こんにちはyanagi(Big Spoon)です。 (・∀・)
明日はもう立冬だそうです。
つまりは、暦の上では冬なんだそうです。
まだまだ、冬なんてそんな感じじゃないですね~。
(オコジョです。カワイイですね~)
(´∀`) !カワユスー!
*:..。o○☆゚・:、。*:..。o○☆゚・:、。゚・:、。★゚・:、。゚・:、。☆*:..。o○☆゚・:、。*:..。
前回からの続きです。
概念装置としての『前世』ですが、こういう考えを使えば有効
という場合にはドンドン使ってもいいと思います。
私のはなしでいえば、これまで挙げてきた曲が私に涙腺決壊状
態をもたらす理由は、特段見当たらないということが、『前世』
という考えを適用してもいい理由だったわけです。
ところで、『前世』といえばみなさん思い出すのが、『(前世)
退行療法』ではないでしょうか。
実をいうと、私もこの療法を受けたことがあります。
今回はそのことについて詳しくは書きませんが、通常の考え
では理解できない感情・感覚が私の中にはあって、それにつ
いて調べる方法がないか、と思って受けたものです。
催眠療法については、考えるところもイロイロあるので、い
つか書くと思いますが、私が受けた退行療法で感じたことに
ついて言うと、私が催眠中に見たイメージは『前世』という
ものを前提にしたほうが理解しやすいように思えました。
とういいのも、そこで見たイメージは、生まれてこのかた初
めて見たイメージだからです。
また、そこで見たイメージのストーリー展開や、視覚的要素
も全く初めてのものばかりでした。
ま~、あまりはなしがアヤシくなってしまうのもなんなので、
そのイメージを『前世』由来のものと考えた方が建設的なの
ではないか、ということについてのみ指摘しておきたいと思
います。
モチロン私が見たイメージを『前世』由来のものと考えない
ことは、当然ながら可能です。
しかし、問題は何故そのイメージが『前世療法』を行うとい
う条件下でのみ現れてきたということを説明できる原理が存
在しないことであるように思われます。
何故同じようなイメージが、例えば日常生活の中で現れない
のか、ということを積極的に説明できる原理・理屈が存在し
ていないのですね。
続きま~す。。
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