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元信者、れもんのブログ

元・幸福の科学の熱烈信者、れもんです。20年も自分の大切な時間とお金を無駄にしてしまいました。この20年をふり返って、様々な思いが胸をよぎります。それを少しづつ、綴っていきたいと思います。

コーフクをやめてから、変わった点がいくつかあります。


その一つに、「いい人になるのをやめた」というのがあります。


コーフクでは、常に、伝道、伝道、と言われていたので、全ての人が伝道対象者でした。そのため、人に嫌われないように心がけ、私の話を聞いてもらえるような、良好な人間関係を作る努力をしていました。


今は、自分になれるので、とても楽です。


伝道する必要もないので、いい人にならなくてもよくなりました。人に(無理に)好かれる必要がなくなったのです。


先日、嫌いな人に、言いたいことを言いました。本当に長い間、嫌いだったんです。でもコーフクをやっている時は、嫌いなことを、おくびにも出さず、本を献本し、行事に誘ったりしていました。それに、その人との関係を、よくする方法を、仏法真理から探して思慧してみたり、自分に反省ばかりやっていました。また、その人から受けた、ひどい言葉や行動を、許そうと一生懸命、努力していました。でも、いくら好きになろうとしても、許そうと努力してみても、嫌いなものは嫌いなんです。


先日、その人と会った時、10年以上たまっていた、その人に対するわだかまりを、半分ぐらいかも知れませんが、出すことができました。言いたかったことを、やっと言えた!


これが、どれほど私の気持ちを楽にしてくれたことか!すがすがしい気持ちになりました。例えて言えば、長年ゴミを捨てずに、腐ってもまだ持っていたゴミを、やっと捨てた、という感じ。あるいは、大きな便秘が治ったような感じ。とってもすっきりしました。


言いたいことを言うことは、とても大切です。

(ただし、言われた人は、その言葉によって、傷ついたりするかも知れません。)


コーフクの科学、クソ食らえ!!

反省なんかより、言いたいこと言う方が、幸せになるわ!!

コーフクのおかげで、すっかり宗教嫌いになってしまった私ですが、神や仏を信じていない分けではありません。


神様も信じるし、あの世も、霊も信じます。


そもそも、私がコーフクにのめりこんだ理由は、神様のこと、霊界のことなどを、もっと知りたい、という探究心が旺盛だったからです。


子供の頃から神様を信じる気持ちがとても強かったです。そのことで、友達とケンカしたこともありました。でも、それが災いして、インチキ宗教にひっかかってしまいました。


今の私の見解は、こうです。

神も仏もあるでしょう。霊界もあるでしょうし、魂もある。でも、それらの事象は、人間として、この世に生きているかぎり、深く知る必要もないし、探求する必要もない。ましてや、神様に愛されるための努力など、しなくてもいい。


神様は、きっと、人間も含めたこの世の全ての物を愛してくださっていることでしょう。ただ、それについては、私達は、深く知る必要なないのだと思います。


もしも、私達が神を知り、神を愛し、神に愛される必要があるのでしたら、神という存在は、もっともっと人間にとって身近なもののはずです。もっともっと、私達に、分かりやすい存在であるはずです。


でも、誰にも神様は見えない。オバケをたまに見る人がいますが、通常の場合は、霊を見ることもできません。その事自体が、「別に知る必要は、ないのだよ」と、言われているのと一緒です。


私達が神を愛そうが、愛すまいが、そんなことにお構いなく、神様は私達を愛し続けている。そして、神を一生懸命、愛しているヒマがあったら、もっと自分に身近な人を愛して、仲良くしなさい、神様はそう言いたいのではないでしょうか?


そのように考える今日この頃です。


本当に久しぶりの更新です。もうほとんど、洗脳されていた影響がなくなっています。コーフクのこともあまり考えることはありません。エル・バカターレさんのブログは、楽しみでいつも見ていますが、エル・バカターレさんの言うとおり、コーフクに関係なく、幸せになっています。一概に、ブログを一生懸命書いてくださっている、エル・バカターレさんをはじめ、ファルコンさんや、他の方々のネットでの情報がとても役に立ちました。


コーフクをやめた当初は、他の宗教に入ろうかと、色々と探したりもしました。でも今の私の考えは、「現代人には、宗教は必要なし」という風に変わってしまいました。


昔の人には、宗教はとても大切な存在だったと思います。どこかに神様がいて、私達の心がけが悪いと、天罰を与え、一生懸命祈ると、祈りを聞いてくださる。そういう、神様の存在が必要だったと思います。昔は医学も発達しておらず、病気になって命を落とす人もいたでしょうし、科学も発達していませんでしたから、いろんな面で、神頼みしか、問題を解決する方法はなかったのだと思います。


でも現代では、宗教に入ったりしなくとも、恩恵を受けることができます。それは、ほとんどの病気や怪我は病院に行けば治りますし、お金持ちになりたければ、「成功祈願」や「経済繁栄祈願」など、なんの効果もない祈願を受けるよりは、心の法則を使って、豊かになる方法がいくらでもあります。有名なところでは、「引き寄せの法則」がありますし、そのほかにも、すごく沢山、簡単に豊かになる方法があります。


コーフクに入ると没落の法則が働く、とアンチの方が声をそろえて仰っていますが、私自身を振り返ってみると、コーフク信者をやっている時には、そのような、豊かになる心の法則を知らなかったため、豊かになる方法は、神様(エルカンターレ)に愛されて、お祈りや祈願をすることで、豊かになれると信じていました。


ですので、豊かになる反対の法則を、つまり貧乏になる法則を知らず知らずのうちに、使ってしまっていたのです。それが、コーフク時代、私が豊かになれない原因だったと、今は思っています。


やめてからは、宗教はどうしても受け付けなくなり、親戚の人が仏教の本などを送ってくれても、少し読んでみて、反感を覚えたりするようになりました。


でも、宗教ではなく、心の法則を使って豊かになる方法は、面白くて実際にやってみると、本当に効果があるので、色々とやっていますよ。最近では、ざむ姫、という人の本も読みましたし、他にも色々読んで、実行し、どんどん豊かになってきました。コーフク時代がウソのようです!


あと、コーフクをやめてから、もう一つ、大切な事に気づきました。それは、自分に対する自信の大切さです。これが幸せな人生を自分で築いていく上で、もっとも大切なことかも知れません。コーフク時代の私には、これが決定的に足りませんでした。幼少時からの、親からの言動、結婚相手からの精神的虐待などによって、自分はダメな人間だと、思い込むようになったのです。この切り替えには時間がかかりました。


実際に、お金がよく回ってくるようになり、それだけではなく、自分は本当に恵まれている。なんと素晴らしい人生を送っているのか。と、心から思えるのです。ただ、一つだけ困ることは、税金が増えたことぐらいですかね。


今の世の中を見ると、イスラム教徒によるテロが後を絶ちません。全てのイスラム教徒がテロリストというわけではないにしろ、その宗教の中に問題があるのは、否めないはずです。イスラム教がなかった方が、世の中は、もっと平和だったでしょう。


新興宗教にはまって、人生を台無しにしてしまう人も結構います。私の近所にも合同結婚式で結婚した人がいますが、すきでもない人と結婚して、毎日、旦那に怒鳴られている奥さん。かわいそうです。


コーフクでも多額のお布施を要求されますので、やっぱり、生活に響きますよね。私も、貧乏でしたが、一生懸命、お布施していました。


そういうわけで、現時点での私の考えをまとめると、神様にすがらなくても、人間は十分幸せに、そして周りの人も幸せにしながら生きていける、という考えをしています。





信者の暗黙の了解で、教祖に近い人ほど、悟りが深く、人格が高い、という思い込み(?)があると思います。


実際に元嫁は、「補佐先生」と呼ばさせていました。その時の支部の説明は、私達が先生と呼んでもいいのは、総裁先生と補佐先生だけ、というものでした。


総裁先生は、巨大霊能力を持つお方ですので、側近や、秘書、幹部の方々などは、波動を整えることができる、悟りの深い人でないと、務まらない、と思い込んでいました。


多くの信者さんが、今でもそうではないでしょうか?


でも、実際に総合本部の幹部の方たちに、会ったことはありますか?


私は何度かありますよ。第一印象は、「やくざ」でした。とても、人格的に宗教者としての崇高さを持ち合わせているようには感じられませんでした。霊感がない私でも、人格の高い人に会うと、それとなく、感じるものがあります。


大昔はまだ、人格を感じられるような幹部の方はいらっしゃったのですけどねえ。裏切り者呼ばわりされて破門されたTさん、もう亡くなってしまいましたが、Mさん。それから、まだ頑張っていらっしゃるのが、残念な、Mさん。それらの方にお会いした時には、私は確かに、その方の、悟りや愛というものを、オーラとでも言うのでしょうか、感じたことがありました。


精舎の館長さんも、同じで、人格の高さは感じられませんでした。


今の幸福の科学の幹部の方たちは、とても宗教者としての崇高さなど、持ち合わせていません。

今日、少し用があって、幸福の科学に入信する前に入っていた宗教団体の教会に行きました。本当に何年ぶり??事務所で仕事をする人も、来ている人も、みんな変わっていました。


でも、私の質問にとても丁寧に答えてくれ、部長さんのお部屋にまで案内されました。その時は、ちょっとヤバイかも?と思いました。案の定、世間話のあと、伝道(?)しようとしてきます。年末には、大祓い式があるので、是非来てください、と。。。「いや、ちょっと。。。」断ろうとしたら、「心の法則をご存知ですか?」と、その宗教でいう、幸せになる方法、という内容の説法が始まりました。


もう宗教はコリゴリの私ですから、そんな話しなど聞きたくもありません。早い話が、幸福の科学でいう、「反省」ですね、心の曇りや汚点を取り除くことの大切さを、私に伝えたかったようです。それに関しては、幸福の科学をやめてから、自分なりに勉強や模索を続け、自分なりの答えをすでに持っているわけです。幸せになる方法は、宗教に教えてもらう必要は、私にはありません。


大祓い式などに行かずとも、私は毎日心の曇りを取り除いています、とお返事をしました。決してその宗教が嫌いなわけではありません。幸福の科学に比べたら、何とまともな宗教なのでしょう!


それに、その団体に集まる人々は、今でもすばらしい人々だと思っています。幸福の科学の組織の中(職員)には、とんでもない人が少なからずいて、権謀術で気に入らない職員や信者を貶めているのが普通でした。私は何とかして、私達の支部を、仏の願うとおりのまともな支部にしようと努力をしてきた訳ですが、最後には三宝のうちの、サンガ(僧)に帰依することは無理である、という結論に達したのでした。


以前の団体にも職員や講師はいる分けですが、それらの人々は人を導くために自ら率先して真理を実践し、一般の信者よりも、人間的に優れている人たちでした。その点が、幸福の科学との大きな違いと言えましょう。私がそこにお世話になっている頃は、その部長さんは、常にお祈りをしていました。これがお仕事なのかと、気の毒になるほど、長時間、正座のままお祈りをしておられました。


幸福の科学では、支部長が行事の時以外にお祈りをしているのは見たことがありません。○○の祈り、とか、○○祈願、とかは、ものすごく沢山あるのに、支部長は祈願も祈りも信じていないようでした。信者さんには祈願をすすめても、自分の名前で祈願を一度もしたことがない支部長もいました。


今の世の中、宗教はもう必要ないのかも知れません。幸福になる方法は、何も宗教に入らなくても、沢山の方法が本になって出ているので、気に入ったやり方で幸福になればいいのです。神様に祈るよりも、病院に行った方が、よく病気は治りますし。祈願しても金持ちになれないことは、幸福の科学が証明してくれました。


伝道は、愛を広げていくこと。と、今日の部長さんが言っておられました。でも私はその言葉に拒絶反応。。。。ここでも、信者を増やすためのノルマがあるのでしょうか。私には、伝道は価値観の押し付けに他なりません。


私の宗教は、日本神道です。お正月には必ず神社にお参りに行きます。そう言って、その場を去りました。