夜話 459 広島第一陸軍病院大田分院 (一) | 善知鳥吉左の八女夜話
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夜話 459 広島第一陸軍病院大田分院 (一)


昭和20年8月6日午前、善知鳥は広島にいたことはすでに語った。

8月9日は島根県太田町(当時)に話が飛ぶ。

当時陸軍の最低階級二等兵の病兵善知鳥は「一人歩きできる患者」という意味の軍隊用語「独歩患者」とよばれ おもに衛生兵の助手としてこき使われていた。薄汚れた緑衣に略帽。手づくりの下駄姿。

広島から被爆兵につきそって島根県の大田駅に倒着したのは8月9日の昼ごろだった。

真夏のギラギラする太陽。貨車に積み込まれた被爆兵を援けて、独歩患者陸軍二等兵善知鳥は二度目の大田駅のホームに降り立った。

前夜その貨車が出発した広島の場所は今もって不明。駅ではなかった。

大田までの経由鉄道も不明である。

二等兵の病兵などには一切情報は伝わらない。聞けもしなかった。命令で動く駒だつた。所属部隊などの秩序もバラバラ。

大田駅に到着した被爆兵は、三百人ぐらいだったか。

担架、大八車、リャカ―などで広島第一陸軍病院大田分院に運ばれた。

被爆兵たちのうめきがホーム、駅舎、駅前広場に異様なにおいとともに満ちた。ショックにより錯乱した兵が多かった。応援の婦人会員、女子校生らはあまりの惨状に立ちすくむばかり。
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善知鳥は二か月前の6月中ごろ広島第一陸軍病院からこの分院に転送され、再度本院のある広島に転送され また送り返され大田に到着したのだ。 

月6日早朝広島に到着 数時間後原爆の爆風に飛ばされた。

後日 爆心地から四キロほどのエバあたりと分かった。

その年の三月、父の死亡で満洲に帰宅していた善知鳥に二度目の入営通知が本籍地八女から到着し、善知鳥は久留米の48連隊に再度入営し翌日都城近くに配属駐屯したときすでに病兵になっていた。

以後大分陸軍病院、同湯の平分院そして広島第一陸軍病院へ転送され、さらに島根の大田分院に転送された。その間軍医の診断は一度も無かった。地方の陸軍病院は軍医が不足していたのだ。転送につぐ転送は、まさに病兵の員数合わせの結果だった。

そしてさらに広島に送られ、再び大田駅に引き返し、もといた分院に被爆兵たちと里帰りをしたわけである。

善知鳥の病名は軽度の「肺浸潤」。衛生兵の補充として働いた。

のち大田の分院は旧制県立大田高女で中学はその分室ということが分かったが善知鳥が入院したのは分室だったのか?

その日大田駅に到着した被爆兵は半数にわけられ収容されることになる。

善知鳥はなじみのある元の学校の二階の病室に帰った。

二階は肺病の患者の隔離室と説明を受けていた。

軍医ら数人は元の職員室。

将校クラスの被爆者はもと一階の教室のベットの病床。

その他の一般兵は講堂や廊下に敷き詰められたゴザの上にぢかに累々と横たえられた。横に寝ていながら、腕は上に突き出したまま。曲がらないのである。

分院に到着した直後三人が死亡した。顔にはすでにウジが這っていた。

死亡した兵は衛生兵の手でそのまま大田町の火葬場に運ばれ焼かれたという。

手伝いに来た婦人会・女学生は現場をみて始めは悲鳴を上げて近づけなかった。

しかし間もなく看護にかけまわり始めた。正式の看護婦の姿は無かった。そのころ地方の分院に看護婦を配属する余裕はなかったのだろう。

それら救援女性たちは、惨状になれると驚くほどの献身ぶりを発揮した。

十日になると死亡者は増えた。水を飲ませるまえに留守宅を記録した。水を与えると死亡する兵が多かった。もう最後と思える兵には、あえて水を与えた。

その日、長崎が「特殊爆弾」に見舞われたことを知った。善知鳥の実家長崎市紺屋町には五人の兄妹がいた。

被爆兵には階級はなくなっていた。

将校でも善知鳥らをかすかに「衛生兵さん」とよび「耳がいたい。ウジを取ってください」と頼んだ。

終戦の十五日までには二か所の分院で百人は死んだのではあるまいか。火葬場は満杯。野焼きも行われたという。

善知鳥らは一応傷病兵。分院の外の使役はなかった。

そのかわり患者たちには衛生兵として直かに接した。

閃光を浴びた側だけくっきりと被爆した兵も居た。略帽は頭に焼きついたまま。

皮一枚でぶら下がった腕にはウジがわいていた。

四日め、惨状に善知鳥は馴れた。

耳のなかのウジをピンセットでとるのも上手くなった。

虫の息の兵が蠅を払うと指がちぎれ飛んだ。

拾って新聞紙に包み「処理するから」というと兵は眼でうなづいた。

翌日その兵の姿は消え、同じゴザに別の兵が寝ていた。

ソ連の満洲侵攻がはじまつたことをラジオで知った・

満洲に残した養母と妹が気になったが目の前の被爆兵の無残な姿がそれを打ち消した。

10日のラジオは前日9日に長崎市に特殊爆弾が投下されたことを伝えたが現実の目の前の惨状は不思議に長崎のことも頭から消しさった。

床に敷かれたゴザのなかに花ゴザが数点あった。

横たわる兵たちは包帯代わりの新聞紙に包まれた塊りだった。

場違いの花ゴザは惨状を飾り、真夏の講堂は臭気に満ちた。  つづく


写真は広島第一陸軍病院大田分院分室 旧制県立大田中学校正門