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ねずさんのブログよりの転載です。

http://nezu3344.com/blog-entry-4220.html#more

 

歴史は繰り返すとするならば、黒船から200年後は、2053年です。あと34年。そして今度の戦いは、世界から植民地をなくすことだけではなく、世界にある「人が人を支配する」という文化を、「人と人とが対等に生きることができる世界」に向かわせるという大きな戦いであるともいわれています。明治維新がまだ終わっていないなら、いま国を大切に思う人たちは、ひとりひとりが維新の志士です。

 

 

明治維新の始期は、嘉永6年(1848)の黒船来航からと、これはおおむね議論の余地なく多くの識者の一致した意見です。
ところが実は、明治維新の終期については、議論が千差万別で、結論がありません。

ある先生は、明治の終わりに条約の改正が行われて晴れて日本が不平等条約から脱することができたのだから、明治44年の条約改正をもって終期とするとおっしゃいます。
またある先生は、大日本帝国憲法発布をもって明治維新の終期とおっしゃいます。
あるいは同じ理由から、帝国議会の成立をもって終期とするという説もあります。
あるいは、日清日露の戦争の勝利をもってという説、
大英帝国との同盟関係の成立をもって終期とする、
廃藩置県をもって終期とする等々、本当に議論は様々です。

なぜ終期が定まらないのか。
それは、そもそも明治維新の位置付けが曖昧で、学者の先生方によって、みなさんご意見が異なるからです。

要するに江戸幕藩体制倒壊という政治体制の変更をもって明治維新と考えるのか。
文明開化という国内の社会構造の変革をもって明治維新とするのか。
憲法制定という欧風化をもって明治維新とするのか。
外国との関係における不平等条約解消を明治維新とするのか。
つまり、明治維新の目的そのものが、明確化されていないから、終期が定まらない(意見がまちまちになる)のです。

しかし、終期が定まらないとするならば、それはもしかすると、「まだ終わっていない」「係属中である」というこかもしれません。

 

そもそも明治維新の始期が黒船来航であるということが何を意味しているかといえば、日本が門戸を開かなければならなくなった、つまり鎖国から開国への流れが始まったことを意味します。

それまでの日本は鎖国でした。
鎖国ができるということは、実はすごいことです。
本当は、世界中の植民地支配された有色人種の国や民族は、どの国もどの民族も、植民地支配されるくらいなら、本当はみんな鎖国したかったのであろうと思います。
けれど圧倒的な武力と悪意の前に、それができなかった。
結局、人が人を支配する植民地となり、人口の9割を失い、残った人々は混血となり、所持していた大切な財産は奪われ、ひどいものになると、言語や文化まで一切合財を奪われてしまったわけです。

ところが日本は堂々と鎖国しました。
なぜそれができたのかといえば、日本が江戸初期には世界の鉄砲の半分を持ち、世界の金(Gold)の3分の1を持つ、軍事的経済的な超大国であったからです。
当時の世界にあって日本に勝てる国がどこにもなかったのです。

江戸時代、日本にやってきた外国船は125圏にのぼります。
これら外国船を、幕府はいともやすやすと打ち払っています。
なぜ打ち払うことができたのか。
答えは簡単です。
日本が強かったからです。

ところが幕末にやってきたペリーは、世界初の「炸裂弾を水平発射できる大砲」を船に積んでやってきました。
これは当時にあって、圧倒的な兵器です。
この兵器の前に、日本は鎖国を解かなければならなくなりました。

そしてこの瞬間から、実は日本は、世界から植民地支配をなくす・・・ということは人が人を支配し一方的に収奪するという世界を覆ったひとつの文化を終わらせて、新しい未来を開く・・・というたいへんな使命を負ったのではないかと思います。

この戦いは、長い戦いです。
6世紀のおわりに、隣りに隋という軍事大国ができました。
これに抗して我が国の独立を護ろうとして立ち上がったのが聖徳太子の時代です。
聖徳太子は遣隋使を送り(600年)、新羅征討の軍を出し(600年)、十七条憲法を定め(604年)ました。
そして中大兄皇子は645年の乙巳の変で蘇我入鹿を倒して天皇中心の社会体制を堅持し、公地公民制を敷き(646年)、白村江の敗戦によって半島の権益を放棄し(663年)、続く大海人皇子はは壬申(じんしん)の乱(672年)を起こして皇位に就くと、記紀編纂を命じ、その記紀はそれぞれ712年、720年にできあがり、称徳天皇の時代には道鏡事件が起こり(769年)、桓武天皇の時代に平安京遷都(794年)が行われ、国風文化が花開き、日本は平和と安定の時代を迎えました。
ここまでに、隋の建国(581年)から、およそ200年の歳月を擁しています。

明治維新がなぜ起きたのか。
事の発端が嘉永6年の黒船来航だとするならば、その答えは簡単です。
ひとことでいえば「外圧」です。
日本はその外圧に屈して不平等な条約を締結させられ、国内で蓄積した黄金を大量に国外に流出させました。
幕末の志士たちにとって、手の届かない坂の上の雲は、まさに欧米列強の支配の圧力にいかに抗して、我が国を彼らと対等かつ平等な国家にしていくのかにありました。

そして不平等条約は、いったんは1911年(明治44年)の米国との新・日米通商航海条約の締結によって、ようやく欧米諸国と対等な関係が構築されたかに見えました。
しかしそれは、わずか10年後の1921年(大正10年)のワシントン会議で、もろくも崩れ去っています。

ワシントン会議で日本は主力艦の保有量を対米英6割という不平等を押し付けられ、その後は次々と対等な関係を制限され、やむなく日本が大東亜の戦いを起こして敗戦すると、今度は憲法まで押し付けられて、いまだにODAという名の巨額の戦費賠償を継続しているのが、いまの日本です。

つまり嘉永6年(1853年)の黒船来航に始まる不平等関係はいまだ解消していない。
ということは「外圧」との戦いは、黒船来航から166年を経過したいまも、なお終わっていない・・・係属中であるということを意味します。

歴史を振り返って、隋の大帝国ができた頃の年代と比較してみると、いまはちょうど道鏡事件が起こったくらいの時代にあたります。
そんな事件のあと、和気清麻呂が出て、日本は都を京に移し、その後の平安時代へと向かいました。

歴史は繰り返すとするならば、黒船から200年後は、2053年です。
あと34年。
そして今度の戦いは、世界から植民地をなくすことだけではなく、世界にある「人が人を支配する」という文化を、「人と人とが対等に生きることができる世界」に向かわせるという大きな戦いであるともいわれています。
明治維新がまだ終わっていないなら、いま国を大切に思う人たちは、ひとりひとりが維新の志士です。

 

お読みくださり有難うございます。

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