何かおかしいよね、今の日本。

右翼と呼びたきゃ、それも結構


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ねずさんのブログよりの転載です。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3574.html#more

 

ある方から次の質問をいただきました。
「金印についての質問です。
 『漢委奴国王』と刻まれているのは何故でしょうか。
 倭ではなく委となっているのが疑問です。」

これについての私の回答です。
すこし面白いので、すこし書き足してご紹介します。

 ***
<回答>

現代考古学界では、「古代においては、彫金や石に碑文を刻むとき、「ヘン」や「つくり」を略すという習慣があったから」と説明しています。
実際、「仙」という字が「山」と書かれたりしているケースがあり、それは証明できることとされているようです。

 

ただ、その同じ古代に、日本ではあの勾玉がつくられたりしているわけです。
勾玉の材料として使われるヒスイやメノウは、鉄より硬い鉱物です。
それをあそこまで丁寧に加工できる技術を持ちながら、「彫金技術がなかった」と決めつけるのは、おかしな解釈といえるかもしれません。
もっとも金印は日本産ではなく、Chinaで造られたものですから、考古学界で言われている通りなのかもしれませんが・・・。

しかし、あるいはもしかするとなのですが、金印はそもそもはじめから「漢が委ねた奴国の王」という意味で「漢委奴国王」の刻印がされたのかもしれません。
「奴国」とうのが、どこにあったのかは「わからない」とされていますが、日本人の「wa」という発音が、Chineseには「na」と聞こえて「奴国」と表記されたという可能性は否定できないのです。

 

この当時の日本は、縄文以来続く高い文化を持った国です。
それにそもそも日本は金の大産地ですし、その意味からすると、この金印は、たとえ金印であったとしても国辱的です。
そうであれば、たとえ漢では偉大な皇帝とされている人から贈られた印であったとしても、日本では「いらない」ということになります。
けれど、贈ってくれた相手も尊重しなければならない。
そうであれば、金印は、日本の中央から遠く離れていて、Chinaとの交易点となる博多湾には、綿津見三神を祀る志賀海神社がありますから、そこに奉納しておいたということは、日本人的発想ならば普通に考えられることです。

そして嵐で神社の宝物が水に流されたとき、その金印も一緒に海に押し流されたけれど、別段困ることもないから放置しておいた。
そのまま放置しておいたら、江戸時代の天明4年に、たまたま漁師が網でそれを引き上げてくれた、ということなのではないでしょうか。

金印は、Chinaの制度では、印に「金銀銅」のランクがあります。
一番上が象牙印で、これはChina皇帝だけが用いることができる印です。
そのChinaが、対等とみなした国力の強い国には、China皇帝から金印が送られました。
一番下が「銅印」で、これは属国の国王の中でも、もっとも格下の国の王に与えられる印です。
残念ながら朝鮮半島の歴代王朝は、この銅印しか与えられたことがありません。

そういう次第ですから、金印は、本来はたいへんに名誉な印です。
もし日本がChina王朝との国交を重視するなら、金印が海に流されたのなら、それは一大事となります。
China皇帝に詫びを入れ、新たな印を発行してもらわなければなりませんし、そのための贈り物や大規模な使節団の派遣が必要になります。

ところが日本国内では、金印が失われたことについて、何の騒ぎにもなっていないし、公史である記紀にも金印について何も触れられていません。
触れられていないということには、いくつかの理由が考えられます。

ひとつは「奴国が実在していて、国内の他の国に滅ぼされた」というものです。
しかし、もし奴国が、巷間言われるような村落国家程度の小規模な国であるならば、China皇帝が金印を贈ることはありません。
つまりChinaは、奴国を「漢の大帝国に匹敵する大国」と認識していたから金印が贈られたのです。
そしてその国が「失われた大国」であるならば、奴国は、当然記紀のどこかにそれらしい記述で出てくるはずです。
けれど、そのような記述はどこにありませんし、それどころか、金印を受け取ったという記述さえもないのです。
つまり、大和朝廷に代わる「奴国」など、なかったということです。

二つ目は「ありがためいわくだった」というものです。
China側からしてみれば、立派な金印であったとしても、日本には、漢より古くて長い歴史を持つ大和朝廷があります。
天皇の御印のことを「御璽(ぎょじ)」といいますが、明治7年に金でできた御璽が造られ、これがいまでも用いられていますが、701年(大宝元年)に成立した大宝律令で規定された御璽は、大きさが方三寸(約8.9cm)と規定されているだけで、長く銅または青銅が使用されてきました。
ちなみに江戸時代は銅印です。

なるほど金は、高価で立派そうに見えますが、金は変形しやすいため、実際のところあまり実用的ではありません。
我が国では、富は「おほみたからのもの」とされ、「おほみたから」が豊かに安全に安心して暮らせることを国是としてきましたから、上に立つ者は、たとえ天皇といえども贅沢は厳に慎むべきものとされてきた伝統があります。
そもそも金は、我が国ではいくらでも産しましたし、お寺のお堂も、いまでこそ黄金色をしているだけの真鍮(しんちゅう)になりましたが、江戸の昔までは、すべて金。
女性の着物の柄にも、祝着には金糸銀糸がふんだんに用いられましたし、そもそも貨幣が金貨の小判です。
これは、いまで言ったら1万円札が金でできているようなもので、日本がどれだけ金が豊富な国だったのかということです。
つまり、印が金製だからといってありがたがるような文化は、そもそも日本にはなかったわけです。

もんだいは、それがChina皇帝から贈られたということですが、みればその印には「漢が委ねた奴国(倭国)の王」と書いてある。
日本からしてみれば、新興国の漢あたりが、失礼千万という気分があります。
さりとて漢は、当時の東洋社会にあっては大国です。
だから博多の神社に「たいせつに」奉納しておいた、と考えた方が、合理的ですし、説得力があるように思います。
そしてそうであるならば、そのようにもし史書に書けば、とりわけ日本書紀は対外的国際外交のために書かれた史書ですから、逆に素直にその通りに書けば、それこそ国際問題になる。
だから、意図して何も触れなかったということなのであろうと思います。

仮にもしバレて、China側が金印の有無を問うてきたとしても、
「はい。それなら神様に奉納して大切にしています。」と答えれば、相手は自分たちが神と讃えられたと満足するであろうし、嵐のために失われたことを咎められても、
「志賀海神社は海の神様をお祀りする神社ですから、きっと海神様がお持ちになられたのでしょう」と言えば、これまた相手にとっては満足な回答となります。
しかもこの場合、倭人たちが神様に捧げた金印ということになるのですから、China側は印の再発行の必要がないわけです。
つまり、日本は二度と同じ非礼を受ける必要がなくなります。

要するに金印は、受け取った1世紀の大和朝廷にとって、まことにもって「ありがためいわく」なものでしかなかったということです。

 ***

 

お読み頂き有難うございます。

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