ガンバレと言いますか

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  立派なクリスチャンでもありませんが、私の好きな聖書のことばです。
 

(つか)れた(もの)重荷(おもに)()(もの)はだれでもわたしのもとに()なさい。(やす)ませてあげよう。

 

                     マタイによる福音書(ふくいんしょ) 11(しょう)28(せつ)

<がんばれということば>

 自分(じぶん)(おも)うようにできないことがあって、泣きたいほどつらくなったことはありませんか。そんな(とき)「がんばれ」と(こえ)をかけてもらうことがあります。また、だれかをはげます気持(きも)ちで「これからもがんばってね」と()うこともあるでしょう。

 

<がんばれといわないイエスさま>

 「がんばる」とは「()()る」ということばから()まれました。「()()る」とは、むりをして自分(じぶん)(かんが)えを()(とお)すということです。

 聖書(せいしょ)には「がんばる」ということばはありません。その()わり、イエスさまはわたしたちに「なやみや(くる)しみで(こころ)がいたくなったら、ここにおいで。(やす)ませてあげるよ」と()びかけています。「一人(ひとり)でむりすることはありません。いままでがんばったのだから、(やす)んでいいのですよ」と()うのです。

 

<ひと(やす)みするということば>

 つらい(とき)に「ひと(やす)みしよう」と(こえ)をかけてもらうこともあります。ここにも「ひと(やす)みしたあとは、がんばろうね」いう気持(きも)ちがこめられています。
 けれども、それがいけないわけではありません。たとえば、九九(くく)ができないとわり(ざん)もできません。不便(ふべん)なことがおきます。ずっと九九(くく)学習(がくしゅう)(やす)むのではなく、どこかで(おぼ)えないと(こま)ることが(おお)いのです。

 ところが、イエスさまはそんなわたしたちの毎日(まいにち)(せい)(かつ)をこえて「(やす)ませてあげよう」と()うのです。「あと30(ぷん)(やす)んでいいよ」「明日(あした)からがんばればいいよ」と()(かん)()()ったりしません。   

 わたしたちには()えないことばです。

 

<だれかが()わりにやってくれるかな> 

 さて、イエスさまは「(やす)ませてあげよう」と()いますが、「()わりにやってあげるよ」とは()いません。「あなたのすることをほかのだれかに(まか)せることはできません」とは、きびしいことばでもあります。しかし、よく考えると「いつかあなたには(くる)しいことに()えられる(ちから)がつきますよ」とわたしたちを勇気(ゆうき)づけてくれていることに()づきます。もしかしたら「できなくてもいいのですよ」と伝えているのかもしれません。

 これもわたしたちにはとても()えることばではありません。



<いのっているよ>

 わたしたちは「がんばれ」の()わりになんといえばいいのでしょう。相手(あいて)命令(めいれい)するのではなく、はげますことばはなかなか()つかりません。わたしは「応援(おうえん)しているよ」ということばを使(つか)うことがあります。(くる)しい(おも)いをしている(ひと)安心(あんしん)できるように、(こころ)から「いのっているよ」という気持(きも)ちを(つた)えることができたらすてきですね。

 

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 このように「がんばれ」に変わることばを探し続けているわけですが、ブルーハーツのような渾身の「ガンバレ」だったら言ってみたい気もします。 

 (甲本ヒロトさん頼みのような記事が続きました) 

 

    

 

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