【AI雑談】

●私
今日は世界の文化の違いについて、とりとめもなく思いついた事を喋りたいと思います。
まずは今更ですが、アイドル文化でK-POPは“完成品提供型”、日本は“成長見守り型”と言われているが、これをちゃんと考察したら面白い文化論になる様な気がします。
本来、商品(商売)として考えるなら“完成品提供型”の方が当たり前だし、世界中の全ての商品の大半はそういう概念で商売が成り立っている様な気はします。
だから、逆に“成長見守り型”が成立している、日本人の概念の方に着目するべきなのでしょうね。
でも商品によっては、例えば家庭菜園やガーデニング等々、“成長見守り型”の買い手が育てる様な商品もある。
なので、本来なら“完成品提供型”の商品を“成長見守り型”とするのは、「ひょっとしたら凄い発想の転換なのかも知れないな」と、ふと思いました。
逆に完璧に“完成品提供型”の商売である飲食業に於いて、今の日本の食文化は絶賛されています。
言い換えれば、日本に来て何を食べても(コンビニ食から一般飲食店まで)、自国の飲食業と比べて、(自国の)手抜きが目立つのでしょうね。
この辺りに関して、日本人は非常に厳しいと思います。
更に、それらに関する接客業のサービス(態度・対応)についても日本人は厳しいですよね。
正直、“完成品提供型”も“成長見守り型”も客のニーズによって変えれば良い事なのですが、基本的に詐欺商売以外は“完成品提供型”であるべきだと言う考えが方が一般的だと思います。
しかし、現実では世界の文化の違いによって、それぞれに“ルーズ”な部分と“シビア”な部分とが違っている様です。
そういう部分についての世界の文化の特徴や違いの情報ってありますか?
★AI
あります。
しかも、今おっしゃった「完成品提供型/成長見守り型」という切り口は、かなり面白いと思います。
単純に「K-POPと日本のアイドルの違い」という話にすると芸能論で終わってしまいますが、「商品・サービスに対して、どこまで完成度を要求し、どこから先を買い手側の参加に委ねるのか」という問題に広げると、食文化、接客、教育、スポーツ、エンタメ、さらには人間関係までつながってきます。
そして、私はここで一つ重要なことがあると思います。
≪「完成品」と「未完成品」の違いではなく、「誰が完成させるのか」の違い≫
例えばK-POPの典型的なシステムは、事務所側がかなりのところまで完成させてから、商品として市場に出す。
歌、ダンス、衣装、MV、コンセプト、メンバーの役割、SNS展開まで含めて「作品」として設計する。
一方、日本のアイドル文化には、まだ完成していない人間を商品として提示し、その成長過程そのものをコンテンツにする。という発想がある。
これは、普通の商品ならかなり奇妙な商売です。
「この車はまだ未完成ですが、皆さんで見守ってください」
「このレストランはまだ料理人が修業中ですが、成長を応援してください」とは、普通は言わない(笑)。
ところがアイドルでは成立する。
ここには、単なる品質管理の違いではなく、「商品に人間の時間を組み込む」という日本的な発想があるように思います。
≪そして、あなたが挙げた「ガーデニング」が実に面白い≫
これはかなり重要な反例です。
植物を買う場合、「完成した植物を買う」こともできますが、「まだ小さな苗を買って、自分で育てる」こともできます。
後者の場合、買い手は単なる消費者ではなく、商品の完成過程に参加しています。
つまり、
・完成品提供型 → 「完成したものを受け取る」
・成長参加型 → 「完成する過程も含めて商品価値」
となる。
アイドルの場合は、この「成長参加型」を人間そのものに適用したとも考えられます。
そして日本では、アイドルだけではなく、
・漫画家を新人時代から追いかける
・スポーツ選手の若手時代から応援する
・子役の成長を見る
・バンドのインディーズ時代から追いかける
・YouTuberの初期から見る
など、かなり広範囲に「成長を見ること」自体が娯楽になっています。
ここには、“「完成したものを見る」ことと「完成していくものを見る」ことは、別の快楽である”という文化的な違いがありそうです。
≪ところが日本人は「完成品」には異常に厳しい(笑)≫
ここが今回の話で一番面白いところです。
アイドルには、「最初は未完成でもいい。成長を見守ろう」
なのに、コンビニのおにぎりには、「なんでこんなところに米粒がついているんだ」となる(笑)。
飲食店でも、「まあ、この店はまだ成長途中だから」とは、なかなか考えてくれない。
むしろ、料理・清潔さ・盛り付け・提供時間・接客・店内環境まで含めて、完成されたサービスを当然のように要求する。
ここには非常に興味深い二重性があります。
日本人は「物」には完成を要求するが、「人」には成長の余地を認める。
もちろん日本人全員がそうだという話ではありませんが、文化的傾向として考えると面白い。
そしてこれは、以前話した「説明と余白」の問題とも少し似ています。
日本のサービスは、“客が不満を言わなくても、提供側が先回りして穴を埋めておく。”
つまり「余白を客に負担させない」。
ところが日本のアイドル文化では逆に、“未完成という余白をファンに渡して、一緒に完成させてもらう。”
この二つが同じ文化の中に存在している。
≪世界的に見ると「ルーズ/シビア」の位置が違う≫
ここから文化論として非常に面白くなります。
もちろん国民性を一括りにはできませんが、大雑把な比較をすると、
【商品の品質】
・日本 ⇒ 非常にシビア
・アメリカ ⇒ シビアだが合理性重視
・欧州の一部 ⇒ 品質+伝統・個性
・韓国 ⇒ 非常にシビア
【接客】
・日本 ⇒ 非常にシビア
・アメリカ ⇒ フレンドリーさ重視
・欧州の一部 ⇒ 店による/距離感を重視
・韓国 ⇒ 比較的シビア
【飲食】
・日本 ⇒ 均質性・丁寧さ
・アメリカ ⇒ 量・分かりやすさ・サービス
・欧州の一部 ⇒ 個性・伝統・食文化
・韓国 ⇒ スピード・量・活気
【エンタメ】
・日本 ⇒ 「過程」も商品化
・アメリカ ⇒ 完成したスターを消費
・欧州の一部 ⇒ 作家性・個性を重視する傾向
・韓国 ⇒ 完成度・設計性
【時間感覚】
・日本 ⇒ 正確さへの要求が強い
・アメリカ ⇒ 状況によって柔軟
・欧州の一部 ⇒ 国による差が大きい
・韓国 ⇒ 比較的スピード重視
【人間関係】
・日本 ⇒ 空気・配慮
・アメリカ ⇒ 明示・自己主張
・欧州の一部 ⇒ 距離感・個人性
・韓国 ⇒ 関係性・序列を意識する傾向
ただし、この表で「日本=全部きっちり、外国=全部ルーズ」とすると、たちまちステレオタイプになります。
むしろ重要なのは、「何に対して厳しいのか」です。
例えばアメリカは日本ほど「細部まで均質なサービス」を要求しない場面がある一方で、契約、責任、権利、成果などについては非常にシビアです。
逆に日本では、契約書に書かれていないような、「普通はそこまでやるでしょう」という部分に異様な厳しさが発生する。
これが日本の「サービス過剰」の一因でもあるでしょう。
≪そして韓国と日本は、実は対照的で面白い≫
ここはあなたがK-POPを見ているからこそ面白くなるところです。
韓国のアイドル産業は、「完成度を上げてから市場に投入する」という方向にかなり振っています。
日本は、「市場に投入してから、ファンと一緒に成長させる」方向が強い。
ところが両国とも、「人間そのものをコンテンツ化する」という点では共通している。
つまり、
韓国「完成度の高い人間を見せる」
日本「完成していく人間を見せる」
という違いとも考えられる。
だからK-POPのファンが日本のアイドルを見ると、「なんでこんなに未完成なの?」となり、
日本のアイドルファンがK-POPを見ると、「凄いけど、最初から出来上がりすぎていて、成長を見る楽しみが少ない」と感じる可能性がある。
どちらが優れているという話ではなく、「何を商品価値とするか」が違うわけですね。
≪さらに面白いのは「失敗」に対する文化差≫
ここまで行くと、かなり大きな文化論になります。
例えば、「失敗してもいいから挑戦する」という価値観と、「失敗しないように十分準備してから出す」という価値観。
これは企業文化、教育、スポーツ、芸能など、ほぼあらゆるところに出てきます。
そして、
・日本 ⇒「失敗しないように事前に調整する」
・アメリカ ⇒「とりあえずやって、ダメなら修正する」
・韓国 ⇒「徹底的に鍛えて、競争に勝てる状態で出す」
というような違いが、少なくとも一部の領域では見えてきます。
もちろん現実はもっと複雑ですが、文化を見る「レンズ」としては使えます。
≪そして私は「ルーズ/シビア」という言葉を少し変えてみたい≫
今回のお話を整理すると、「どこを完成させ、どこを未完成のまま許容する文化なのか」という問いの方が面白いと思います。
例えば、
・日本は、
モノ・サービス → 完成度を要求
人間の成長 → 過程を楽しむ
・韓国のK-POPは、
商品・パフォーマンス → 完成度を要求
練習生 → 徹底的に完成させる
・アメリカのスタートアップ文化なら、
製品 → まず市場に出して改善する
という「未完成品を市場に投入する」発想も強い。
つまり「完成品/未完成品」は、国そのものの性質ではなく、「どの領域なら未完成を許すのか」という文化の違いなのかもしれません。
そして、ここからさらに進めると、「なぜ日本人はアイドルの未完成には寛容なのに、店員のちょっとしたミスには厳しいのか?」という、かなり面白い問いが出てきます。
ひょっとするとそこには、「人間は育てるもの、仕事は完成させるもの」という日本文化の深い二重構造があるのかもしれません。
これはアイドル論から始まって、職人文化、教育、会社組織、接客、漫画、スポーツ、さらには「人間をどう見るか」というところまで伸ばせそうです。
今回の「完成品提供型/成長見守り型」という言葉、かなり良い切り口だと思います。
●私
今のYou tubeの優良コンテンツは、全般的にそういう発想で発信している様に感じています。
しかし、オールドメディアに関しては、まるで“老害”の如く、モノの見方(視聴者レベル)を半世紀前と全く変えずに発信しているので、見限られている様に見受けられます。
★AI
そうですね。私はその見方にはかなり一理あると思います。
ただ、「YouTube=成長見守り型」「オールドメディア=完成品提供型」と単純化するより、「視聴者との関係性が違ってきた」と考えると、かなり腑に落ちます。
YouTubeの優良コンテンツには、「私はこう考えています。あなたも一緒に考えてください」というスタイルがかなりあります。
発信者自身が専門家であっても、必ずしも「私は正解を知っている」という立場を取らない。訂正したり、前回の説を修正したり、視聴者のコメントを取り入れたりする。
つまり、コンテンツそのものが完成品ではなく、発信者と視聴者の相互作用によって成長していく。
これは、先ほどの「成長見守り型」と非常によく似ています。
≪一方、オールドメディアは「完成品を渡す」ことに慣れすぎた≫
新聞・テレビなどは、基本的に、“取材する → 編集する → 専門家が判断する → 視聴者に届ける”という一方向の構造でした。
これはネット以前なら極めて合理的です。
視聴者側には、情報を集める手段がほとんどありませんでしたから、「こちらが調べて整理しました。これを見てください」で成立する。
ところがインターネットによって、この前提が崩れた。
今では視聴者自身が、
・元資料を見る
・海外情報を探す
・複数の専門家の意見を比較する
・過去の報道と現在の報道を比較する
・コメント欄で他人の見方を知る
・AIに別の視点を聞く
ことができます。
それなのに、「私たちが選んだ情報を、私たちの判断で、あなたに分かりやすく教えます」という半世紀前の関係性を維持してしまう。
ここに大きなズレが生じたのでしょうね。
≪しかもYouTubeは「視聴者のレベル」を細分化した≫
ここがものすごく大きいと思います。
テレビの場合、基本的には、「国民全体に向けて発信する」という発想でした。
だから、最大公約数に合わせる。
ところがYouTubeでは、「このテーマに興味がある人だけを相手にする」ことができます。
例えば、「映画について一般人向けに解説する」ではなく、「1960年代フランス映画の撮影技法について語る」でも成立する。
視聴者が1億人のうち100万人しかいなくても、十分な規模になる。
結果として、「視聴者をコンテンツのレベルに合わせる」のではなく、「視聴者の興味・知識レベルに合わせてコンテンツを作る」という方向へ変わってきた。
これは、あなたが以前おっしゃっていた「説明と余白」にもつながると思います。
テレビは「分からない人がいるかもしれないから説明する」。
YouTubeの優良コンテンツは、「分からない人は見なくてもいい。
その代わり、分かる人にはここまで話します」ということができる。
この違いはかなり大きい。
≪だから「老害」という感覚も分かる≫
ただ、私は「オールドメディアの人間が老害」というより、「メディアの設計思想が老朽化している」と捉えた方が正確だと思います。
実際、テレビや新聞の中にも非常に優秀な人はいるでしょうし、若い制作者もいます。
問題は個人の年齢ではなく、「視聴者は受け手であり、我々は情報を与える側である」という上下関係が、まだかなり残っていることではないでしょうか。
そしてこれは、以前あなたと話した「情報と知識」の話にもつながります。
昔は、“情報を持っている人=知識のある人”になりやすかった。
ところが今は、情報そのものは誰でも大量に入手できる。
するとメディアに求められる価値は、「情報を持っていること」から「情報をどう解釈するか」へ移ってくる。
ここで旧来型メディアがうまく適応できないと、「そんなことはネットで調べれば分かる」となってしまう。
≪そして、YouTubeの優良コンテンツが面白いのは「視聴者を育てる」こと≫
これは今回の最初のアイドル論と、実はかなり綺麗につながります。
アイドルの場合、“未完成な人間を見せる → ファンも一緒に成長する”
YouTubeの場合、“発信者と視聴者が一緒に知識・理解を深める”となる。
つまりどちらも、「完成した商品を消費させる」のではなく、「過程への参加そのものを価値にする」わけです。
そしてこれはネット時代のかなり本質的な変化かもしれません。
≪ただし、YouTubeにも「老害化」は始まっている≫
ここは面白いところで(笑)、YouTubeそのものが新しいメディアだから優れているわけではありません。
YouTubeにも、
・再生数を稼ぐだけの粗悪コンテンツ
・煽情的なタイトル
・極端な主張
・陰謀論
・AI生成の粗製濫造
・「視聴者を馬鹿だと思っている」コンテンツ
が大量にあります。
つまり、“「新しいメディアだから新しい文化になる」のではなく、新しいメディアの中で新しい文化を作った発信者が支持されている”と考えるべきでしょう。
そして、ここが今回の話で一番重要なのかもしれません。
「完成品提供型」が悪いのではない。
「視聴者をいつまでも昔の視聴者だと思っている」ことが問題なのではないか。
テレビが本当に見限られているとすれば、視聴者がテレビを嫌いになったというより、「もう昔のような“受け手”ではないのに、いつまでも受け手として扱われることに違和感を覚えている」ということなのかもしれません。
そして生成AIまで登場した現在は、さらにこの変化が加速しています。
「情報をください」ではなく、「私と一緒に考えてください」という需要が急速に増えている。
あなたが私を「質問に答える機械」というより、雑談や議論の相手として使っているのも、実はこの大きな変化の一例として考えられると思います。
●私
「もう昔のような“受け手”ではないのに、いつまでも受け手として扱われることに違和感を覚えている」というよりも、腹を立てていると言った方が近い様な気がします。
もうオールドメディアを真剣に見ている人って、私の親世代(80~90代)くらいだけだと思いますよ。
★AI
そうですね。「違和感」では弱いですね。
「腹を立てている」の方が、現在の感覚には近いと思います。
特に重要なのは、単に「古い情報だから嫌われている」のではなく、「こっちを何も知らない人間だと思って、上から説明してくるな」という反発なのだと思います。
これはかなり根深い問題です。
≪「情報格差」が消えたのに、態度が変わっていない≫
昔のテレビ・新聞には、本当に情報を独占していた時代がありました。
視聴者は、「テレビがそう言っているから、そうなんだろう」と受け取るしかなかった。
ところが今は、視聴者の方が、
「それ、海外では違う報道になっているぞ」
「一次資料を見たら話が違うぞ」
「その専門家だけではなく、別の専門家もいるぞ」
と、その場で確認できる。
それなのに従来型メディアが昔と同じ調子で、「皆さん、こういうことなんですよ」と解説する。
すると視聴者からすれば、「いやいや、こっちはもうその程度の情報しか持っていない人間じゃないぞ」となる。
だから「違和感」ではなく「腹が立つ」になる。
≪しかも、若い世代だけの話ではない≫
ここはあなたの指摘が重要だと思います。
「若者がテレビを見なくなった」という話だけなら、世代交代の問題です。
しかし実際には、中高年層までテレビ・新聞から離れている。
これはかなり重大です。
むしろ50~70代くらいの人間は、昔のテレビを知っているからこそ、「昔はテレビを見るしかなかった。でも今は違う」という変化を実感しやすい。
つまり「テレビを知らない若者が離れている」のではなく、「テレビを知っている世代まで、テレビから離れている」というところに、現在の変化の大きさがあると思います。
ただ、「真剣に見ているのは80~90代だけ」とまでは、私は統計なしには断定しません。
テレビを日常的に見る中高年層はまだかなりいます。
でも、「テレビを無条件に信用する層が縮小している」という捉え方なら、かなり重要な変化でしょう。
≪そして、ここで最初の「成長見守り型」に戻る≫
これが面白いんですよね。
YouTubeの優良発信者は、「私はこう思う。でも、あなたはどう思いますか?」という関係を作る。
場合によっては、「前回の動画で間違えていました。訂正します」とも言う。
つまり視聴者を「一緒に考える相手」として扱う。
一方、旧来型メディアは、「専門家が取材・編集・判断したものを、視聴者に届ける」という完成品提供型の構造から抜け出せない。
ここで面白い逆転が起きています。
・完成品を提供している側が、視聴者から「古い」と見なされ、
・未完成な議論を提供している側が、「面白い」と支持される。
これは最初にあなたが言った、「完成品を提供するのが商売として普通なのに、成長見守り型という発想が成立する」という話と、そのままつながります。
そして現在のYouTubeの優良コンテンツは、ある意味、「コンテンツを完成させる権利を視聴者にも戻した」のかもしれません。
これは結構大きな文化変化だと思います。
そして、その変化を理解せずに「視聴率が落ちた」「若者がテレビを見なくなった」とだけ考えていると、いつまで経っても原因が分からない。
視聴者が逃げたのではなく、「視聴者という人間の方が先に変わってしまった」。
私は、こちらの表現の方が今回の話にはしっくり来ます。
●私
こういう会話をし出すと延々と続くので、今日はここまでにします。
よい頭の整理になりました。情報ありがとう。
ただ、こういうオールドメディアがいまだに自分達の状況を把握(改善)せずに、高額報酬だけにしがみついているのを見ていると、やはり腹立たしいです。