宗教団体 | 元信者、れもんのブログ

元信者、れもんのブログ

元・幸福の科学の熱烈信者、れもんです。20年も自分の大切な時間とお金を無駄にしてしまいました。この20年をふり返って、様々な思いが胸をよぎります。それを少しづつ、綴っていきたいと思います。

今日、少し用があって、幸福の科学に入信する前に入っていた宗教団体の教会に行きました。本当に何年ぶり??事務所で仕事をする人も、来ている人も、みんな変わっていました。


でも、私の質問にとても丁寧に答えてくれ、部長さんのお部屋にまで案内されました。その時は、ちょっとヤバイかも?と思いました。案の定、世間話のあと、伝道(?)しようとしてきます。年末には、大祓い式があるので、是非来てください、と。。。「いや、ちょっと。。。」断ろうとしたら、「心の法則をご存知ですか?」と、その宗教でいう、幸せになる方法、という内容の説法が始まりました。


もう宗教はコリゴリの私ですから、そんな話しなど聞きたくもありません。早い話が、幸福の科学でいう、「反省」ですね、心の曇りや汚点を取り除くことの大切さを、私に伝えたかったようです。それに関しては、幸福の科学をやめてから、自分なりに勉強や模索を続け、自分なりの答えをすでに持っているわけです。幸せになる方法は、宗教に教えてもらう必要は、私にはありません。


大祓い式などに行かずとも、私は毎日心の曇りを取り除いています、とお返事をしました。決してその宗教が嫌いなわけではありません。幸福の科学に比べたら、何とまともな宗教なのでしょう!


それに、その団体に集まる人々は、今でもすばらしい人々だと思っています。幸福の科学の組織の中(職員)には、とんでもない人が少なからずいて、権謀術で気に入らない職員や信者を貶めているのが普通でした。私は何とかして、私達の支部を、仏の願うとおりのまともな支部にしようと努力をしてきた訳ですが、最後には三宝のうちの、サンガ(僧)に帰依することは無理である、という結論に達したのでした。


以前の団体にも職員や講師はいる分けですが、それらの人々は人を導くために自ら率先して真理を実践し、一般の信者よりも、人間的に優れている人たちでした。その点が、幸福の科学との大きな違いと言えましょう。私がそこにお世話になっている頃は、その部長さんは、常にお祈りをしていました。これがお仕事なのかと、気の毒になるほど、長時間、正座のままお祈りをしておられました。


幸福の科学では、支部長が行事の時以外にお祈りをしているのは見たことがありません。○○の祈り、とか、○○祈願、とかは、ものすごく沢山あるのに、支部長は祈願も祈りも信じていないようでした。信者さんには祈願をすすめても、自分の名前で祈願を一度もしたことがない支部長もいました。


今の世の中、宗教はもう必要ないのかも知れません。幸福になる方法は、何も宗教に入らなくても、沢山の方法が本になって出ているので、気に入ったやり方で幸福になればいいのです。神様に祈るよりも、病院に行った方が、よく病気は治りますし。祈願しても金持ちになれないことは、幸福の科学が証明してくれました。


伝道は、愛を広げていくこと。と、今日の部長さんが言っておられました。でも私はその言葉に拒絶反応。。。。ここでも、信者を増やすためのノルマがあるのでしょうか。私には、伝道は価値観の押し付けに他なりません。


私の宗教は、日本神道です。お正月には必ず神社にお参りに行きます。そう言って、その場を去りました。