高校生の頃、ゴーギャンの生涯について書かれた英文の問題があった。


当時、習ってる英文法の知識では少し難しい英文だった。

父は英語で勲章を取るほどの人だったけど、私は父に英語を教わらなかった。私は反発ばかりして、ぶつかり合ってしまうので、何回か試みたけれど、うまくいかなかった。


でも、その時、難しかったから、父に聞きに行った。わからないから訳してほしい…とかなんとか言ったのかな?昔すぎてよく覚えてないけれど。


父は一通り読んで、これは難しいから説明するぞ、とかなんとか?言いながら、訳しながら、文法も教えてくれたと思う。

その時、ゴーギャンの生涯について、ゴッホと決別して失意の中タヒチに渡り、燃え上がるような感情を絵に落とし込んだ事、燃え上がる感情を自分でどうしていいかわならなくて苦しんだことなど、英文法の事はすっかり忘れてしまったけれど、今でもはっきり、その時の父の呼吸や説明してくれる様子や、ゴーギャンとゴッホについての織りなす気持ちの訳は覚えている。すーっと英語が入ってきた。


ちっとも難しくなかった。一人ではわからなかったくせに、父に訳してもらったら、その芸術性や気持ちのヒダが、あまりにもしっくりきて、すーっと体に入り、全部わかった。もう忘れちゃったけど。

(あんなにすっきりとわかったのに、英語の表現は一つも覚えてなくて、その芸術についての表現の父の話だけ覚えている)


次の日、どこをどう指されても、なんでも答えられる!と自信満々に学校に行ったけれど、

その日は、これは難しいから、と全部先生が説明して終わった。ガッカリだった。

父の説明はすごくしっくり体に入ったけど、先生の説明は、あまりうまくなかった。忘れちゃったけど。そこは違うよ、と思いながら、授業受けてた事だけ覚えてる。


多分、ゴーギャンがしっくりきたから、文法も難しく思わなかったんだと思う。



先日のゴッホアライブ展でも、すーっとそこに入り込める感覚は、あの時の父との時間に似ていた。

何か、ゴッホとゴーギャンは、私の中に…なにか…すごく共感する(わからないけど)何かがあるような気がする…


あの時の父との英語の時間のように、それが毎回あのようにできたら、父に英語を教われたかもしれない…

そしたら、父のように、英語で勲章🎖️取れるような学者になれたかもしれない?

それはないか…


でも、もっと素直に聞けなくてごめんね…

ゴーギャンだけだったね。すごく楽しく英語で盛り上がれたの…

あの時間、今でもすごく大切に思ってるよ。


ゴッホとゴーギャン…

やっぱり好きだなぁ…