯にこれはやばい。

 

これまで計7時間程度しか寝ていないのだ。私も足元がフラフラして、意識が遠くなり始める。

 

周りをみると、みな駆け足で抜けていく。時間もさることながら、ここでゆっくりすると眠気に耐えられないからだろう。

 

私も、走って行きたいところだが、Kさんはごめんなさい、といって歩いている。

パワーウォーク気味だし、私の小走りと同じくらいだろう。時間的には変わりないかな、と割り切って一緒に歩くが、とにかく眠くなってくる。。。

 

そして、Kさんはいきなり、周りの人に不思議な英語で声かけ始める。

「Hallo, how are you? I'm so sleepy.How about you?」なのだろうが、呂律が回ってなくてまぁ通じない。翻訳家のKさんとは思えない不思議な様子に私も苦笑い。

 

傍からみたら酔っぱらいがいきなり絡んできた!みたいな感じで、みな、愛想笑いをしながら通り抜けていく。

 

 

途中、レース中に知り合ったという中国人風の男性と並走し、どうもこの状態のKさんと波長が会うらしく、不思議な会話が成り立っていた。

「この人よく寝るんだよねー、でもすぐに起きるんだよね」という話をずっとしている。

 

そして一旦寝ようという話になり、横になり始める。

なんの流れかわからないが、二人が寝てしまったので、私も横になりぼんやりする。20分ぐらいだろうか。

 

・・・起きて、まだ進み始める。

何キロあるのかよくわからない、鬱蒼とした林道でまた人が閑散とする。下り基調だが、キロ12分位でてくてく歩く。

 

ついに、私も眠気と痛みが我慢できなくなり、一度立ち止まって、横になったら10分間寝てしまった。

起きてもまだ眠い。

 

しかたない、眠気の最終手段として、しりとりを始めた。

 

3文字以上縛り。

途中でも「ん」が入ったら負け。

外来語縛り

 

だんだんとルールを足して、小学生なみの会話を繰り返していく。

「それもう言った」「いや、言ってない」とか。

 

 

ペースはいざしらず、眠気のピークはこうして過ぎてようやくロードに出た。しかし、意外とわかりづらくて、ここで10分くらいロストをしてしまった。

 

 

D7- 4:44  エイド、Bosses(308km)に入る。

 

 

 

 

 

 

 

「スタッフの人に確認したら、やっぱり次のエイドをくぐったら何時にクールマイヨールについても全員完走なんだって。今日はボーナスステージですね。だからもう少し寝ます〜〜」

 

完走扱いなのかどうかおいといて、自分は18時までにゴールしたくて頑張ってきたのだから、鵜呑みにする訳にはいかない。

(次の関門が10時、最終ゴール制限が18時とはっきり書かれている)

その情報を信じるにはリスクが高すぎるし、次の関門までが楽と決まったわけではない。

 

Kさんは寝てしまった。30分くらいだろうか。私も足裏マッサージをしたりトイレにいって待つ。

本来なら全く休む予定のなかったエイドだったので焦り始めて、Kさんを起こして出発する。

 

※レース後、フィニッシャーの定義にもよりますが、2017に時間オーバーでもフィニッシャーベストをもらってる人やITRAポイントが付与されている人が確認できたので、一部正しい情報だったようです。Kさん、疑ってすみません(汗

 

 

 

D7- 5:40 エイドを出発すると夜が開け始める。最終日の朝だ。

 

もう最後の登りなのと、日の光に元気をもらって、比較的早めに進む。あと30kmでゴールだ。

 

しかしKさんが離れ始めて、夜中ほどについてこなくなってしまった。

眠気なのか、次の関門がゴールと信じて気が抜けてしまったのか、どうなのかよくわからない。。

 

朝日が昇ったタイミングで仕方なく、先に行くことを伝えて進み始める。

また単独行が始まる。

 

 

 

 

 

 

トルデジアンらしく、次の目的地は全く見えない。大きな丘陵を回り込むようにじわじわと登っていく。

空はまた快晴で、猛暑になるだろう。涼しいうちに進んでおきたい。

 

後ろを見ると遥か向こうにKさんがいる。かなり心配だ。

 

このまま10時の関門を信じてゆっくりしていたら、18時のゴールには間に合わないだろう。

最後の関門でOUTなんて、辛すぎる。途中で発奮してもらうことを祈って前を向く。

 

 

(どこまでも続くトレイル。日が差す場所は暑い)

 

 

・・・・・

 

8:00頃、10時の関門 Merdeuxのあたりにくるが、どこにもスタッフがいない。

途中の小屋らしいところにつくがここじゃない、と言われる。

 

まずい、自分がどこにいるのかわからない。

もしチェックポイントでチェックをしていないのだとタイムアウトとみなされる可能性がある。

早めに次のエイドに行ってチェックをしておきたいが

 次のエイド、Figugio Frassatiがどこかわからない。

 

少なくとも距離で2km、登り300mはありそうだ。

 

やばい!!!

 

こんなところでチェックポイントのミスでリタイヤなんてしたくない。

 

暑さの中、がむしゃらにストックをつかって登り始める。しかも急登が始まる。

最後の関門でタイムアウトなんて嫌すぎる。

 

トルデジアン中で最も追い込んだ登りになった。

とにかく直登を重ねて、進むとエイドが見える。

 

チェックインすると、そこはFigugio Frassatiだった。30分ほどで、300m登ったようだ。疲れた足にしては頑張った。

 

後から聞くと、Merdeuxは途中の牛小屋のようなところだったらしく、ギリギリのタイミングでチェックポイントに変わるらしい。

 

小屋に入るとエイドの食事は片付け始めている。あまり制限に余裕がない状況にはかわらない。

 

Kさんが通り抜けられたのかが心配になるが、どうしようもない。

 

かなり追い込んだ代償で消耗が激しく、20分位休む。日焼け止めを他のランナーから借りられた。

 

 

 


(肌が焼け焦げてます)

 

 

 

そして水を多めにもって、クッキーを大量に仕込み、暑さに備えてから、最後の登りに向かう。

 

ここから400mアップでマラトラ峠(2930m)だ。

ラスボス前の興奮が来る。

 

 


(ピークが見えた!!!)

 

 

 

傾斜が徐々に激しくなり、砂礫上の地面になる。ずっと先にピークが見える。

そしてつま先でしか立てないような登りを進んだ先に、鉄はしごが見える。

 

すでに320KMは歩いているところでの鎖場は怖いが、ここが最後の難関だ。

ここは応援が多く、勇気をもらう。

 

 

(振り返るとこれまでの長いトレイルが見渡せる。皆必死だ)

 

 

 

 

そして、マラトラ峠を登った。

 

 


(マラトラ峠からの景色)

 

 

 

ここからはあとは下るだけだ。

向こうにはグランジョラスとモンブランが見える。UTMBでみた景色と重なる。

 

トルデジアン完走をようやく現実味として感じたのはこの時。

 

初めて、歓喜の声を上げた。

 

 

・・・・・

 

ここから22kmの下り。

気持ちが切り替わると、エンドルフィンがでてきて痛みが和らぎ、かなりハイスピードで飛ばして下っていく。

 

その横を、時々30kmレースのランナーが猛烈な勢いで抜いていく。初めてスカイランナーを見たが、私なら3歩くらいかかる段差を一歩で飛び越えていく。キロ3分台だろうか。

 

私もキロ8分のペースで快調に降りていく。

途中、足を引きずりながら、一步ごとにうめき声をあげるランナーを2〜3人みた。

痛み止めを使うか?と聞くが、すでに沢山飲んだ、との答え。

 

Good Luckというしかない。その横を通り過ぎる。

 

 


(この時は、このまま降りるだけだと思って余裕な表情

 

 

 

 

途中に小さなエイドがある。すると、ここから登りが始まる。

 

 

 


(あれ、、、地形図ではもう下りだけなのでは。。)

 

 

じわじわと登っていると、また足裏の痛みが激しくなる。

 

(やばい調子乗って走りすぎた。痛みの質がぜんぜん違う。我慢できないぞ。。。。)

 

そして、延々と100m位登ってはまた100m位下って、というトルデジアン流のループが始まる。

 

しまった、下りだけじゃないのか。。。油断するのが早すぎた。ペースが乱れて、色々な痛みが出てくる。

 

UTMBは最後のエイドからの下り8kmはスパートの区間だったので、同じ感覚でいたのが大失敗。スパートが早すぎた。

気持ちが途切れると、痛みが強くなる。仕方なく、ロキソニンを飲む。

 

右足の親指が異常に腫れている。化膿しているのだろうか。一步ごとにナイフで指の間を刺されるようだ。

なんども座って、テーピングをしたり、カッターで爪を切ったりする。

 

そして、下り続けると、これまでなかった左足の腸脛靭帯に激痛が走る。

足を曲げることが全然できない。これまで右足をかばったことの負荷がこんなタイミングで出る。

 

足を引きずりながら進む。抜いた人たちに、抜かれて今度はGoodLuckと声かけられる。

トボトボと灼熱の日差しに焼かれながら、食いしばって進む。

 

 

長く長く下ったところで、UTMBのトレイルに合流し、逆向きに進む。ここからベルトーネ小屋までトラバース気味にすすむ。

(ちなみにUTMBランナーにとっては、ベルトーネの急登ときくとゲッソリする人が多いだろう。)

 

このトラバースは記憶よりも断然長く、細かいアップダウンが繰り返す。

似たようなループが何度も繰り返す。もっと短いと思っていた分、気持ちが焦る。

 

 


(UTMBと逆向きに歩く。クールマイユールはずっと先で見えない)

 

 

UTMBではまだ100KMもない地点だが、トルデジアンではすでに320KMも歩いているのだ。
痛みが強くなる。めまいが続いて、ペースすら考えられない。

30kmレースのランナーに道を譲るたびに、小休止してしまう。

 

・・・・・

 

D7 - 13:56 最後のエイド ベルトーネ小屋に着く。

クールマイヨールまで、あと6km。

 

この時には座ることもギリギリだった。暑さも激しく、とりあえず水をもらう。

左膝の腸脛靭帯が棒のように張っている。一步曲げるごとに激痛。足を地面に着くと、関節まで痛みが走る。

 

スタッフにテーピングを依頼するが、包帯しかない、といわれて足を固定される。

 

固定したほうがいいのかな?とおもって下り始めると、余計に痛い。

ロキソニンをまた飲む。全く効かない。


小野さんが通りかかって、続いてTさん、Uさんたちのグループがちょうど横を抜けていく。

周りの人にどんどんと抜かされていく。

 

あと6kmの急斜面の下り。辛すぎる。

しかし、休んでいては18時に多分間に合わない。進むしかない。

何度もうずくまり、足を擦り、そしてほぼ片足で降りていく。

 

結局、包帯はとった方が楽と気付き外す。痛みを無視しながら下るしかない。

 

ゴロゴロした岩がある辺りは最悪だ。

涙がでるといよりかは、脳天に響くような痛みに歯を食いしばる。

 

応援に登ってくる人たちの声を頼りに、とにかく一歩でも街に近づくように進む。

「you're winner!」「you did great job!」「Only 3km to GO!」「Amazing! 」などの一言一言が支えになった。

 

・・・・・・・

 

ベルトーネ小屋からの標高差700m 距離6kmの下りはトラウマになりそうな痛みだった。

ゴール後に振り返ってみても、よく降りられたと思うし、医者がいたら確実にストップと言われた気がする。

 

そしてついにトレイルが終わり、クールマイヨールのロードに出た。

トレイルよりも断然足が楽だ。感動よりも助かった、という気持ちが先にくる。

 

家族に、もうすぐゴールする、と連絡をする。

 

一歩、一歩、ロードを降りていく。痛みが徐々にやわらぐ。ゴールを確信する。

 

知り合いのお父様が、応援に駆けつけてくれる。写真を撮ってくれる。

 

 

市街地に入ると、応援の声が一層高まる。

 

 

 

 

 

拍手、ブラヴォーという声を聞くと、涙がとまらなくなった。

 

 

30kmレースの選手と混じってのゴールだが、トルデジアンのゼッケンが見えると特に歓声が高まり、祝福してくれた。

 

よくこんな練習量で完走できた。痛みによく耐えられた。

タイム・順位など関係なく、トルデジアン完走という目標をやり通せたということが心から誇りに感じた。

 

そして憧れの黄色い台、フィニッシャーゲートが見える。

 

写真を撮りたいという気持ちよりかは、早くそこに着きたいという気持ちに駆り立てられて、近づいていく。

 

D7 - 15:36 クールマイヨールのフィニッシャーゲートに立った。

 

 

 

 

 

名前を呼ばれた後に、君が代がいきなり流れて焦る。

すこし気まずい気持ちになりつつも、初めて人前で国家を唄った。(後ろの人がいないときは国家を流すサービスを始めたらしい)

 

・・・・・・・

 

147時間36分  

累積距離 338.6km (実測360km)

累積標高 24000mD+ (実測30000mD+)

 

図らずも、最初の予定ゴール時間と1分差だった。

 


 

それにしても、あまりに長いレースだった。

 

サポートの人たち、すでに完走した人たちがみな祝福に駆け寄ってくれる。

 

橋爪さんが来てくれた時、痛みを耐えてきた辛さが溢れて、そしてサポートしてくれた有り難さが極まって、またポロポロと涙がでた。

 

 

 

 

 

 

 

 

完走のブースにあるビールを小野さんと飲み、そしてジェラートを食べる。

 

そして、Kさんがもうすぐゴールするとの連絡がはいる。

良かった、途中で巻き返してくれたんだ。同じくらい嬉しかった。

 

ゴールを見届けて、ホテルに戻る。

 

「完走おめでとう!!!」

 

とオーナーが祝福してくれて、またビールを開けてくれた。

 

18時から宿泊者みんなでパーティするよ、と誘ってくれたが、多分寝てる、と応える。

案の定、シャワーを浴びた直後に、ベッドに倒れ込んで一瞬で眠りに落ちた。

 

・・・・

 

この日の夜は「やばい寝すぎた!!関門やばい!」 という夢で起きてしまった。

そしてこの関門に追われる夢は1ヶ月位続いてしまい、体は疲れているのになかなか眠れない日々が続いた。

 

(完走後の体調についてはブログを参考にしてください。)

 

 

・・・・・

終わりに

・・・・・

トルデジアンにまた出たいか?と聞かれたら、多分タイミングによるだろう。

もし2日目と4日目の途中に聞かれたら、絶対にNOという。

 

でも、レース後に振り返ると、これだけのチャレンジを達成できたことは、人生にとって最高の1週間になったと思う。

 

「完走した人、全てが勝者だ。自分自身との戦いだ。」

 

UTMB、トルデジアンのオーガナイザーが同じく発言しているが、心から同意したい。

 

プロのアスリートとして表彰台に上がる人たちは別かもしれないが、私のような一般ランナーにとって、どのレースよりも順位・タイムは全く気にななかった。

 

UTMBと比べたらスピードが求められないので、トレランの走力はあまりなくても完走できると思う。

 

求められるのは、自分のペースにあった歩き方を知り、そしてどんなに辛くても、もう一歩踏み出し続ける気持ちが試されるレースだ。

 

UTMBはレースと言うより旅だと思っている。

そしてトルデジアンは、人生の縮図じゃないか、と思う。

これほど自分を問い続けるレースはなかった。4日目に自信と気持ちを粉々にされたけど、そこから前が見えなくても、出来る限りの工夫をして、そして一步ずつ進む力を知り、確実に強くなれた。

 

全部で2週間という長期休暇を支えてくれた社員、家族。

そしてレース中を支えてくれた橋爪さん・いちたく隊、同じレースに挑んだ参加者たち、純粋に挑戦を応援してくれる沿道のサポーター、主催者・ボランティアの人たち。このようなチャレンジの場所を与えてくれたことに最大の感謝をしています。

時間がない中での偶数日。やはり辛かった。2500-2700m相当の山を3つ超える必要がある。

想定時間は24時間。そして4日目にも苦しめられたようなギザギザがある。

 

(標高2500m超で続くギザギザがエグい。そして1400m標高差を下ってOyaceに降りて、また同じだけ登り返す。鬼。)

 

5日目と同様、夜間帯は記憶がはっきりしない部分が多数あるので、間違っていたら容赦してほしい。

 

 

D5 - 19:50 Cretazエイドを出る。出発関門は23:00なので、貯金は3時間しかない。

 

街をでて少し登る。街明かりが遠ざかるのが寂しく、そして暗い林道に入る。丸一晩続く深夜のステージだ。


気を失うような登りが続く。

 

AM1時ころ、途中のエイドについた瞬間に立てなくなり、ベッドがないか聞く。45分ならOKと言われて中に入り休む。

調理室の中で、横にチーズとハムがあり、匂いが強かったが、気にする余裕はない。ちょうど眠りに落ちたところで起こされた。

 

その後2−3時間進むとピークに上がり、その後広いコルが連なる場所にでる。

急斜面なら道はわかりやすいが、平坦な広い稜線を歩く道になると、コースフラッグの目印だけが頼りになる。

 

このあたりでしかも単独行になってしまい、前後に誰もいない。

慎重に進んでいたが、途中300m位進んでもフラッグが見えず、ロストしたことに気づく。かなり怖かった。

 

元に戻ると、危うく違う山を登っていた。標高差でも50m位登っていたので降りるのは辛かったが、

20分ほどロスで済んだのは不幸中の幸いだ。

 

 

Tzanという峠(2738m)を超える。足元は崩れ落ちるような急斜面。

転んだら間違いなく死にそうなところがある。ゆっくりと下る。

 

後ろを振り返ると、また6日目の日が登りつつある。

 

尾根がモルゲンロートに照らされ、とても美しい。すこし休みながら写真を撮る。

 



 

周りが明るくなるについて、眠気が離れていく。すこしウキウキとしながら進む。

 

ただ、長い。斜面のトラバースと、小さなピークを超えていきつつ、700m下ったところで、6日目の朝焼けをRifugio Lo Magiaでみる、美しい。

 

そして、また650mを登り返す。

足の痛みは、すでに限界であるが、歩けないほどではない。

痛みをギリギリ我慢できるペースが身についたのか、思ったよりかは気持ちを楽にして歩を進める。

もう慣れてきたアップダウンを繰り返しながらも、このあたりは絶景が続く。

小さな湖に深い青空と切り立った尾根が映し出される。





途中のBivacco小屋は狭かったので水だけもらってすぐに出た。

 

Vessona峠(2788m)につくと、ここから標高差1400m、距離10kmの下りとなる。





(気が遠くなるがれた下り)


もちろん、どこに次の目的地があるかなんて全く見えない。

 

下りが続くと、足へのダメージが顕著に響く。

 

右足の土踏まずは血が滲み出すような鈍痛

右足の親指の爪が刺さる鋭い痛み

左足の腸腰筋の強い張り

 

このあたりがセットで襲いかかる。

 

もう笑うしかない。次の目的地が見えなくても、足がどんなに痛くても、一步前にだすだけ、ということに慣れてきた。

 

10kmは長い。あと何時間耐えればいいんだ?

 

呼吸を落ち着かせてとにかく足を前に出す。痛みは耳から追い出せ!

 


D6- 12:04 Oyace(1360m、274.4km)につく。

 

多分、ここの市街地の入り口にジェラート屋があったが、また通りかかると思って買わなかった。

しかし、帰り道は逆だったので、買わなかったことを悔やむ。

 

大きめのエイドでゆっくりしたいが、すでに予定より1時間遅れている。関門の3時間前だ。かなり危ない。

 

水の補給をして、クッキーだけ袋に詰め込む。

ちょうどUさんと化粧室ですれ違い、日焼け止めを貸してもらう。助かった。

 

市街地を登り返し、ここから1200m登る。暑かったという記憶しかない。どこかで見た景色とこんがらがっている。

 

そして、ここからの登りが エグかった。林道にはいり、急斜面を1200mも登っていく。

温度は35度を超えていたかもしれない。

そして鬼のように、時々回り道をさせられて、どれだけ登ったのかがわからなくなる。

 

1200mなら、塔ノ岳1回か、と思っていたが、260km歩いた足と体力には厳しすぎる山だった。

 

(左の方に薄らとトレイルが見える。)



ハイドレーションの水が切れる。手持ちのフラスコに入れたコーラしかない。焦り始める。

 

水涸れ気味になってしまったところで、潰れかけたような小屋にスタッフがいる。

どうも、簡易的なエイドになっていた。ここの水がなかったらアウトだったかもしれない。

 

そして、巻道のような登りを進む。

下りが思ったよりスピードが出せないので、できる限りパワーウォークを心がける。

 

Oyaceをでてから地獄のような3時間を乗り越えて、Col Bruson(2508m)に到着。

また頂上でUさんと合流する。

 






ここから標高差1300m、距離7kmの急斜面を下ったところに最後のライフベース。Ollomontがある。

最後のライフベースが近い、と思うと、少し力がでる。

 

走れたら気持ち良いだろうが、調子のって5分位走ると、痛みがでて歩いて、また和らいだら走って、というのを繰り返しながら、徐々に標高を落としていった。

 

 

D6-17:19 Ollomont (287km) 最後のライフベースに到着。 (入場関門時間 19:00 、出場21:00)

 

制限時間が2時間を切っている。厳しくなってくる。

シャワーは2つしかなく、非常に混んでいた。夜が近いので浴びた後は寒い。

 

テーピングを剥がそうとすると激痛がする。膝の横の皮が一緒に剥がれてしまった。

ちょうどテープの際で擦れていたのだろう。

 

マッサージを受けたあとに絆創膏も貼ってもらう。

 

ただ、正直なところここのマッサージをうけてテーピングは張り直してもらった瞬間に、

「あ、前のままの方が良かったな」という感触があった。

 

結果論ではあるが、最終日の下りのトラブルは、このテーピングを替えなければ、起きなかったかもしれない。

 

1時間ほど睡眠をとる。

そして、準備に手間取り1時間も掛かってしまう。

 

最後の夜が始まる。あと1日。時間との戦い。

 

出発関門21時の30分前、13日20時30分頃にエイドを出発した。

 

(続く

5日目、実はこのあたりから、かなり記憶が曖昧になって前後関係があやしい。間違っていたら容赦してほしい。

他の人のブログを読んでも、みな5日目以降曖昧で、よくわからない。

 

 

この日の想定のタイムは17時間。甘くはない。

2700mと2500mの2つの山があり、大体1500mほど登って降りるのを繰り返すようだ。

 

・・・・

寝過ごしたことで、周りには誰もいない。

時間はD5-2:00、出発制限は3:00 なので制限1時間前だ。

 

急いで支度をして、30分で出発する。シューズも替える。

補給食として、エイドのクッキーを大量にジップロックに入れる。

すでに食欲がなく、ハムもチーズも食べられない中で、なぜかこのクッキーだけは最後の最後まで食べられた。

多分トータルで1kgぐらい食べただろう。レース後半で、ほぼ唯一のカロリー源だ。

 

image

(にわとりマークのクッキー。程よくしょっぱく美味しい。1日50枚位食べた。)

 

 

D5- 2:32 

Gressoneyライフベースを出る。

 

(いちたくサポート隊が撮ってくれていました)

 

痛い足には変わらないが、2時間以上寝られたこと、そしてスマホがもどったことは精神的にだいぶ良い。

途中のエスプレッソをただで振る舞ってくれている私設エイドがあり、砂糖をトロトロにとかして飲むと更に眠気が消える。

じわじわとした登りを進む。

 

とはいえ、2AM-4AMは睡魔が襲う時間だ。長い登り道が続き、山に入ることに日が登る。

陽の光を浴びると体の中からエネルギーが湧いてくる。偉大だ。


無事に1つ目の山 2700mを登りきり、下っていく。

足裏の痛みの割には快調だ。履き替えた靴は、練習時は同じサイズなのになぜか大きくて中で足が動くので避けていたが、200km走って浮腫んだ足にはちょうどよい。

 

途中間違った小屋に向かってしまうが、5分位のロスですんだ。

しばらくは走れる下りだが、徐々に急斜面となる。

30cm,40cmくらいの段差をジャンプするには足が残っていないので、慎重に足を下ろす。

 

最初のエイドでヨーロッパ人のYさんと会う。

途中何度か抜きつ抜かれつを繰り返していて、なんとなく馴染みになっていた。

 

川沿いの公園のような歩道をずっと歩いていくが寒い。

不思議なトーテムポールが多く立っている。(これが本当にこの区間だったかよく覚えていない。幻覚かもしれない)

 

またYさんに追いつかれ、並走をする。

過去のトレイルレースの経験などを話しながら登る。やはりUTMBは完走していた。

 

ここから登りが1200mも続くのだ。

登りはかなり早いが、一生懸命ついていく。一人だとダレてペースダウンしそうだったので、ちょうどよい。

 

しかし暑さがまた増して、ジリジリと肌を焼いてくる。

トレイルに入るところで、Tシャツに着替えて、足裏も少しマッサージするために先に行ってもらう。

 

ここの登りは、本当に暑すぎた。

樹林帯を抜けると、カンカン照りに焼かれる。水場もない。

 

途中、脱水症状気味になり、立ち止まる。

日焼け止めがないことが悔やまれる。

 

次の小屋はどこにあるのか、わからない。

透き通るような青い空、なだらかな丘陵。草色に燃える木々。いつまでも緩やかに長く繋がるトレイル。

 


(いつもあの稜線がピークと信じるが、一向に終わらない)



もう少し気候と体調が良ければ最高のハイキングコースなのだろうが、さすがに200KM以上歩いた足と体には、むしろ急登の方が気が紛れてよい。

 

呆然としながらも一呼吸つき、息を整えてから、また一歩一歩すすめる。

 

このあたりになってくると時間の間隔がおかしくなってきて、

「どこが次の小屋かわからないが、まぁ。あと1時間歩くか」

と諦めたような感じになる。

 

Rifugio Grand Tournalin(230km,2535m)の小屋につく。





小綺麗で長居したくなる。明らかに熱中症になっているので、小屋で中休止をする。

 




Col Bruson(2508m)にたどり着き、あとはライフベースまで600m下る。

 

 

D5 - 14:32 日が紅くなり始めるタイミングで、ライフベースCretaz(239km)につく。

17時間予定のところ12時間でつけた。

 

ライフベースを出たときは制限時間も30分とギリギリだったが、おかげで休めたことで全体的にペースが上がり、一気に6時間と増えて、少しリラックスする。

 

体育館でシャワーを浴びて、マッサージ(1時間と聞いたら、結局2時間まち)を受けて、仮眠をする。

橋爪さんが来てくれて1時間で起こしてもらうことをお願いする。

うとうとと眠りに落ちて40分ほど寝る。

 

(いちたく隊が撮っていました。)

 

 

食事の場所では、あえなくリタイヤした人が応援に来ていた。やはり4日目は鬼門だったようだ。

手作りのおにぎりと肉を一切れ頂いてパワーがつく。

 

正直まだ休めた感じはしなかったが、制限時間が怖かったのと、日が沈む前に少しでも動いておきたかったので出てしまった。

 

なんだかんだでエイドに5時間もいた。40分しか寝ていないにもかかわらず、なぜこんなに掛かってしまうのか。

マッサージにこだわりすぎたのもあるし、食事なども明らかに効率が悪い。

 

こういったロスは後々響く。

そして、このあと最後の偶数日 6日目に入る。睡魔と痛みとの戦いが激しさを増す。

(続く)