カレー探偵、やみちゃんです。
◆◆ カレー遠征 2017初夏・信州編(長野・松本・上田)
闇野内 豊(ヤミノウチ・ユタカ)冒険譚シリーズ
今回は初夏の信州を10連チャン。
最後までよろしくたのんますちゃ!
★信州編(もくじ)↓
http://ameblo.jp/yamikomon/entry-12286514742.html
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<①前日譚・或る日のプッタランシー>
・あの日の風景(2015年春)
今回の随筆を読む前に、知っておいて欲しい前日譚がある。
詳しくは2年前の随筆を読んでほしいのだが、
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■カレー遠征2015春・信州ほか【4】■ワッパープッタランシー(安曇野市)■タイのお寺。
http://ameblo.jp/yamikomon/entry-12018261338.html
2015年04月24日(金)
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↑ 読んでいただけただろうか?
信州は安曇野市に、『ワッパー・プッタランシー安曇野』という、在日タイ人たちの集う寺院があり、私は松本在住のカレー仲間、けーざん氏のお誘いを受けて、その寺院まで遠征したのだった。遠い目。
ちょうどそのときは『ソンクラーン(水かけ祭)』というタイの仏教のお祭り(儀式)がある日で、私は大勢のタイの方方とともに祭りを体験し、ごちそうを戴いたのである。
非常に有意義な体験だった。
(※詳細は上記の過去随筆を参照されたい)
さて、月日のたつのは早いもので、『ワッパー・プッタランシー安曇野』にはまた行きたいとは思いながらも、なかなか再訪できずにいた。
その間、帝都の八王子にある系列の『ワッパー・プッタランシー八王子』が火災で全焼するなど、さまざまな出来事があったと聞いている。
(※現在は再建)
その後もけーざん氏からは定期的にメールをいただいていたのだが、先月いただいたメールの中に、気になる一文があったではないか。
>さて、安曇野市の「プッタランシー」、
>私も前ほどは行ってないんですけど、それが移転しまして、松本市へ。
>八王子から独立し、「ワットブッタデッモンコン」と言う名称になりました。
・・私はすぐに身支度を整え、気がついたら松本に向け高速道路を飛ばしていたのである。
<②事前調査・或る日のPIM SIAM>
・外観
「PIM SIAM (ピム・サイアム)」
(長野県松本市島内4113-1)
こうして今回の遠征がはじまり、これまで5回に渡ってレポートしたようないくつかの調査を経て、いよいよ最大の調査目的である『ワットブッタデッモンコン松本』に向かうことにした。
だが、その前にこの店のことについても軽く触れておきたい。
『ピム・サイアム』は、これまで けーざん氏のメールにもちょくちょく登場していたタイ料理 兼 食材店である。
もともとは『ピム・ショップ』という名称で食材の販売のみだったらしいが、移転して名称も変わり、レストランも開始したとのこと。
ならば、軽く食べてみようかと入店したのだが、あいにく今はシェフが一人帰省中で、食事はディナータイムしかやっていないとのこと。
夜は別の予定があったので、残念だが転進することにした。
帰り際、店主に『ワットブッタデッモンコン松本』の存在を知っているか訊いてみたところ、「知らない」とのこと。
一瞬、不安になる。
けーざん氏によれば、松本市内には在日タイ人が多く、タイ人の営むこうした店やスナックがかなり多いとのこと。
ちゃんとしたタイ料理レストランではこの店か、あるいは近隣にある『ケーラン』の2店が良いらしい。
また機会があれば調査に訪れたい。
<③大願成就・或る日のブッタデッモンコン>
・道中
その後、私は けーざん氏の教えてくれた住所に向かって松本市の北、5kmほどの郊外を走っていた。
のどかな田園風景であり、このような環境であればタイのお坊さんたちも過ごしやすいだろうなと思う。
側溝にはそのまま飲めそうな清流が勢いよく。
初夏の信州は心のふるさと。
到着すると、『眞田屋』・・と書いた表札が。。
ごく普通の民家(或いは民宿)のたたずまい。
横手に回り、見上げると派手な幕が張ってあった。
うん、間違いない、ここだ。
・外観
「ワットブッタデッモンコン松本」
(長野県松本市原399-3)
無事、到着!
そして玄関先には、2年前にお見かけしたけれど結局話すことができなかった、けーざん氏の姿が。
ようやくちゃんとご挨拶できて、感無量だった。
・寺院内部の風景
・・ところがである。
けーざん氏によれば、
「お坊さんたちは一日に一回しか食事をとらないので、標準的なランチタイムの概念が無く、今日の食事はもう終わってしまった」
とのこと。
時計をみればまだ 11:00 過ぎだったが、残念ながら食事には間に合わなかったのだった。
軽く動揺していると、「よろしければ、残っているものを食べていきますか?」との温かい言葉。
・おやつを賜る
そしてお坊さんからフルーツ、ヨーグルト、ドリンクを戴いた。
ありがたい。
・探偵の食卓
その量と種類は、充分すぎるほどだった。
・この日の食卓風景 (写真提供/けーざん氏)
※もともとは↑このような感じだったらしい。
これらの料理はすべて、お坊さんたちがその日の朝に信者の家庭をまわり、托鉢することで集まったものである。
・朝の托鉢風景 (写真提供/けーざん氏(以下4枚))
信者は松本在住のタイ人女性が多い。
毎日こうやって托鉢にきたお坊さんたちに、彼女たちが作った料理や、ドリンク、お菓子などをタンブン(徳を積む)する。
・寺院での食事風景 (写真提供/けーざん氏(以下2枚))
托鉢が終わると寺院に戻り、皆でそれを戴くのである。
ちなみに、『ワッパープッタランシー安曇野』時代は僧侶1名だったが、こちらに移転して5名に増えていた。
***
・・話を戻そう。
私は寺院に残っていた信者のタイ人女性にご飯をよそってもらい、残っていたおかずをひとりで食べた。
順に見ていこう。
これらのおかず類の個個の料理名は、”有って無いようなもの”だろう。
和食だって、「お母さんが作るおかず」には”正式名称”がついているとは限らない。
あり合わせで作ったり、創作でつくったりすることも多いが、それと同じ理屈である。
在日タイ人といっても日本での生活が10年、20年の方もいたりして、日本食にも慣れ親しんでいる人たちだ。
食材も調味料も松本で手に入るものを使い、米も日本米である。
しかしながら、味付けはタイ人の好みらしく辛かったり、日本人があまり使わないハーブ類を多用したりするものもある。
黄金の仏陀像に見守られながら。
・やみターリー
”色んなものをちょっとずつ食べたい乙女ゴコロ”で急遽作ったターリープレート。
この日の料理は総じて和食的で、或いは中華風で、とてもおいしく食べやすいものだった。
安曇野時代のお祭り『ソンクラーン』で食べたときは余りに刺激が強く、まともに完食できないものがほとんどだったことから考えると、方向性が180度異なることに驚いた。
在日タイ人家庭の日常の食事がよく分かり、勉強になった。
けーざん氏に調査の舞台裏を全部見られてしまい、やや動揺する私。
安曇野時代のお坊さんと、けーざん氏と、私で、しばし食後に談義をした。
このお坊さんは日本語の習得にも意欲的で、普段から けーざん氏に何でも質問して少しずつ上達しているご様子。
「なぜ安曇野から松本に移ったか?」
という問いには、
「高僧が占いで決めた」とのこと。
移転したのは2017年5月1日とのことで、ほんの最近だった。
(どうりで『ピム・サイアム』のスタッフがまだ知らなかったわけだ)
想像するに、松本の方が信者数(在日タイ人)も多く、また松本郊外に広くてよい物件が見つかったので移転したのだろう。
たしかに、安曇野時代よりも環境は良かった。
『ワッパープッタランシー安曇野』から、
『ワットブッタデッモンコン松本』に名称が変わって、八王子のプッタランシーとの関係がどうなったのかも訊いてはみたが、その答えは難しすぎてよく理解できなかった。
遅れて1人の女性信者が来て、食事をして、お参りをしてから帰った。
***
最後に、けーざん氏が普段撮りためてこられた『ワットブッタデッモンコン松本』での食事風景コレクションをご覧いただきたい。
宗教的お祭りのときはもちろん(※次回7月9日にもお祭りがある)、普段の何でもない日にこそ真実があると。
宗教が違っても、日本人でも、誰でも訪れてOK。
タイのお坊さんや、信者の在日タイ人(タイ出身者)の人たちと共に食事をしたり、話をしたりすることができる場所。
それがここ、『ワットブッタデッモンコン松本』なのである。
※けーざんさん、本当にありがとうございました。
また行きます!イミズスタンでもお会いしましょう!
***
やみ「次のカレー活動は、あなたの街のあの店です」
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