夜話 66 土橋八幡宮縁起  そのニ | 善知鳥吉左の八女夜話

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 夜話66  土橋八幡宮縁起   その二

筑紫広門のときまでは社に水田などが寄進されていた。


:関ヶ原の戦いで石田三成を逮捕し新しく筑後国主になった田中吉政は柳河城を居城にして、慶長六年に三男康政のために支城の福島城を築く。


築城計画にさしさわりがあるとして八幡社を城の堀外の現唐人町1の18番地の「ニ町野」に移した。


社殿の敷地は東西に四十メートル。南北に五十メートル。


合戦の兵力集合・防禦の陣地転用のための移転でもあつた。


延暦二年に稲富。福島の村びとが勧請してからほぼ八百年がたっていた。


移転してから十二年目の慶長十八年氏子の馬場外記が神像を「よりしろ」の榊で刻みそれを神体にしたという。


正保四年に神殿再興。元禄16年拝殿再興。宝永2,年にほこらを再興。宝暦九年稲富村の氏子中が拝殿再興。文化八年唐人町氏子が楼門再建。


境内の広さは約三千五百平方メートル。


末社は天満神社・大神宮・金毘羅神社・生目八幡神社・恵比須神社(石祠)が二社。計六社である。


例祭は3月15日と9月19日。氏子は308戸。以上は明治42年の調査。

(現在は10月17日に変更)

昭和59年に総経費八百万円かけて拝殿や倉庫の改築工事が行われた。


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