一昨年の七夕の明け方、海が大好きな父が夏を待たずに旅立った。
戦時中、指揮官でありながら病弱で戦地から帰され、そのために生き延びた。
入退院を繰り返し、長生きはできないと言われていた父は100歳の老衰、天寿を全うした。
二人が元気な頃、父と母との会話で
100歳じゃキリがよすぎるから、102歳までは頑張ろうよ。その時まだ元気だったら105歳目指そう!…なんて話していた。
それなのに、100歳の七夕なんて…
父を見送るまでは死ねない!と常日頃言っていた母に、父の死は、とても教えられなかった。
ずっと内緒にしていた。
母は、4年前に大腿骨を骨折した時に心臓が弱りすぎていて手術ができず、いつ心臓が止まってもおかしくない…と言われ、でも、何度も危篤になっては持ち直し、頑張っていた。
コロナ禍で面会禁止となり、危なくなった時しか会えなかった。
わかるけれど、父とも母とも、声も出なくなる前に、もっともっと会って話したかった。
何度も交渉したけれど、会えなかった。それでも、食い下がって、無理を言って別室で3人で会わせてもらったりしたのだけど。
病気から電話が来て、もういつでも面会していい、覚悟して下さい、と言われたけれど、もう一度持ち直して欲しいと心から願った。
桜の花を見に行こう
ばぁばの作ったご飯が食べたい
夏に父とみんなで海に行こう
誕生日にはみんなでケーキ食べなきゃ
秋には紅葉を見に行こう
栗ご飯も作って
ばぁばの煮魚が食べたいよ
…何回も何回も話した
父の月命日にお墓参りしたら、なぜか墓石が黒く光り一回り大きくなった。その時、願いは祈りとなったけれど…
生きていれば今年102歳を迎えた父…
父の102歳を待ったかのように、そして、父と同じ明け方に、母は旅立った…
卯年生まれの母は、秋の96歳の誕生日を待たず、旅立ってしまった。
父の102歳の誕生日が過ぎたから、それを待っていたのだろうか?
携帯で撮っていた私や子供達のピアノを聴かせると、少しだけ反応してくれたり
こちらも必死だったけれど、蝋燭の火が消えるような最期だった
納棺師さんが、元気な頃の母の顔に戻してくれて、家に帰ってきた母は、静かに寝ているようで、
何回も何回も、起きて!と声をかけたけれど、静かに眠るだけだった。
最後まで、頑張って呼吸して、
安らかに眠って、今頃は、お空のみんなで穏やかに過ごしているのだろう…
飛行機雲になって、父が迎えに来ていた