スポーツ・部活・授業・CM

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 甲子園で優勝した花咲徳栄高校の監督が、「50分の授業を我慢できないものが2時間の試合ができるわけがないと選手に話しています」とインタビューに答えていました。授業は我慢の場……正直だなあと感じました。

 あらゆる人に立派な人格を求めなくてよいように、スポーツ選手と人格を結びつける必要はありません。ルールを守った上でスポーツに秀でているのだから十分です。
 みんな道の途中にいるのだから。
 
 スポーツ選手の受け答えのための指導者がいるそうですが、少々作り込みすぎの感があります。スポーツ選手にとって必要なのは、感想ではありません。

 べたべた宣伝のついたユニフォームや広告だらけの競技場に美しさを感じません。今やスポーツ界を象徴するものですから、排斥するのもまたスポーツを直視していないことになるのでしょう。せめてフィギュアスケートなど表現技術が問われる種目は、広告のない競技場にした方がよいはずです。

 アラジンの魔神ではありませんから、出場選手をスモークを焚いた中から登場させるのは珍妙です。選手が気の毒です。

 「日の丸を揚げるために」無理しなくていいのですよ。揚げたいと思えばいつでも家で国旗掲揚していいのです。
 今からでも「実は原発事故はアンダーコントロールではありませんでした、ごめんなさい」とスーパーマリオさんに謝ってもらい、オリンピックは一回休み、でいいのに(個人的には永久に休みで結構です)。

 FIFAワールドカップにも問題があるかもしれませんが、サッカーという一種目なので、オリンピックとは違います。

 こうのびのび書いていますが、学校で働いている時は、運動会やスポーツ系の部活に対して、疑問を呈することができない雰囲気でした。「勉強だけでなく、体育も一生懸命」というのが最も好まれるパターンのようです。そして、生活指導担当には必ず体育教師が多数。
 
 そういえば、TVコマーシャルに登場する授業風景は、先生が教室の前で黒板にチョークで字を書いて、生徒は全員着席しています。(やる気のない生徒でも、あたかも金八先生の三原じゅん子さんのように必ず座っている。居眠りしている生徒は少数派)
  みんなでがまんをしている土壌の上で、CM商品が新鮮に登場することで、みんなで買おうということなのかしら。

円谷幸吉さんの遺書について高校の現代社会か日本史の授業で扱ってほしいのです。
 若者の死因の一位が自死と言われる今の時代に、若者にもそれと向き合う年長者にも読んでほしいと願っています。

「感動」特売中のオリンピックと円谷幸吉氏の遺書

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