「いいこ」であること。
これが、幼少時代の僕の絶対条件だった。

元々母は、今よりヒステリックで、精神も安定しておらず、ましてや若かったから窮屈な思いをしていたんだと思う。
今となっては僕のことを「遠慮しい」と言うけれど、そうじゃない。

みんなが持ってるものが欲しかった。
昔から常に一歩時代に追いつけなくて、
みんなが持っているものは持っていなくて、
だから遊んでもらえないことも多かった。

従兄弟がアイスクリームを強請る時も、
僕も食べたいと思っても「要らない」一択。
溶かすかもしれないし、零すかもしれないし、
そもそも食べるのが遅い。

手がベタつくのも、服が汚れるのも、周りに待ってもらうのも母は嫌いだったし、上手く出来ないとよく叩かれていたから食べない方が賢明だと小学生になる前から理解していた。

食事で「いい子」を発揮するのが一番多かったように思う。
食べる時の姿勢は必ず正座だったし、
箸の持ち方、お椀の持ち方、食べ方までは確実に。
これが出来なければ指輪の付いた父の拳骨で殴られていたし、食事も捨てられていたから、確実に出来なければ食事さえままならなかった。

殊更にいうと、親戚の家では必要以上に食べるようにしていた。
今でもそこはほんの少し気を付けている。
祖母なんかはやっぱり食べてもらうのが好きなのだ。
僕の従兄弟達は食べるのが早いか、食べない子が多かったからそこは僕が担わなきゃいけなくて、たくさん食べると褒めてもらえるから頑張って食べてた。

こんな家庭に育ったからか、いい子だと言われることは殆どなかった。
ともかく出来ない子認定されていて。

そして高校生になり、バイトを始め、恋人に出会った僕は悪い子になり、それでも楽しい方に進んでやっと今、解放されつつある。

二十歳になった時、正座で食事をしなくてもよくなって、食事の仕方は体に身に付いて、食べるのは今も遅いけれど、恋人はゆっくり食べなさい、と待っていてくれる。

けれど、今も消えないのだ。
「いい子」だと頭を撫でて欲しい。
よく出来たねと褒めて欲しい。

今でも僕は欠陥で、脳は一部足りていないし、
同じことを繰り返したりする。
だから、「いい子」じゃないのかもしれない。
だから、誰かに認められたいのだと思う。

いつか子供が出来たなら、
出来るだけ叩かないように、
そして、精一杯褒めてあげたい。

僕がしてもらえなかったこと、してあげたい。

劣等感の塊で、今でも何かに赦されたくて、
腕は治らないくらいぼろぼろで、体も見られたくないくらい肉割れていて、もう、本当に駄目な僕だけど、いつか愛してもらえますように。
いつか、愛せますように。
こんなしがらみも劣等感も罪悪感もなく、
隣に立ちたい。
自信をもって。