八紘一宇はなぜ日本の国是なのか | 何かおかしいよね、今の日本。

何かおかしいよね、今の日本。

右翼と呼びたきゃ、それも結構


テーマ:

人気ブログランキングに参加しています。

こちらをポチッ とお願い申し上げます。

 

ねずさんのブログよりの転載です。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3781.html#more

 

日本書紀は意図して「あめのした」を「天下」ではなく「八紘」と書くことで、「天皇の御威光のもとにある人々」に特定しています。
これは日本の領土領海内のみを示します。
つまりどこにも「他民族抑圧・併合のための超国家主義」という意味は生じないのです。

 

 

「八紘一宇(はっこういちう)」というと、ほんの数年前までは、多くの人は、
「第二次大戦中に日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた用語」
といった認識を持っていたようです。

いまではだいぶ、そのような見方をする人が減りましたが、それでもたとえば戦後に編纂された世界大百科事典などには、
「自民族至上主義、優越主義を
 他民族抑圧・併合とそのための国家的・軍事的侵略にまで拡大して
 国民を動員・統合・正統化する思想・運動である超国家主義の典型」
と説明しています。

また、昭和32年9月、衆議院文教委員会で、松永文部大臣(当時)は、
「戦前は八紘一宇といって、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよいというくらいな考え方から出発していた」と説明しました。

昭和58年1月衆議院本会議では中曽根康弘総理大臣(当時)は、
「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持ち、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった」と説明しています。

ほんとうにそうなのでしょうか?

普通に考えて、人々が口々に唱える日本のスローガンがそうした「侵略」目的のものであったとするなら、多くの日本人は、ついていきません。
「八紘一宇」を唱え、命をかけて戦ったのは、私たちの祖父であり、祖母であり、曾祖父・曾祖母たちです。
しかも彼らは、彼らの青春をまさに「八紘一宇」に賭け、なかにはそのために終戦後も外地に残って、地元の人々のために戦い続けて亡くなられた方もいるのです。

 

現実問題として、たとえばいまこれを読んでいるあなたが、あるいは私が、
「我が国には八紘一宇という侵略思想がある。その思想は、他国を蹂躙して財物や婦女を蹂躙し、奪い、その国の庶民を殺しまくるものだ。だから一緒に悪事を働こう!!」
と言ったとしたら、まさに「そうだ!その通り。素晴らしい考えだ」と思って、戦いに参加するでしょうか。
命をかけてまで戦うでしょうか。
自ら特攻までして命を落とすでしょうか。
玉砕戦を最後まであきらめずに戦うでしょうか。

内地にいた母親たちにしても、あるいは祖父母にしても、愛する我が子や大切な孫を、・・・それも兵役にとられるのは、学業優秀、身体頑丈な、とびきりできのよい子です・・・を、そんな悪事に加担させるために、万歳と言って送り出すでしょうか。
戦前戦中は、婦人会、町内会、子供会など、村中総出で日の丸の小旗を振って、出征兵士を送ったのです。
侵略のためにそのようなことをするでしょうか。
そのように思って見送った家族って、誰のことでしょうか。

軍部ですか?
軍部って誰のことですか?

軍隊が独善主義に陥り、民族至上主義、優越主義を他民族抑圧・併合とそのための国家的・軍事的侵略にまで拡大して国民を動員するから子を差し出せと言ったら、あなたは万歳といって子供を差し出すのですか?

戦前、出征兵士を送った人たちも、送られた兵士たちも、いまとおなじ、我々と血の繋がった日本人です。
時代がそうさせた?
じゃぁ時代って何のことでしょうか。

みんなが理想に納得し、みんながその理想を本気で信じたから、命がけで戦った・・・そう考えた方が、自然なのではありませんか?
その時代の理想が「八紘一宇」です。

そもそも「八紘一宇」は、日本書紀に出てくる言葉です。
原文は
「掩八紘而為宇」
(八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為(なさ)む)
で、「日本書紀」の巻第三神武天皇の条に出てきます。

「八紘」は、東西南北に北東、南西、南東、北西の4つを加えた八つの方位のことです。
まさに四方八方のことです。
そこから八つの方位はそのまま天地を結ぶ八本の綱であり、これが転じて世界を意味する語となったという説明をしているものもあります。

しかし「八紘」の読み下しは大和言葉の「あめのした」です。
もともと、大和言葉に「あめのした」という語があり、これを漢文調に書き表したものが「八紘」です。
「八紘」があって、「あめのした」と読み下したのではなくて、
もともと「あめのした」という大和言葉があって、それを漢語の「八紘」と訳したのです。

「あめ」は天です。
その下ということですから、普通に訳せば「天下」でよかったのです。
それなら地上世界のすべてを意味します。

しかし、この「八紘」は、神武天皇が、橿原宮を造営する際に述べられた詔(みことのり)です。
したがって、この場合の「あめのした」は、橿原神宮に代表される天皇の御在所である皇居を中心として、そこから四方八方を意味します。
つまり意味合いとしては、この場合の「あめ」は、天皇のこととなります。
その「あめのした」ですから、「八紘」の本来の意味は「天皇の御威光の及ぶ範囲」という意味になります。
だから日本書紀は「あめのした」を「天下」と訳さずに、意図して「八紘」と訳したと読むべきなのです。

ということは日本書紀は意図して「あめのした」を「天下」ではなく「八紘」と書くことで、「天皇の御威光のもとにある人々」に特定しています。
これは日本の領土領海内のみを示します。
つまりどこにも「他民族抑圧・併合のための超国家主義」という意味は生じないのです。

そうであれば、冒頭にある戦後に編纂された世界大百科事典にしても、松永文部大臣(当時)や中曽根康弘元総理にしても、そこに書かれたことや述べたことは、戦後の敗戦国という極めて特殊な事情が、そのように言わせた言葉にすぎず、我が国の歴史を真っ当に反映したものではない、ということになります。

言葉の意味というものは、権威や権力や時代によって捻じ曲げるべきものではありません。
逆にいえば、どんなに権威ある書や、権力を持つ人の見解であったとしても、間違っているものは間違っているのです。

横車を押すために、権威や権力にものを言わせたがるのは、半島人の特徴です。
このことは半島併合時に「日本政府から朝鮮総督府への通達」として書かれたものにも明らかです。
「Koreanとの争議に際しては
 弁護士等権威ある称号を
 詐称せる者を同道せる場合がある。
 権威称号を称する同道者については
 関係各所への身元照会を徹底すべし。」
とあります。
要するに、対等という考え方がないために、常にどっちが上かが問題になり、上の言うことには無条件で従わなくてはならないというマインドが働くようです。

けれど日本人は、古来、一本独鈷(いっぽんどっこ)です。
一寸の虫にも五分の魂です。
相手がどんなに強大であろうと、権威や権力があろうと、
「木っ端役人なにするものぞ」という濃厚な気分があります。
そしてそのような気分の元になっているのが、
「こちとらは栄えある天子様の『おほみたから」でえ!」
という大和魂にあります。
つまり「八紘」をおおう天子様の御国の一員であるという誇りです。
まじめに言葉をとらえていただきたいのです。

東京裁判の折、清瀬弁護人は八紘一宇について、
「日本固有の道徳であり、侵略思想ではない」
と明確に述べています。
その通りだと思います。

「八紘一宇」について語るとき、よくひきあいに出されるのが、日蓮宗から新宗教団体国柱会を興した田中智學です。
彼は、1903年(明治36年)、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」と説きました。
これが八紘一宇の侵略性を示していると説く人もいます。

では伺いますが、いつから戦前の日本は日蓮宗の国になったのでしょうか?
なるほど日蓮は、日本の宗教を日蓮宗に統一し、国立戒壇の建立を説きました。
しかし、戦前の日本は国家神道であったはずです。
いつ日本の国教が日蓮宗の、それも当時の新興宗教である「国柱会」になったのでしょうか。
彼の意見は、多様な価値観と言論の自由を許容する日本社会の中の、ひとつの少数意見にすぎないのです。

「日本には特高警察がいて、反日思想をとりしまったじゃないか」という人もいます。
それも違います。
田中智學がこの説を説いたのは明治36年(1903年)のことです。
一定の言論統制が行われた大東亜戦争の40年以上も前のことです。
この時代は、民衆の幸せを求めて、さまざまな言論が生まれた自由の時代でもありました。
ですから創価学会が結成されたのも1930年です。

特高警察が生まれたのは、当時の世界の趨勢のレッド・パージ、つまり共産主義打倒のためのものです。
自分たちの信じる革命のためには、あらゆる非道な行為を行っても、それは共産主義革命の名のもとに正当化されるという思想は、容易に暴力や破壊活動に結びつき、犯罪者に正当性を与えるものです。
そのような思想や行動は、排除しなければ、悪が世にのさばることになります。
しかも当時もいまも、警察は、各都道府県単位に活動範囲が絞られています。
これに対し、共産主義を標榜する犯罪者たちは、県境に関係なく活動を行います。
これに即応するためには、当道府県横断型の警察機構を準備する必要があり、だから都道府県警を横断的に活動することができる「特別高等警察」という名称が与えられているのです。

そして特高警察が取り待ったものは、反日思想ではなくて、共産主義思想と、それに準ずる暴力や破壊活動を行う集団や個人です。
そのようなものは、いつの時代であっても、どこの国であっても、取り締まることが当然のものです。

「八紘一宇」は、戦前の日本の国策とされました。
それは、昭和15年7月26日の「基本国策要綱」に掲げられています。

 皇国ノ国是ハ
 八紘一宇トスル
 嚢国ノ大精神ニ基キ
 世界平和ノ確立ヲ
 招来スルコトヲ以テ
 基本トナシ
 先ツ皇国ヲ核心トシ
 日満支ノ強固ナル
 結合ヲ根幹トスル
 大東亜ノ新秩序ヲ建設スル

「一宇(いちう)」というのは、ひとつ屋根の下で暮らす家族という意味ですから、この国策要綱をひらたくいえば、
「天皇のもとにある日本の国是は、
 天皇のもとにある日本人をひとつ屋根の下で暮らす家族とし、
 世界に平和が確立されることを基本的な願いとし、
 まずは日本を核心として、
 日本、満洲、Chinaの強固な結合を根幹とする
 大東亜の新秩序を建設する」
というものです。

東亜の新秩序というのは、アジア諸国が植民地支配を脱し、それぞれの国の独立を促すという意味で、実際、戦中から戦後にかけて、多くのアジアの国々が独立を果たし、植民地支配という隷属からの脱出を図ることに成功しました。
その被植民地からの脱出と独立にあたって、日本がおこなった現地での学校建設、行政指導、教練等が、きわめておおきな役割を果たしたのは、その後の歴史が物語る通りです。
要するに戦後にGHQが起草した現行憲法の前文以上に平和を希求する内容なのです。

2つの言葉を紹介します。
ひとつは、平成3年、日本傷病軍人会代表団が戦時は敵国であったオランダを訪問した際に、オランダ・アムステルダムの市長の挨拶で、公式に残っているものです。
「貴方がた日本は先の大戦で負けて、
 勝った私どもオランダは
 勝って大敗しました。
 いま日本は世界一、二位を争う
 経済大国になりました。
 私たちオランダはその間
 屈辱の連続でした。
 勝ったはずなのに、
 世界一の貧乏国になりました。
 戦前のオランダは、
 アジアに本国の36倍もの
 大きな植民地もインドネシアがあり、
 石油等の資源産物で
 本国は栄躍栄華を極めていました。
 今のオランダは
 日本の九州と同じ広さの
 本国丈となりました。
 あなた方日本は
 アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、
 諸民族に大変迷惑をかけたと
 自分をさげすみペコペコ謝罪していますが、
 これは間違いです。
 あなた方こそ自らの血を流して
 東亜民族を解放し救い出す、
 人類最高の良いことをしたのです。
 何故ならあなたの国の人々は、
 過去の歴史の真実を目隠しされて、
 今次大戦の目先のことのみ取り上げ、
 或いは洗脳されて、
 悪いことをしたと自分で悪者になっているが、
 ここで歴史をふり返って、
 真相を見つめる必要があるでしょう。
 本当は私共白人が悪いのです。
 百年も三百年も前から
 競って武力で東亜民族を征服し、
 自分の領土として勢力下にしました。
 植民地や属領にされて
 長い間奴隷的に酷使されていた
 東亜諸民族を解放し、
 共に繁栄しようと、
 遠大崇高な理想をかかげて、
 大東亜共栄圏という旗印で立ち上がったのが、
 貴国日本だったはずでしょう。
 本当に悪いのは
 侵略して権力を振っていた西欧人の方です。
 日本は敗戦したが、
 その東亜の解放は実現しました。
 即ち日本軍は戦勝国の全てを
 東亜から追放して終わりました。
 その結果アジア諸民族は
 各々独立を達成しました。
 日本の功績は偉大です。
 血を流して闘ったあなた方こそ
 最高の功労者です。
 自分をさげすむのを止めて、
 堂々と胸を張って、
 その誇りを取り戻すべきです。」

八紘一宇の精神による東亜の解放。
そんなものは日本の大義名分にすぎず、内容は侵略戦争だったという人がいます。
もしほんとうにそうなら、なぜ、日本軍は、インパール作戦で、38,000人の戦死者を出し、4万人以上の戦病を出し、街道に日本兵の白骨を折り重なるように晒しながら、その街道筋にある民家や畑を襲っていないのでしょうか。

飢えと病に苦しみながら、何日も水さえ呑めずに撤収する街道筋には、ビルマの村や寺が点在している。
現地の人が住んでいる。
家畜もいる。
畑もある。
女性もいる。
しかも彼らは非武装です。
そして敗軍となって徒歩で帰る日本兵は、実弾を込めた銃を持っていました。
にもかかわらず、日本兵はその街道筋で、ただの1件も、盗みをしていない。
強姦もしていない。殺人もしていない。
自らが、飢えと空腹、渇きにあえぎながらも、だたの1件も奪わず、殺さず、姦せず、飢えに苦しみながら、日本兵という名の多くの日本人の若者が死んでいった。
それが侵略者・掠奪者の姿なのでしょうか。

八紘一宇は、我々日本人にとって、大義名分などではありません。
いやそれ以上に、私達日本人の生きざまであり、心の柱であったものだし、それはいまも変わっていないのです。

生きるということは、心です。
生きるために戦うのは、正当な目的のために、
ものごとを竹のように真っ直ぐにするために命をかけて戦うということです。

戦争を美化するつもりも、礼賛するつもりもありません。
しかしその同胞の、先輩たちの思いと心を、「侵略だった」と蔑むような卑劣漢にはなりたくないのです。
なぜならそれは、先人に対する冒涜というだけでなく、いまを生きるわたしたちひとりひとりを冒涜することだからです。

もうひとつ、言葉を紹介します。
パラオ・ペリュリュー島の碑文です。
こう書かれています。

「諸国から訪れる旅人たちよ 
 この島を守る為に日本軍人が
 いかに勇敢な愛国心を持って戦い
 玉砕したかをつたえられよ。
 Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.」

 

ペリュリュー島の慰霊碑



この碑文の言葉は、米国大平洋艦隊司令長官のニミッツ提督の言葉です。
ニミッツ提督は、戦後、日本の戦艦「三笠」が荒れ果ててダンスホールに使われている事を知るとこれに激怒し、海兵隊を歩哨に立たせて荒廃が進む事を阻止し、1958年には『文藝春秋』に「三笠と私」という文を寄稿しています。

「この一文が原稿料に価するならば、
 その全額を東郷元帥記念保存基金に
 私の名で寄付させてほしい。」

そして「三笠」の保存費用として個人的に当時の金額で二万円を寄付し、米海軍を動かして揚陸艦の廃艦一隻を日本に寄付させ、そのスクラップの廃材代約3千万円を充てさせました。
もし日本軍が、山賊や海賊のような侵略者であり、悪の権化の魔軍であったのなら、敵の将であるニミッツ提督が、こういう碑文を残すでしょうか。

 

 

お読みいただき有難うございます。

最後に、こちらをポチッ とお願い申し上げます。

 

 

 

大和草さんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス