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ねずさんのブログよりの転載です。

オトナの学問 - ねずさんの学ぼう日本 (nezu3344.com)

 

決して負けない。
けっしてくじけない。
それが神話の時代から続く日本人の精神であり、そのためにあるのが日本人にとってのオトナの学問です。
私はそのように思っています。

 

 

今回は「学問をするとはどういうことか」を考えてみたいと思います。
まずはじめに明確にしておかなければならないことは、大人の学問と、小中学生の学問、幼児の学問は、「異なる」ということです。

幼児の学問は、数の数え方とか、文字の読み方、書き方、そして何が正しいことなのかという価値観のもとになる神話教育などがその基礎となります。
幼児と言ってあなどることなかれ。
4〜5歳の子たちの暗記力、運動能力は、開発次第ではすさまじく、言語の取得から古文の丸暗記、教えかた次第では、大人顔負けのジャズやクラシックの演奏まで、幅広くこなさせることができます。
そしてこの時期に学んだ価値観が、その人にとっての生涯の正義となります。

小中教育では、さらにそれらの幅が広くなります。
算数は数学となり、国語では単に読み書きだけでなく、その内容を理解して涙する感動する心を養うことができます。

この時期から、理解度がテストで試されるようになります。
江戸時代までの少年期教育が大きく変化したのがこの部分で、かつては試問と言って、先生の設問に答えて理解の程度を測るというものであったものが、明治以降には西洋式のテストにこれが替わりました。

師匠の「試問」か、筆記試験(テスト)か。
この違いは重要です。
テストは、記憶力を試し、成績によって明確に生徒に順位を付けることができます。
このことは、簡単に言えば、クイズに早くたくさん答えることができた者を成績上位とする、ということです。
成績は客観的ですが、実は大事なことが抜けています。

何が抜けているのかというと、ストーリーです。
部品は、それを組み合わせて製品にしたときに、はじめて付加価値をもたらします。つまり、商品になります。
商品にしたり、部品を組み合わせたりするプロセスが、ストーリーです。

家を建てるとき、材木や大工道具がいくら正確に揃っていても、どういう家を建てるのかが決まっていなければ、家の建てようがありません。
歴史でいえば、歴史上の事件名や人名をいくらたくさん覚えても、それらがどのように関連し、どのように歴史となっていったのかが理解されなければ、それは事件記録でしかなくて、歴史とは呼べません。

部品の品質をあげるために、部品の品質を掘り下げることは大事ですが、いくら部品を掘り下げても、全体の組み立てラインがちゃんとできていなければ、自動車はできません。
かろうじて理系が、戦後もその高度性を保つことができたのは、理系の場合、たとえば数学がそうですけれど、テストに「応用問題」を出すことができた。
これが奏効したといえるかもしれません。
なぜなら、応用問題を解くには、ストーリーが必要だからです。

とりわけ戦後教育では、中学卒業者の集団就職の時代から大卒のホワイトカラーの時代に至る規格大量生産の時代の必要から、できるだけ均質性の高い卒業生であることが求められ、いまではすっかり、ただの記憶力のクイズに、素早く答えることができることが、あたかも学問であるかのような誤解が浸透するようになりました。

これが高等教育になると、より顕著になります。
もともと高等教育(いまの高校)は、中学までに、部品の作り方と、その組み合わせによる完成品の作り方を覚えたら、さらに高校では、その設計ができたり、あるいはもっと品質の良いものを組み立てたりという、応用力を養成するところでした。
そもそも、昔は、15歳で元服で、オトナになったのです。
ですから、高等教育は、大人向けの教育であったわけです。
それがいまでは、小学校、中学校と、同じ子供向け教育が行われているだけです。

大学になると、もっとたいへんです。
明治の頃の帝大は、日本が西欧に追いつき追い越せのために、世界中から優秀な人材を集めて教授とし、世界最先端の教育を行った・・・つまり教育というより、大学の存在そのものに目的があったのです。
ところが戦後の日本の大学は、旧帝大であっても、その目的性を失いました。
私立大学も、本来は個性があり、建学の目的があったはずですが、いまではただのバイトのための休憩所になっています。
 
諭吉は『学問のすゝめ』の中で次のように書いています。

「学問とは、
 ただむずかしき字を知り、
 解げし難き古文を読み、
 和歌を楽しみ、
 詩を作るなど、
 世上に実のなき文学を言うにあらず。

 これらの文学も
 おのずから人の心を悦こばしめ
 ずいぶん調法なるものなれども、
 古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、
 さまであがめ貴むべきものにあらず。

 古来、漢学者に
 世帯持ちの上手なる者も少なく、
 和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。

 これがため心ある町人・百姓は、
 その子の学問に出精するを見て、
 やがて身代を持ち崩すならんとて
 親心に心配する者あり。

 無理ならぬことなり。
 畢竟(ひっきょう)その学問の実に遠くして
 日用の間に合わぬ証拠なり」

要するに「実のない学問」など、学問の名に値しないと述べているわけです。
では「実のある学問」とは何か。
これについて、諭吉は次のように述べています。

「まず一身の行ないを正し、
 厚く学に志し、
 博(ひろ)く事を知り、
 銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備えて、
 政府はその政まつりごとを施すに易やすく、
 諸民はその支配を受けて苦しみなきよう、
 互いにその所を得て
 ともに全国の太平を護らんとするの一事のみ」

つまり学問とは、「世の太平を護ることにある」のです。
これがオトナの学問です。

そしてこのことについて諭吉は
「今余輩の勧むる学問も
 もっぱらこの一事をもって趣旨とせり」
と述べています。

枝葉末節にこだわることも大切ですが、それ以上に、経世済民。
そのために自分でなすべきことを学ぶ。
それこそが学問だ、ということです。

個人が優秀であることと、国が優秀であることは異なります。
個人が優秀でも、国自体に歪みがあれば、個の優秀さは阻害されます。
個人が優秀といえないまでも、国が優秀であれば、個人もまたその優秀さの一端を担うことになります。

現状に問題があることは、いつの時代も同じです。
けれど、その問題を乗り越え、より豊かで自由な「よろこびあふれる楽しい国」を築く力は、オトナの学問によってのみ拓かれます。

なぜなら、それはストーリーだからです。
歴史もストーリー、未来もまた現在を出発点とするこれからのストーリーです。
そのストーリーをより良いものにしていくために、日々努力を重ねていけば、積小為大、必ず良い未来が拓けます。
逆に、日々の日常に埋没するだけなら、現在の延長なだけの問題だらけの未来になります。

では、いかにして未来をストーリーを描くのか。
そのなかにあって、自分自身がいかに貢献していくのか。
道は遠く、果てしないけれど、それでも一歩ずつ答えのない未来に答えを得ようと努力をし続けることが、すなわち学問なのだろうと思います。

イザナギとイザナミが最後にお別れするとき、千引石をはさんでイザナミが言います。
「愛(うつくし)き我(あ)が那勢命(なせのみこと)、
 このようにするならば、
 汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)を
 一日に千頭(ちかしら)
 絞(くび)り殺(ころ)しましょう」

国民を毎日千人、くびり殺すというのです。
まるで宣戦布告です。
普通ならここで、「なにを!このやろー!やれるもんならやってみやがれ!千人殺したら、千人殺し返してやるぞ!」となりそうなところです。
けれどこのとき夫のイザナギは、

「愛(うつくし)き我(あ)が那迩妹命(なにものみこと)よ、
 汝(いまし)がそのようにするならば、
 吾(あれ)は一日に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)を建てよう」

と述べました。
産屋(うぶや)というのは、出産のための仮小屋のことを言います。
殺されても、失っても、それでも未来に希望を持って、建設の槌音を絶やさない。
それが日本人の生き様です。

決して負けない。
けっしてくじけない。
それが神話の時代から続く日本人の精神であり、そのためにあるのが日本人にとってのオトナの学問です。
私はそのように思っています。

 

お読みくださり有難うございます。

最後に、こちらをポチッ とお願い申し上げます。